連載「芸術創造環境のいま-小劇場の現場から」第9回

||| 特色あるプログラム

-こちらの劇場はどちらかと言えば、新劇系の作品を上演するということですけれども、去年の自主公演は、中野成樹さん演出の『長短調(または眺(なが)め身近(みぢか)め)』と矢内原美邦さん演出、振り付けの『桜の園』で、新劇系とはかなり違う小劇場系のものでした。どうしてこの2公演だったのでしょうか。
松島 路線とは異質に見えるかもしれませんが、大きくくくると、この2演目も昨年1年にわたって開催したチェーホフ・フェスティバルの一環なんです。古典ともいえる「チェーホフ」を、いろんな角度から上演してみようというアイデアから始まった。いろいろなカンパニーと協力して演目をラインナップしていったのですが、その中で、あうるすぽっとのプロデュース作品はあえて、挑戦的なプログラムにした。ストレートプレイだけじゃなくて、あえて、矢内原さんの創られるようなコンテンポラリーダンスや、翻訳劇を新しい解釈で上演している、中野成樹さんの作品をラインアップしたわけです。『長短調…』は、プロデューサーが以前から中野成樹さんの活躍に注目していて、チェーホフをラップにしてみたいと中野さんが話していたことを知って、フェスティバルの一環で作品を創らないかと相談したら、ああいったアイデアが。タイトルからして誤意訳ですよね。「眺め身近め」なんてね。眺める席と、身近で見る席とあって、同じ舞台でも、お客様はどちらかしかみられないという構造にしたわけですから。好評だったんです。なかなか趣向に富んだ舞台だったんですけれど、これもチェーホフ・フェスティバルという企画の中から出てきたんですよ。

-小田島さんは、あれを見てどうでしたか。
松島 質問の意図が分かりますね。小田島さんは、見ないです。いや、見てたけど寝てました(笑)。

-顔触れも、ごまのはえさんとかもいたし、すごく実験的でしたね。
松島 ごまのはえさんは、図書館顧問の粕谷一希さん(評論家・元中央公論編集長)が珍しく、一番面白かったって言って喜んでくれて、彼に手紙を書いてくれました。私も面白かったですけれども、本当にストレートプレイの神髄みたいな作品創りをしていたんですよ。
-ということは、集客も良かったということですか。
松島 そこが難しいところです(笑)。そもそもチェーホフというコンセプト自体がそんなに集客は見込めないのかもしれません。まして、彼の(彼らの)活動拠点は京都ですからね。

松島さん(右)と小沼さん
【写真は、松島規さん(右)と小沼知子さん。あうるすぽっと会議室。禁無断転載】

-今年の自主公演は何をなさるんですか。
松島 ひとつは地域に注目しています。要するに去年のチェーホフ・フェスティバルのようなものは今年は難しくて、今年は地域融合プログラムを打ち出したいとおもっています。ワークショップ的なものが多いです。それから、こういう豊島区以外の他の地域・地方との交流も含めた意味で、地域をキーワードにして何かをやっていこうということも考えています。
小沼 主催公演事業としては4作品あります。ひとつは、『おもいのまま』(6月30日-7月13日)という飴屋法水さん演出の作品です。ふたつ目は、岡田利規さんと森山開次さん、2人のアーティストが作りだす新作『家電のように解り合えない』を上演します。そして3本目は白石加代子さんと中嶋朋子さんが主演の2人芝居で、『おやすみ、かあさん』という作品、演出は映画監督の青山真治さんです。あと4本目は、地域融合を考えたプログラムで、タップダンサーの熊谷和徳さんを中心に作るパフォーマンスがあります。
 間近に控えた『おもいのまま』は、石田えりさんと佐野史郎さんのお2人をメインキャストにしたお芝居です。演出・美術を担当する飴屋法水さんは、独創的な作品創りで注目を浴びていますが、今回はステレオタイプな演劇に近いテキストなので、それをどうやって演出するのかが、面白いところかなと思います。

-『転校生』(飴屋演出)のような舞台を、もう一度見てみたいなと思いますね。
-飴屋さんが、あうるすぽっとで上演した『4.48サイコシス』も、すごい舞台でしたね。
小沼 サイコシスは、本当にいろいろな評価をいただいて、劇場としてもかなり画期的な作品だったと思います。
-いろいろな評価というのは、賛否両論という意味ですか。
小沼 いい評価の方が、沢山いただいていると思いますけれども。
松島 ロビーもプールで血の海にしちゃってですね。そこにオートバイ置いて。
-劇場大丈夫なの? って思いましたね。
松島 客席との逆転もすごいですよね。舞台が客席ですからね。

-あと、ひとつの建物に図書館と劇場が一緒にあるって珍しいですよね。
松島 これは珍しいです。アーカイブとしての図書館を置いている、そして学習スペースがある。これはそもそもは図書館として作っていた場所。ところがそれだけじゃもったいない、劇場を作ろうということになって、劇場と図書館が同じ建物にということになっちゃったわけですから。だから連携はとれているんです。
-チェーホフ・フェスティバルのときはチェーホフ講座をしたり。
松島 そうです。そうした企画を作るんですね。逆に言うと、三島由起夫作品を上演したときは、三島の本を図書館から貸し出していただいて展示ボックスを作り、劇場ロビーに展示したり、三島の著作を図書館のエントランスに出してもらったりもしました。

-最後にとっておいた質問があるんですが、いまずっとお話を伺っていて、松島さんは確か編集者の経験もあり写真美術館の仕事もしています。オペラや大衆芸能、伝統芸能の仕事もされたと聞いています。そういう多分野の広いネットワークを持っているのですが、演劇との出会いというのは学生時代からなのですか。それとも学校を出てからなのでしょうか。
松島 演劇はあまり好きじゃなかったんですよ(笑)。ただね、福田恆存は好きだった。でも、彼の翻訳戯曲ではなく、評論です。例えば「平和論にたいする疑問」とか。演劇そのものはなんか面倒くさくてあんまり好きじゃなかったですね。シェイクスピアもセリフばっかりでなんか疲れちゃうなと(笑)。
 ところが、1983年の東京都文化振興会発足のとき、事業課長だったものですから演劇にも携わるようになりました。鈴木俊一都知事の時代ですね。当時は振興会の主要ポストは全て役人かそのOBで占めてました。私が民間から入って、初めてプロパーで中間管理の立場にいたわけです。そういうのはそれまでなかったわけですね。事業課長として、伝統芸能も大衆芸能も手がけました。都民オペラ劇場もそうです。二期会とはオペレッタもやりましたね。
 余談ですが、都民大衆芸能フェスティバルで最初に売り出したのはいまの「爆笑問題」です。NHKサービスセンターと組んで、イイノホールでやってたんですよ。幇間芸とか南京玉すだれとかも大衆芸能ですから、ずいぶんいろいろやりました。それから伝統芸能として能をやったり。要するに文化振興会には、東京都の文化政策を代行するような役割がありましたね。
 そのうちに美術館をやれば写真美術館もやり、本当に浅く広くなんですよ。写真美術館時代は、写真家の方々との付き合いもよくありましたね。
 雑誌『東京人』の創刊も、編集長に「中央公論」の編集長だった粕谷一希さんに来ていただいた。有名なニューヨークの雑誌『ニューヨーカー』に匹敵する『東京人』という雑誌を作りましょうと、粕谷さんを座長として知事の諮問機関を作ったわけです。その答申を得て、雑誌の発行に至ったんです。

-松島さんは『東京人』編集部にいたことがあると聞いたけれども、松島さんがむしろ『東京人』を作る側だったんですね。
松島 編集部にはいません。創刊から続いて発行でした。私は元来ジャーナリズムの世界ですね。演劇は、専門ではない、ただ、人は知っている。

-何か衝撃的だった舞台作品とかありましたか。これでちょっとものの見方が変わったかな、みたいな。
松島 舞台はいろいろ観たけど、ないですね。やはり書籍のほうが多いですね。まあ端的に言うと、例えばマルクスとか、そういうものもありますけれど、印象的だったのは以前に読んだ藤原新也さんの『東京漂流』です。こういう文章が書ける人はたいしたものだと思ってね。立花隆さんが出てきた時にも驚きました。いまは佐藤優さんかな。

-立花さんは、本当に最初のころ、まだ田中角栄金脈研究のずっと前のことですね。
松島 立花さんというのはシステマチックですから、当時は納得いくまで古本屋街にいる人なんですよ。全部調べる。風評で書かない。活字になっているデータで書く。だから、裏は全部とれているわけです。

-松島さんはもともとジャーナリズムに興味があったんですか。
松島 大学の専攻もそうですが、ジャーナリズムが好きだったんです。むしろそれが良かったんじゃないですかね。結局、演劇界って狭い世界で回っているじゃないですか。もっときちんと定着させればいいんじゃないかって思うくらいですよ。私なんか演劇界では誰も知らないから、むしろそのほうが良かったかもしれませんね。あんまり演劇の専門家がこういう館のトップにならない方がいい。それはさっきの芸術監督論じゃないけれど、特化しすぎちゃうから。むしろずっと見渡せて、制作にはこういう専門家がいる、管理・技術にはこういう専門家がいるって配置していける人がいいんじゃないでしょうかね。あとは口出ししない。

-本当に口出ししないんですか(笑)。
松島 本当です(笑)。ただ、闘うときは闘いますよ。そういう役割ですよ。
(2011年2月24日、あうるすぽっと。聞き手:北嶋孝、大泉尚子、都留由子。編集協力:都留由子、松岡智子、米山淳一)

あうるすぽっと
 あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)は、2007年9月10日にオープン。高層ビルの2-3階にある都市型劇場。キャッチコピーは「人と文化が集う劇場(ばしょ)」。301席の小劇場ながら、広い舞台と充実した機材を揃え、ホワイエと客席はスタイリッシュでゆったりしていることで知られる。

【略歴】
 松島規(まつしま・ただし) あうるすぽっと支配人
 1946年埼玉県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、雑誌、書籍の編集・出版に携わる。1983年東京都文化振興会(現・東京都歴史文化財団)設立と同時に事業課長として多くの文化事業を担当。東京都写真美術館、東京芸術劇場を経て、2006年「公益財団法人としま未来文化財団・劇場開設準備室長」、2007年「あうるすぽっと」のオープンとともに現職。

 小沼知子(こぬま・ともこ) あうるすぽっとプロデューサー・広報担当
 1978年埼玉県生まれ。学習院大学法学部政治学科卒。広告代理店にてマーケティング事業を担当。その後、東京都写真美術館にて普及・広報担当を経て、2006年「公益財団法人としま未来文化財団・劇場開設準備室」広報担当として勤務、2007年「あうるすぽっと」のオープンとともに現職。

「連載「芸術創造環境のいま-小劇場の現場から」第9回」への10件のフィードバック

  1. ピンバック: 文化の家
  2. ピンバック: aera
  3. 次のなば缶の会場にして欲しいです!前回は200人規模の会場でチケットがすぐ売れたのでご一考をお願い致します

佐藤敏之 へ返信する コメントをキャンセル

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