連載「芸術創造環境はいま-小劇場の現場から」第3回

||| 芸術監督と観客

-先ほど、3年で代わってしまうような人たちが企画を作らなければならない状況だというお話がありましたが、作りたいのに場所がない人がいる一方、作る気はないのにその場所に置かれてしまう人がいる。そういう悲しい現状を、どうとらえていらっしゃいますか?

上田 本当は公務員の方々も、ちゃんと自分の主張があるべきだと思うのですよ。だけど、その人たちの生涯の目的は、ホールや劇場で、芸術家というわけのわからない扱いにくい人たち、何を言ってくるかわからない人種を相手に奮闘することではないのですからね。はじめっからそういうことに自分自身の好奇心や意図がなければ、芸術創造の世界には入っていけませんから。公務員の方はそれなりの別の人生目標があって、それを選んでいるわけですからね。今は、労働運動とかもなく、そういう話し合いやサークル活動とかのベースもないみたいですけど、本当は公務員の人も、私たちの話から知識を得るとかじゃなくて、こういうところで何ができるのか、何をやるべきなのか自分たち自身の問題として考えるべきだと思いますけれどもね。

-平田オリザさんは、そういうところにアーティストを芸術監督として置くべきだと主張していますが。

上田 公共ホールには芸術監督を置く。図書館に司書、美術館にキュレーターを置くみたいに、それを法律によって規定する。必ず置かなくてはならないという法律を作れば、必ず専門家が行くからということですか。まず専門家って何なのかということがありますよね。学校でアートマネージメント、経理的なことをはじめ、いろんな意味での劇場の運営管理を教えてるといいますが、実態はそれほどの中身はないような学問です。でも一応その学部を受けると、ライセンスみたいなものをやがて出すようにして、そういう人たちを配置していく。“就活が目的”の大学化ですね。
 地域に立派なホールがあるのなら、その地域の人たちの中で、自分たちで話し合い、年間の企画を決めていきたいという人が出て、そこを使う人たちの中から本当に優れた案や優れた芸術家が勝ち取っていくようなものにすればいい。そういう人が出てきたらいいんじゃないかと思いますね。去年12月に、用があってポーランドに行ったのですが、ホテルに着いたとたんに、友人から、今夜「現代音楽のフェスティバル」があるから行かないかって連絡があって、夜中の12時まで引っ張り出されました。さすがに疲れて私は終わる前に帰ってきたのですけど、やってる場所が工場の跡なんですね。そこを自由に開放して昼間から夜中までやってるんです。いくつも部屋があって、大勢若い人たちが集まっていて、やってるのですね。フェスティバルをやろうと言い出したのはクラクフ大学の教授で、その人と一緒に芸術家や若者たちが集まって、あそこの工場跡でやろうということになったのですね。それを誰が管理しているかというと、管理も全部、そのやりたい人たちがやってるのです。さすがポーランドだなと思いました。内容は、わたくし的には幼稚な現代音楽の実験だなと思われるものもありましたけど。でも、もうみんな一所懸命なんですよ。稚気ふんぷん。年取った方も若い方も一緒になって、真夜中までもその工場を勝手に使って盛上がってる。
 そういうふうに、地方の公共ホールがあるのだったら、その地方の本当にやりたい人たちがいたら、自由に貸せばいいと思うのですよ。使わせればいいと思うのです。それを、使わせていいかどうかをちゃんと判断できるお役人がいればいいのですよ。あれはいいからどんどん貸してやろうとか、あれには予算を出してやろうとか。自然発生的に本当にやりたいもの、パッションがあって力を得られるような。それが地域の人たちのためにも芸術家のためにも必要なことかどうか、あるいは必要かどうかを二、三年試してみよう、そういうことの判断ぐらいならお役人にもできると思うのです。芸術的な質や思想・哲学的なことは、もともとお役人さんの人生の目的ではなかったわけですから、それを強要するのは マ、お気の毒です。

-制度の整備を重視し注力するというのは、違うんじゃないかというのが上田さんの問題意識ですね。もっと心意気というか、エシックというか、作りたいという気持ちを持った人が使えるというのが重要で、そのために制度としてアートマネージメントを教えるとか芸術監督を配するなどということは本質的ではないというお考えですね。

上田 現象としていろんなのがあっていいと思ってるのですよ。そこを使ってやってみようというのを、国とか地方がもっと認めてあげればいいと思うのですね。ちゃんと静観しとけばいいことだと思うのです。今は、予算ってのは、劇場とか劇団が申請してもらうのですね。だけど今度の場合は、私が聞いた範囲ですけど、(文化庁が)直接ホールや劇団に出すのではなく、「地域創造」という団体に出して、地域創造が公共ホールなどに配分する。
 これプロパーがいい悪いと言ってんじゃないのですけども、そういうことを言い出す前に、日本の演劇創造現場の芸術家たち(創造者たち)、いろんな劇団とか劇場に生きる人々、そういう人たちにとって今一番問題にしなければならないことは何かということの調査、観察、議論、話し合いをするとか、を経て抽出した課題を、文化庁に対して創造現場からの意見を提出するというのならばいいのですけど。安易に、上からシステムを作る、上からの別のルートができていく、上の指令で芸術活動がある囲いの中でなら自由にしていいですよ、みたいなことになるのは逆じゃないかと思うのです。みんな何を考えているの? って聞くようなことが一度もないでしょう。いま何が問題なのかっていうアンケートや質問や話し合いって、やってないわけですよね。
 問題のある側も言っていかなきゃいけないとは思いますが。現場の状況の調査分析、そこから問題点を見つけて、その問題がある程度共通ならそれをどうするか、国にどういう要求をするのがいいのか、という方向で考えられるといいと思います。上から法律化されたものを当てがわれるのは絶対に違うと思いますね。大事なのは年取った世代であろうが、活躍中であろうが、新人であろうが、問題を提起する場を創造現場からつくることじゃないかと思います。この間、早稲田で「新しい文化政策を語る会」っていうのをやりましたよね。が、私は日本の文化政策を語るのではなくて、現実に舞台芸術の創造をやっていて「こういう問題がある」それについて自分は問題提起をします、と話し合うことをこまめにやっていくべきではないかと思うのです。それをいきなりああいうふうにやるから、平田オリザ氏に、「あなたはいつから文部科学大臣になったんだ」って言ったのですけれども。

-シアターXではよそでやらないような作品を上演していらっしゃいますが、それぞれの演目や企画で、受け手である観客にどう受け止めてほしいか、受け手を育てるという面もあると思うんですね、そういう点はどうお考えでしょうか?

上田 よく観客の民度が低いなんて言うのですけど、私は、それは絶対にやる側の責任だと思っています。やる側は、それこそ命がけで、やりたいことを、ずーっとやる。何のためにやるのか。暇つぶしか? ちょっと真似してみたいから? そうじゃなくてやらなきゃいけないからやるというところまで、みんながそこまできて創造を試みる。
 誰も面白くないものを創ろうとは思ってないのですね、自分たちが面白いというものを、創ろうと思ってる。けれども、それができなかったら、やっぱり創る側の責任です、それは。それでも、ひとりでも観てくれたら、たったひとりでも観てくれる人がいたってことは可能性があるってことなんです。経済的にたったひとりだからやってられませんじゃなくて、ひとり来てくれたってことで、それをやっていくかどうかってことだと思うのですね。シアターXのこの辺り、江戸時代は大川(隅田川)のほとりに200ぐらいも見世物小屋があって、その中には歌舞伎小屋もありました。いちばん大きくても100人くらいしか入らないような小屋だったのです。いいものができるまでは三ヵ月も四ヵ月も作ってたらしいですね。だけど本当にいいものができたら、ひとりの人が毎日毎日何回も見に来て、もう満員になるんですね。花道にも座ったりするのを、踏んづけてって見得を切ったりするものだったらしいのですね。そうなってくると、嘘っぽいことをやってたらすぐばれますよね、踏んづけられてるような人たちには。だから、非常な共感を持ってるっていうか、客は見に行くんじゃなくて、参加してるんですね。というような状況だったんだそうです、歌舞伎学のオーソリティであられた郡司正勝先生によれば。それがだんだんと大劇場になっていくでしょう。郡司先生はあれだけの歌舞伎の権威でありながら、シンポジウムなんかでは平然と「松竹資本が悪い」なんておしゃってましたけど、大きな劇場になったので、歌舞伎座なんかではご存知かもしれませんが、マイクを使ってるのですね。昔は大向こうって言ったって100人くらいですから。その大向こうに囁き声までが聞こえるような厳しい鍛錬を、役者は日々やってたんですね。それができなかったら顔がよくても落とされた。顔がいいだけじゃなく、一体感っていうか、そうそう、「わたしも今そう思ってた!」っていうようなリアリティのあるものをつくってたんですね。忠臣蔵ったって、両国では「義士祭」と「吉良祭」と両方あるでしょう? 最初に義士を奉ったのはどちらかというと、作為的なんですけど吉良側なんです。大衆は、非常にビビッドにそういう芝居を観ていた。そういうときには大衆の民度が低いとかいうことはないのですね。やる側が共通の感覚をどれだけ掴めるのか。観客の方も、ああそんなの面白くなァいって、如実に身体が示すわけです。だからもうお客の反応でどんどん変えてったらしいですね。つかこうへいさんの芝居は役者によってどんどん変わるんですよ。つかさんは受付とか客席とかの人前には絶対に出ないのですけれども、調光室なんかの見えないところでお客を食入るようにちゃんと見て観察して、その日の反応で全部台詞なんかを変えるんですね。そういう真剣勝負みたいなのをやればお客はすぐわかるんです。「ブスに権利があるか」なんて言って笑うでしょう? ブスって言い出したのはつかさんなんだけど。で、お客がどういう反応をするかということも全部見て、挑発的にわざと使ってたんです。人前に出るとお世辞を言ったり言われたりしなくちゃいけないって、絶対に出なかったのですけれどもね。

-見る側の立場で民度を上げるというのは、たくさん見ることですか?

上田 いいえ、つまんないときにはつまんないって言うことじゃないですか。つかさんの一番気にしてたのは、帰っていく観客の態度でしたね。最後まで客の背を穴のあくほど見てましたよ。彼らも会うとお世辞もおべんちゃらも言う、でも態度はごまかせない。しかも、どっから見ているかわからないのですから。そういうことで、創る側が変わっていかない限り絶対にダメです。「ブスに権利があるか」って言うとお客は笑うわけです。でも、これはお前のことだぞ! って、すぐに悟らせられますから。自分自身のことなんだなって思えるものを創っていたわけですから。「そういうものを創りたい」って、先述のドイツの芸術監督なんかは異口同音に言いました。だから自分たちは、一日の半分12時間をそればかりずーっと考えてるって言ってましたね。みんなそう言ってました。お金をたっぷりもらってることの重みもあるんですが、ドイツではやる側も責任を持ってるんですよ。もらってないなんて言えないのですから。

-わからないお客さんは観てくれなくていいという発言を創る側から聞くことがあって、本音としてはそうだろうなとも思いますし、そう言われても仕方のないところもあると思いますが、でもそういう創り手の姿勢ってどうなんだろう? と思うのですが。

上田 そういう人だって本心は観てもらいたい筈だと思います。ただ、それが創れないから、哀しいのですよ。

-ドイツやポーランドではつまらない作品に対してのブーイングはすごいんですか?

上田 ドイツもポーランドも、ブーイングはあまり経験したことがないですね。ドイツは帰っちゃいます。フランスは凄いですね、ブーイングは。足まで踏み鳴らしますものね。で、お客の中で受けてる人と対立したりするんですね。面白かったのですけど、パリで美術家のクリスチャン・ボルタンスキーという人が、シューベルトの『冬の旅』にのせて作品を創った。貨車に載せられてアウシュビッツへ輸送されて行く冬の旅なのです、それを映像と俳優を使ってやった。すると、シューベルトの『冬の旅』をそんな風に使ったっていって怒る人がいるのです。足踏みまでして凄いんです。また、それに対してうるさい! って言う人もいて。

-日本ではそういうことはほとんどないですね。帰る人もブーイングも。どうしてでしょうね。

上田 日本でも、昔のお客はそうじゃなかったって聞きますよ。大相撲で座布団が飛ぶでしょう、あんなふうに座布団が飛んで「大根役者!」とかね。

-今の日本では褒めるときにしか声をかけませんが、昔はけなすときにも「引っ込め!」などと声をかけたと聞いています。

上田 明治以前の歌舞伎は、自分の息子には跡を取らせなかったのですよ。自分の子どもだと、いくら才能があってもどうしても身内には甘くなっちゃうでしょう。自分の子じゃなくて弟子とか親戚のいい子を跡継ぎにしたのですね。戦後、歌舞伎はひとつのブランドになってしまったでしょう、だから息子から息子へ、一種の既得権ですから。歌舞伎座で私が親しくしていた草履番みたいな人が、こっそり、「あの若様はダメよ、全然こんなもんじゃなかった昔は…」って人気役者の高校生の坊やことを評してました。郡司正勝先生もおっしゃってましたけど、だから日本の歌舞伎は“観光歌舞伎”になってしまったと。客もわかんない人ばかりだからもうそれでいいんだけど、って。
 郡司先生が強調なさってたのは、歌舞伎は絶対に型の芝居じゃないのですよってことでした。一番思いを伝える身体表現、台詞のタイミングを「これは受けた!」って実感したところを、極めていった。それは型じゃないのですよ。形を譲ったのじゃない。昔は手取り足取り教えるわけじゃなくて、みんな先輩の「受けた」のを見てて、盗むわけですよね。そのときに形を盗むってこともあったのですけど、でも昔は「お前いつまで型でやってんだ」って言われてしごかれてたらしいのですよ。今はもう型でやる方が楽なもんだから。「歌舞伎は型ね」って外国の人なんかによく言われますが、違いますって答えてはいますが、「歌舞伎」という文字は当て字で、もともとは「傾く」、世の中を傾かせるものがみんな「かぶき」だったんです。歌舞伎は型だなんて言わないでくださいって説明はしてるのですけれどもね。演技は盗むもんですね。手取り足取り教えてできるもんじゃないのです。
 能狂言の人なんかでも、だいたい家つきの子は三歳から教えますよね。おとなになって大学を出てからでも歌舞伎はやれるのですけど、でも絶対に役はつきませんものね。役はもらえないんですね、死ぬまで。その点では昔黒衣(くろご)だった人と本質的には変わらない。その代わり研究発表会と称して歌舞伎をやっても叱られない。物分りのいい一門だったらやらせてくれるっていうのはあるのだけど。世襲制で封建的なのに加えて、ブルジョア的な利害関係もあるから、まちがうと商品をつくってるようなものにもなりますからね。

-長時間にわたって大変面白いお話をありがとうございました。
(2010年8月7日、シアターΧ。聞き手 伊藤昌男、水牛健太郎、宮武葉子、米山淳一)
(初出:マガジン・ワンダーランド第214号、2010年 11月3日発行。購読は登録ページから )

【略歴】
上田美佐子(うえだ・みさこ)
 シアターΧ(カイ)芸術監督・演劇プロデューサー。舞台芸術学院本科(文芸・演出)卒業。新聞記者、雑誌編集者などを経たのち、1989年、アンジェイ・ワイダ演出、坂東玉三郎主演、ドストエフスキー原作の『ナスターシャ』を手掛け、実現する。1992年に東京・両国に開設の劇場シアターΧの芸術監督・演劇プロデューサーに就任。芸術家たちの創造活動現場たる劇場を目指し、ポーランドのヴィトカッツィをはじめ、チェーホフ、ブレヒト、郡司正勝、つかこうへい、花田清輝等の作品を精力的に公演し続ける。その傍らNPO法人シアターコレクティヴを立ち上げ、若手の芸術家、演劇人の育成に努めている。

シアターX
東京都墨田区両国2-10-14 両国シティコア内 劇場1・2階、オフィス10階
TEL:03-5624-1181 FAX:03-5624-1155
Eメール:info@theaterx.jp

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