劇団森キリン「ホッパー」(クロスレビュー挑戦編第7回)

 劇団森キリンは森山貴邦(演出)と森下なる美(作)の2人が2008年に結成した演劇ユニット。「人そのものを描くのではなく、人と人との間に流れるもの、時間・空間・イメージの豊かな共有を目指す」という。今回の公演は「気付かれずに消えていく感情に焦点を当て、現在から過去や未来に、巻き戻したり早送りしたり、そうすることで消えていった、また、いま消えていく感情に立ち会う」(いずれも公演情報)そうです。実際の舞台はどうだったか、それぞれ5段階評価と400字でレビューします。掲載は到着順です。(編集部)

佐藤亮太(劇場スタッフ)
 ★★★
 流れの美しい作品だった。
 芝居・動作の時間、各々の役の時間、物語の時間。この3つの時間の絡まり方が見事であった。芝居の時間は観客も見ることが出来る現実の時間である。各々の役の時間は彼らが見た現実で出し入れ出来る時間である。そして物語という大枠の時間がそれらを一つに結び付けていた。
 では、その中には何があったか。嘘ではなく現前しているのだが、対象が判然しない会話の中で掬いとることが難しい曖昧なものである。むしろ何を掬いとるかが観た各々の記憶になっていくのだと思う。金魚鉢の中の金魚はそれぞれの物だ。それらが最後の台詞である「それ、おれのじゃない」を非常に説得力のあるものとして際立たせていた。
突飛な仕掛けは無いが、流れる水の音と共に誠実に丁寧に描かれていた作品だっただけに、もっと曖昧な言葉を使っても伝わる・もっと遠くまで振っていいと感じる箇所もあり、役者たちの成長も含めて次回も気になる劇団になった。
(5月26日19:30 観劇)

木俣冬(フリーライター)
 ★★☆(2.5)
 トライしていますね。男女5人がカウンターとテレビとマイクくらいしかないシンプルな舞台空間に立ち、日常生活の断片を再現していく。はじまる際、かすかな水音が聴こえ、正面の壁の5つの豆電球がポツポツとつく。終始そのようなささやかさで行われることを私たちはL字型の客席からじっと見つめていました。
 思い出なのか現在のことなのかもわからない、事件らしい事件も起こらない。絶え間なく続いていく時間の中の断片を切り出して提示するということは、撮影フィルムからコマを切り出し、意味を一切つけずに並べて映画にするような行為に近いのでしょうか。ダンスではなく演劇でそれをやろうとしていることが野心的。
 「私」の記憶や思いが漫画のネームのように散文的に空間に立ちのぼり、「私たち」が溶け合っていく。こういう世界は気持ちよいものです。ただ、たくさんの人を相手にするためには用意周到な仕掛けをもって取り組まないと、ひとり遊びに終始してさみしさが募ってしまうかもしれません。
(5月26日19:30 観劇)

大泉尚子(ワンダーランド)
 ★☆(星1.5)
 退屈な日常の断片を切り取って提示するという狙いであれば、それはピタリと当たったと言えよう。都会に出ていて田舎に帰ってきた妹と家に残っていた姉の若い姉妹。近所には、いとこも住んでいる。昔はよく皆で遊んだものだ。キャッチボールをしていて、それて草むらに投げ込まれたボールが、なかなか見つからなかったり…。男女数人の、ごく短くさりげないやりとりが、いくつも重ねられるうちに、そんな、ストーリーともつかない筋立ての輪郭がぼんやりと浮かび上がってくる。稽古場でのエチュードをまんま舞台にのせたような趣で、男性は同じ役を3人が順番に演じたりもして、その印象を強めた。セリフには、「あそこはあんなだったっけ?」といった指示代名詞や、「みつからない」「失くした」「そのボールは俺のじゃない」と否定的な言葉も少なくない。固有名詞やポジティブなイメージが成立し難い後ろ向きな世界。全体に淡く淋しげな雰囲気が漂っていたが、そこに、何らかの新鮮さや繊細さなど、食い込んでくるものが見出せなかった。重ねられたシーンの微妙なズレ感を醸し出そうと試みたのだとすれば、戯曲と演技の両面で、もっと工夫が必要ではないだろうか。
(5月28日14:00 観劇)

都留由子(ワンダーランド)
 ★★☆(2.5)
 当日パンフのごあいさつに書かれている通り、ストーリーらしいものはなく、「ありふれた会話」や「主題すらわからないような会話」の連続である。他から切り離され断片になることで部分はクローズアップされ、普段は意味やストーリーに紛れて見えなくなっている部分それ自体の美しさ・愛おしさ・醜さ・空虚さ・豊かさなどが見えてくるという構造だろうと思ったのだが、残念ながら評者にはそのあたりがあまりよく見えなかった。微かな水の音、高校野球の中継、金魚、赤とんぼ、お土産の梨、墓参り、友人とのキャッチボール、久しぶりに会う幼なじみ、ふざけていたのについ本気になってしまったバツの悪さ、行方不明のボール、答えのない問いかけなど、イメージを喚起するものがたくさん提示されていたのに、なぜだろう? それにしても、こう並べてみるととてもノスタルジックなことに驚く。若ければ若いなりに昔を懐かしむ気分はあるということか。
(5月28日14:00 観劇)

北嶋孝(ワンダーランド)
 ★★
 金魚、トンボ、キャッチボール、電話、ちゃぶ台、日記…。姉妹、兄弟、父母、友達…。少年少女期の身近にある世界が淡い色彩で描かれる。描線は定かでなく、かつ切れ切れ。時間の往還も明確な刻み目があるとは思えない。たとえて言うと水彩画の淡い連作スケッチだろうか。
 この舞台は意識的に余白の多い空間を構成し、観客の想像力を取り込めるように仕立てたかったのかもしれない。そこで想像空間の穴に引き込まれると、もう一つの光景が立ち上がってくるはずだった。
 しかしその扉はどこにあったのだろうか。キーとなる言葉やシーンを見つけられないうちに、蝉の鳴き声が遠くに響く終盤を迎えてしまった。子供時代の旧懐シーンで蝉が鳴けば、それはもうお仕着せのイメージで覆われる約束事の世界ではないか。感度の鋭い人たちがうらやましい。想像世界を感受する前に、感度の鈍いぼくは定番の日常に引き戻されてしまった。
(5月28日18:30 観劇)

【上演記録】
劇団森キリン「ホッパー
アトリエ春風舎(2011年5月26日-29日)
作:森下なる美
演出:森山貴邦

出演:野島昭平 林大樹 檜垣真里絵 星秀美 吉原真理

スタッフ
照明:江花明里
音響:中村光彩
制作:飯塚なな子(Ort-d.d)
舞台美術:島田淳夫
宣伝美術:森下なる美
料金:一般 予約:2000円 当日:2300円 学生 予約:1500円 当日:1800円
企画制作・主催:劇団森キリン
協力:Ort-d.d

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