五反田団「迷子になるわ」

◎前田司郎はどのようにして迷子になったか。
 芦沢みどり

1.「迷子になるわ」公演チラシ
 10月末から11月末にかけての30日間、豊島区の劇場を中心に繰り広げられた「F/T10」が閉幕した。<演劇を脱ぐ>というキーワードを掲げて開催された今年で3回目の演劇祭。そのプログラム・ディレクターの相馬千秋は冊子の中で「今回唯一、自らが書き下ろす戯曲を演出する前田司郎は、敢えて『うまい劇作』の王道から離れ、『迷子宣言』をするという。これら(三浦基の作品も含めての意味:筆者補足)の上演を通じて、戯曲、俳優の身体をベースとした演劇創造の現在地点を再確認していきたい」、と『迷子になるわ』について前説している。
 そもそも<演劇を脱ぐ>というキーワードは、従来の演劇の前提条件となっている戯曲、テクスト、物語、俳優、演技、身体、劇場、舞台といったもろもろの「衣」を脱いでみることだという。この文脈からすれば五反田団の作品は、戯曲があり俳優がいて劇場の舞台で上演されたわけだから、ほとんど演劇を脱いでいない、と言えるかもしれない。にもかかわらずこの作品を観たあとの印象は、帯や帯締そのほか何本もの紐で体を締め付けて着ていたキモノを脱いだ時のような、あの解放感だった。

2.
 『迷子になるわ』には完結した物語はないが、一応プロットらしきものはある。のだと思う。
 -30歳の鈴木ミチルは大学を卒業してたぶんOLになった。たぶん、というのは彼女の職業が分かるようなセリフがないからだ。じゃなんでOL? というと、彼女は今親元で暮らしていて、母親から30過ぎてまだ家にいるつもりならもっと(カネを)入れろと言われるからだ。ということはOLもしくは何かの定職についている人でしょ? と思う。大学を卒業したミチルは大川という男と不倫の関係になったが、今はもう別れていて、そのあと学生時代に知り合った石田と4年くらい付き合った。が、その彼とも別れようとしている-
 ま、だいたいそんな感じだろうか。でもこれは舞台から得た情報をあとで整理するとこうなるというだけで、「いま」がどの時点かという肝心な点で確信が持てていない。話が時系列的に進まず行ったり来たりするのと、彼女の頭の中にしか存在しない姉とか、まだ生まれていない彼女の子供がいきなり登場して話を撹乱するからだ。いきなり登場して、と書くと舞台袖から別の俳優が出て来て演じると思われてしまいそうなので急いで断っておくと、登場人物はたぶん10人くらい。キャストは5人。ミチルを演じる女優以外の4人に9つの役が振られている計算になる。「いきなり登場」というのは、今まで父親だった俳優(前田司郎)が何の断りもなくいきなり不倫相手の大川になっていたり、石田がいきなり彼女の未来の子供になっていたりすることを指す。だから「いきなり登場」は「いきなり別人」と言い換えた方が分かりやすいかもしれない。話がどこに飛んだのかすぐには分からない時間軸と、この「いきなり別人」のほかに、この作品は異次元ギミックというとんでもなく奇妙な仕掛けまであって、ますます観客を混乱させる。

3.
 舞台装置はきわめて簡素。上手前方に簡易ベッドがあり、その後ろにパイプ椅子が舞台のうしろ半分を覆うように数列、整然と並んでいる。下手奥に結びコブのある赤いロープが一本垂れている。これだけだ。ここに異次元ギミックが出現する。
 最初は異次元生物。この言葉が対象を正しく表現しているかどうか自信ないけど。石田と付き合い始めたミチルは有楽町で彼と待ち合わせ、東京タワーを目指して歩き始める。舞台後方に垂れ下がった赤いロープが照明でオレンジと赤の縞模様に染め分けられる。最初、何なのこれ? と思っていたロープが東京タワーの表象となる。タワーの下で深いブルーに沈んだ椅子の列は、夜のビル街か。装置としては安上がり。でもけっこう雰囲気があって美しい。チープではない。で、東京タワーは何メートル? なんて二人で話をしながら歩いていると、いきなり巨人が現れる。これが異次元生物。この巨人はミチルの母親で、二人はいつのまにか彼女の実家に来ていたらしい。デカイ母親を恥じたミチルは石田に帰ってもらう。ここでシーンは家の中。母親がミチルに、まだ家にいるつもりなら、と先述の家に入れるカネの話をしながら服の前に付いたファスナーを開けると、そこから父親が顔だけ出してミチルに説教する。カンガルーのお腹の袋から赤ん坊が顔を出すのをイメージしてもらえばいい。俳優が女優を肩車して、それを服が覆っていたわけだが、これって極め付きの「いきなり登場」だよね。
 もう一つの異次元は空間的なもの。ミチルは石田とデートをしている途中で穴のあいた歯を治療してもらいに歯医者へ行く。診察室に通されると、そこは産婦人科の診察台。え? わたし歯の治療に来たんですけど、と戸惑うミチルを尻目に医者と看護師は有無を言わせず彼女を診察台に寝かせて、彼女のたっぷりしたスカートの裾を洗濯バサミのようなもので挟んで上に吊るす。客席から見るとミチルの頭はこちら側にあり、お腹の上にスクリーンが張られた状態。スクリーンの向こうに置かれたライトがオンになり、開いた両脚のシルエットがスカートを透かして見える。イヤ、これってちょっとヤバくない? 舞台でこんなもの見せていいのかな、と少々うろたえて態度を決めかねている観客を尻目に、医者はスクリーンの向こう側でコッヘルだかファッセルだか聴き慣れない名前の工具を使って治療というか工事のようなことを始める。やがてミチルの姉を看護師に連れて来させ、三人で穴から彼女の体の中へ入って行く。こうなるとヤバイという羞恥心というか感性も吹っ飛び、観客はあっけにとられて笑いながら眺めているしかない。ミチル自身も「靴下を裏返す」みたいに自分の体内に入って行く。んなことできる? とは思うものの、何となく納得させられてしまうのだ。
 診察台(ベッド)の下から4人がはい出ると、そこはマンションの一室。医者いきなり父親、看護師いきなり母親、姉いきなり不動産屋、ミチルあいかわらずミチルの4人が、これから一人住まいを始めようという彼女の部屋探しをするシーンになる。

4.
 今思い出した! ミチルの付き合った大川と石田の胸には<OFF>スイッチがあって、押すと死んでしまうらしい。リセットではなく一方通行のオフスイッチだ。これとか、父親と母親が合体した巨人とか、産道を逆行して自立に至る過程とか、もろもろの仕掛けの説明をひねり出そうとすればできるんだろうけど、なんかあまりおもしろくなさそう。それより、こういうギミックは前田司郎の小説の読者にはお馴染だという点に注目してみたい。たとえば『愛でもない青春でもない旅立たない』は東京に住む大学生の「僕」が、友達と東京の街をあちこち歩き回って見聞した事物の描写を織り交ぜながら、「僕」が生きていることの得体の知れない恐怖とか、恋人とも究極的には分かりあえない寂しさとかが描かれる。その冒頭に近いところで「僕」が恋人とセックスをしたあと、彼女のタンスをひっかきまわしているうちにいきなり海の中に入っていて、そこからしばらく「僕」は現実世界へ戻って来ない。
 この非現実的な世界はシュールな白昼夢というよりドラえもんのどこでもドアに似ている。シュールな世界に至る周到な描写なしに、いきなり非現実の世界に行ったり現実に戻ったりするからだ。でもドラえもんを引き合いに出して幼稚だと言っているのではない。たぶん前田自身は、現実から非現実に至る周到な説明がウソ臭いと感じているのだ。と思う。頭の中で考えたというより本人にとっては体感できる非現実世界なのだろう。フィクションの中でいきなり非現実、というのはリアリティーがなさそうだが、前田司郎の場合、描写にはベタな身体性─皮膚、内臓、分泌液、匂い、味、触感─が伴っているので、そこには不思議なリアリティーがある。

5.
 『迷子になるわ』で舞台に立った俳優・前田司郎についても同じことが言えるのではないだろうか。彼がほとんど演じているように見えないのは、戯曲の世界と身体が一体になっているからだ。
 そして今回は小説家・劇作家・俳優という職能的垣根を取り払い、これは小説で描写できても舞台ではちょっとねえとか、そんなこと俳優が舞台でできるわけないでしょ的なものにあえて挑戦したのではなかろうか。「うまい劇作の王道から離れる」というのは、舞台機構を隅々まで知り尽くした職人的劇作家をやめるということなのだろう。
 演劇を脱げと言われて、僕、迷子になると宣言した前田司郎がしたのは、演劇の職能の縛りをほどくことだったのではないかと思う。観劇後の解放感はそこから来たのだろう。
(初出:マガジン・ワンダーランド第219号、2010年12月8日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
 芦沢みどり(あしざわ・みどり)
 1945年、天津(中国)生まれ。演劇集団円所属。戯曲翻訳。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/ashizawa-midori/

【上演記録】
五反田団『迷子になるわ』(フェスティバル/トーキョー10)
東京芸術劇場小ホール1(2010年11月5日‐11月14日)
作・演出:前田司郎
上演時間:100分(休憩なし・予定)、全公演英語字幕つき上演

出演:伊東沙保 後藤飛鳥 宮部純子 大山雄史 前田司郎
技術監督:松本謙一郎
照明:山口久隆(S-B-S)
衣裳:正金 彩
舞台監督:榎戸源胤
字幕:門田美和
制作:尾原綾、清水建志
製作:五反田団
共同製作:フェスティバル/トーキョー
助成:芸術文化振興基金
主催:フェスティバル/トーキョー、五反田団

料金:自由席 一般 前売 3,500円(当日 +500円)、学生 3,000円、高校生以下 1,000円(前売・当日共通)

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