鳥の劇場「白雪姫」

◎ 子供だって残酷の意味は分かるのに
 芦沢みどり

 「白雪姫」と聞けばたいていの人はグリム童話よりディズニー・アニメか子供向けにリライトされたお話の方を思い浮かべるのではないだろうか。かく言う筆者もその一人だったので、グリム童話をほぼ忠実に再現したという鳥の劇場の『白雪姫』を観て大いに驚き、かつ誤解してしまった。まずは原作と、一般に膾炙されていると思われるお話との違いをいくつか挙げてみたい。

 一つは鏡。あれは魔法の鏡とばかり思い込んでいたのだが、原作ではただの鏡なのだった。白雪姫の継母は、美しさで誰かに負けるのが我慢ならないほど気位の高い女。そこで鏡に向かって「鏡や、壁の鏡、国じゅうでいちばん美しいのはだれ?」と訊ねる。すると鏡が「お后さま、あなたが国じゅうでいちばん美しいかた」と答える。鏡の中に魔法の精がいるのではなくて鏡自体がしゃべるのだから、鏡像による自己確認(ユング)ってやつで、平たく言えばこの場合うぬぼれ鏡なのだ。

 二つ目は毒りんご。兵士に白雪姫殺害を命じたにもかかわらずまだ生きていることを知ったお后は、老婆に化けて七人の小人の家へ行き、白雪姫に毒りんごを食べさせる。グリムではお后は毒りんごの前に締め紐と毒の櫛を売りに行き、継子殺害を試みている。だから毒りんごは三度目の正直というわけだ。

 相違点の極めつけはなんと言っても王子さまだろう。原作では棺の中の白雪姫に一目ぼれした王子が小人たちから姫を譲ってもらう。棺が運ばれて行く時、担ぎ手が木の根っこにつまずいて棺はぐらりと揺れ、その拍子に喉につまったりんごがぽろっと取れて姫は生き返る。この即物性に比べてディズニーの方は、白馬の王子がやって来て白雪姫にキスをすると姫は生き返るという魔法仕立てになっている。それだけでなく白雪姫は王子と城の中ですでに偶然遭遇していて、王子に恋をしている。だから白馬の王子がやって来て愛をささやいてくれるという夢を小人たちに歌って聞かせるシーンが挿入されている。原作童話の姫と王子の関係を逆転させ、<女の子は好きな男と結婚して家庭を築くのが一番の幸せ>というロマンチックラブ・イデオロギーを文字通り絵にしたのがディズニーの「白雪姫」なのである。余談ながらこの稿を書くためにDVDを借りて何十年ぶりかで映画を見たところ、ぽっちゃりふっくらオバサン体型の白雪姫が、嬉々として家事および小人の世話に励んでいましたね。

「白雪姫」
【写真は「白雪姫」公演から。提供=鳥の劇場 禁無断転載】

 誤解というのはほかでもない。鳥の劇場の舞台を観て、これはロマンチックラブ・イデオロギーの解体劇か?と思ってしまったのだ。だが待てよ。脱近代もかなり進んだはずの2010年にイデオロギー解体劇でもあるまい。それにパンフには「鳥の劇場としては初めての子供向け作品」と書いてある。そう思って原作に当たってみたら、上に挙げた違いが分かったというわけだ。19世紀初頭に書かれたおとぎ話の方が1938年製作アニメより脱近代化しちゃっているというか、近代の入口の感性の方が今の時代の気分に合っていると言ってしまえばそれまでだけど。どんな誤解にも微量の期待が含まれているものだ。ことジェンダーに関しては、脱近代化はそれほど実現してないんじゃない? と日々感じているものだから、原作にほぼ忠実な「白雪姫」を観てつい、これは脱近代劇かと早とちりしてしまったのに違いない。でも誤解の原因は、それだけとも言えない。この舞台の場合、原作に<ほぼ忠実>というのがじつはクセモノなのだ。

 BeSeTo演劇祭の演目の一つとして上演されたこの作品で、白雪姫と王子を演じたのは中国と韓国の俳優だった。二人とも体格がよく、白雪姫はかわいいけれど頭足りないふうだったし、王子はIT長者ふう。日本語字幕に頼らざるを得ないセリフは最小限に切り詰められていたので、どう見てもこの二人、カネはあるけどアタマ空っぽの今どきの上昇結婚志向カップルにしか見えなかった。劇中、白雪姫が成長するにしたがって、赤ん坊、幼児、少女と、三体の人形が登場するのだが、クロージングシーンでその人形が一度に登場し、王子と白雪姫との幸福な家族写真のタブローで幕となる。この終わり方は、愛―性―結婚(=再生産)の三位一体家族像をつくり出した近代を皮肉った終わり方なのか、あるいは幸福な結婚を賛美しているのか、どちらとも取れるなんともビミョーな終わり方。でも子供はそんなこと考えないから、どうでもいいのだろうか。

 グリムの「白雪姫」は白、黒、赤を基調とした死と再生の物語だ。鳥の劇場はそれを丁寧に舞台化している。「むかしむかし、冬のさなかのことでしたが、雪がひらひらと羽のように空から舞いおちていました」。舞台に立った黒服の男性が片手を上げて、手一杯に握った細かい紙片を少しずつ落としてゆくと、紙はひらひらと舞って床にちいさな雪だまりをつくる。白いドレスを着た青白い顔のお后が縫物をしていて、誤って針で指先をついてしまう。赤い血が雪の上に落ちたのを見てお后は、肌が雪のように白く、頬が血のように赤く、黒い髪をした子供が欲しいと願う。すると願いどおりの子供が生まれ、その子は白雪姫と名付けられる。舞台では雪だまりの中から赤ん坊の人形が出てくるという、観客の意表を突く演出になっている。やがてお后は死に、王は新しい后をむかえる。ここでは同じ女優が黒服になって継母も演じる。白雪姫は途中まで白いドレスの幼児人形と少女人形だ。鏡像と対話する継母は次第に美しく成長してゆく姫を日々見ていなければならないわけで、人形は原作に沿った鮮やかな演出である。

 鮮やかな演出と言えば、その最たるものは七人の小人だ。長い手足に6つの仮面を付けた大柄の俳優が一人で七人を演じ分ける。舞台中央に押し出されて来る極小サイズの家の中で、ずっと中腰で七人を演じる動作がぎこちなく、それが笑いを誘う。小人たちは白雪姫に、ちゃんと家事をするならここにいてもいいと言うので彼女は喜んでそうする。うーん、グリムでもやっぱり家事なのだわ。

 小人たちの留守中、家の中で白雪姫が能天気に鼻歌を歌いながら家事をしていると、舞台片隅ではお后が彼女を殺害する計略を練っている。やがて后は物売りに身をやつし、小人たちの家へやって来る。最初は美しい締め紐、二度目は毒の櫛を売りに来て姫を殺そうとするが、いずれも失敗。三度目に毒りんごとなるわけだけど、この場面は白雪姫の鼻歌に乗ってお后の踏み鳴らす靴音がリズムを刻み、二人はまるでゲームを楽しんでいるようで、見ていて楽しい。とはいえ二度も殺されかけたのに毒りんごを食べる白雪姫は馬鹿か? という気がしないでもない。りんごを食べた白雪姫が仮死状態になったところへ王子が現れ、キスをすると彼女は生き返る。ここはディズニー・アニメのイメージを踏襲しており、そのあとさらにディズニーを敷衍させたような例の幸せな家族写真で劇は終わる。

 一方、グリム童話の方はめでたし、めでたしで終わらない。お后は白雪姫と王子の結婚式に招かれ、罠とも知らずに出かけて行き、焼けた鉄の靴をはかされ、踊り狂って死んでしまうのだ。この部分をディズニーも、子供向けのおとぎ話も、そして鳥の劇場も割愛しているが、近代が残酷として切り捨てたものの中にこそ、おとぎ話の本質があるのではないだろうか。幸福な結婚をしたはずの白雪姫と王子の、凍るような残酷さにぎょっとしてわが身を振り返る、というのがおとぎ話の核心ではないか。鳥の劇場の「白雪姫」がこの部分をカットして幸せな家族写真で終わってしまったのは残念だった。

 残念に思った理由は二つある。ひとつは筆者のように誤解する大人の観客だっているのだから、近代家族像に逆戻りせずに脱近代化した終わり方をして欲しかったこと。もうひとつは、このカンパニーの演技スタイルは、骨太な構造を持つグリム童話にぴったりだったし、中でも特に白雪姫の母親と継母の二役を演じた中川玲奈の嫉妬の表情はすさまじくて面白く、彼女が踊り狂って死ぬところもぜひ見てみたかったものだ。子供だってそっちを見たいに違いないと思うけど。
(2010年7月2日、東京・こまばアゴラ劇場で観劇)
(初出:マガジン・ワンダーランド第202号、2010年8月4日発行。購読は登録ページから)

・引用文出典:「白雪姫」/『完訳グリム童話集3』/野村●訳(●はさんずいに玄)/筑摩書房

【筆者略歴】
芦沢みどり(あしざわ・みどり)
1945年、天津(中国)生まれ。演劇集団円所属。戯曲翻訳。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/ashizawa-midori/

【上演記録】
鳥の劇場『白雪姫』~グリム童話『白雪姫』より-日中韓俳優出演・3カ国語版 - 第17回BeSeTo演劇祭
http://www.beseto.org/17th/program/detail.php?performance_id=59

東京公演 こまばアゴラ劇場(2010年7月1日-4日)
 前売・予約:3,000円/当日:3,500円
鳥取公演 鳥の劇場(2010年7月24日-25日)
 大人2,000円/小学生~高校生1,000円

構成・演出:中島諒人
出演
白雪姫:曉丹
女王(母)/悪い女王:中川玲奈
狩人/7人の小人:齊藤頼陽
王子:ホン・ウジン
家来:葛岡由衣
鏡:赤羽三郎

スタッフ
照明:齋藤啓
音響:村上裕二
装置:赤羽三郎
舞台美術:中島諒人
作曲・ヴァイオリン/ヴィオラ演奏:武中淳彦
ピアノ演奏:大野日菜
パーカッション演奏:増谷京子衣裳:本田悠子
アクセサリー製作:中村彩
制作:鳥の劇場

主催:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場 第17回BeSeTo演劇祭実行委員会
後援:中華人民共和国大使館 駐日韓国大使館 韓国文化院

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