連載「芸術創造環境はいま-小劇場の現場から」第13回

||| 観客があっという間に引いていく

-大石さんの移動範囲は広いけれど、公共施設の舞台芸術、特に演劇への関心は一貫してますね。

大石時雄さん大石 そうですね。ご存知のように1960年代後半にアングラが生まれて、状況劇場(赤テント)や黒テントの地方公演などを見て、芝居のおもしろさを知りました。1970年代に魅力的な劇団が東京で毎年のように誕生して、それらの劇団が大阪公演をやってくれるようになったのが1985年に扇町ミュージアムスクエアと近鉄劇場・小劇場が生まれてからでした。それまでは黒テント、状況劇場、つかさん、東京ヴォードヴィルショー、東京乾電池くらいですよね、新劇以外はね。
 当時、ほとんど全部の公演を手伝ってたから分かりますけど、名古屋からも京都からも神戸からも奈良からも、お客さんが東京の人気劇団の公演を近鉄劇場・小劇場に見に来たりして、芝居のお客さんがばーっと増えた。それが1980年代の後半。1970年に生まれた劇団が1980年代に大阪公演をやるようになって、関西のお客さんを膨大に増やした。だけど、1980年代から1990年代に東京では公共劇場が生まれて、人気劇団の作家と演出家と俳優を一本釣りし始める。フジテレビが段田さん(夢の遊眠社)などの人気のある俳優さんを一本釣りし始めると、やがて劇団は活動ができなくなった。当然のように大阪には来なくなった。するとあっという間に、潮が引くようにお客さんがざーっと引いて行った。そうなると扇町ミュージアムスクエアも近鉄劇場・小劇場も建て替え必要になったときに、もう建て替える意味がないって閉鎖になる。増えたお客さんが消えていくだけならいいんですけど、地元関西・大阪の劇団・アマチュア劇団にもお客さんが入らなくなった。つまり、もう小劇場演劇は旬じゃない。もういいよ、演劇は、って空気になった。地元の劇団すらお客さんは入らなくなった。それがもうずっといまでも続いている。
 その状況は自分の身体でひしひしと分かるので、東京以外の場所に劇場ができたときに、東京の劇団を呼んだからといって、それは地元には何も残さないという結論に達した。逆に悪い影響を及ぼす可能性が高い。だから、東京の劇団を招聘して地元の演劇ファンに見せることが地方の公共文化施設・劇場の自主事業の主たる活動ではない。私がそう言い切れるのは、あれだけたくさんおもしろいお芝居があって、あれだけお客さんが増えたのに、劇団が来なくなったらあっという間に消えていった。その現実をほんとに目の当たりに見ているからなんです。

-90年代の半ばというと、バブルが弾けて経済が沈滞し、東京では現代口語演劇に代表される「静かな演劇」の始まったころです。ベテラン、中堅の演劇人の中にも現代口語演劇に共鳴する人が出てきて、何となくアングラ演劇、小劇場ブームは去ったなという感じがしていましたね。

大石 やっぱり時代が要求するものって、絶大にありますよね。

-文化状況も経済状況も、失われた20年と言いますが、私はむしろバブルのように膨らんでいる方が異常で、これからは高齢化が進んで非成長の状況が恒常的に続くのは間違いないと思います。そこにどう根を張って生きていくか、その代わり何を諦めていくかが、あらゆる分野で試されると思いますね。

||| 新しい価値観を生み出して

大石 今人気のある若手劇作家の公演をアリオスの小劇場で見るわけですが、世代的な違いがあるから私の目で彼らを評価するのがよくないとよく分かっててあえて言いますと、いまの高校生や若者の生活、つまり風俗を描くという面では、相当センスがあるし、すごく新鮮だとは思うんです。だけど「人間ひとりひとりを描く」というか「人物を掘り下げる」という点では、きわめて薄くなってるという気がしますね。でも新劇を見るのが当たり前だったところに、私らの世代も状況劇場や黒テント、つかこうへい事務所の公演を見て、「すげえおもしろい」と言ってたんだから、同じようなものかなって思ってたんです。でもこの前久しぶりに終戦記念スペシャルで山田洋二監督、吉永小百合主演の映画『母べえ』を見たら、山田洋二の台本・演出、吉永小百合の演技そのものに込められている、深い、濃密さ加減は普遍的なもので、クリエイションする人には必要なことじゃないかなという気持ちになりましたね。やはり、人間を描く、人間を表現するって、力がないと出来ない。

-なるほど。見る人の視線によって掘り下げ可能な人間がいる、そういう状況があるということでしょうか。ただ風俗だけでなく、またひとりの人間だけでもない、世の中全体があてどなく漂っている時代は、私たちの内面が希薄になり、表面化している状況が広がっています。そういうリアルを表現しようとすると、従来の方法ではなかなかうまくいきません。発声から演技のスタイルまでビシッと叩き込まれた従来型の演劇的身体が、いまを表現するのはとても難しいのではないでしょうか。それはそれで致し方ないのではないかという気がしますね。

大石 20代、30代の人たちは、私らが育ってきた「経済高度成長」時代の価値観とは全然違うものを持っているでしょうから、そこに期待をかけるしかないのかなと思います。この震災を「第二の敗戦」という言説がありますね。そうであるならば、第二次世界大戦を生き残った、私らの祖父祖母世代ががんばって日本を復興した。団塊世代はその復興の経済的成果を享受し、バブル崩壊の後を受けてリタイアして、ジジババになろうとしている。今回の震災が本当に第二の敗戦だとしたら、生き残ったわれわれと若い人たちが、前と同じように経済成長をまた追っかけていったら結局、物欲・金銭欲・性欲を満たしてくれるのが人間の楽しさだということになっちゃう。同じ轍を踏むことになるでしょう。だから若い人たちは価値観を変え、経済成長とは違うものを求めていくようになってほしいなあと思いましたね。
 早稲田のフォーラムで最後に言ったんですが、価値観が変わり、その変わった人たちが活躍すれば、世界は変わる。戦後の日本が築いてきた価値観、エコノミックアニマルと揶揄された時代の価値観、バブルが崩壊した後までも継承され、テレビやネットやパソコンや携帯電話、そういう社会の中で刷り込まれてきた価値観、そこのDNAはあまり変わってない。だからそこをいちどカパッと変えてもらいたい。劇作家、作曲家らのアーティストたちから、次の若者世代をリードしていくような、今までの日本人の価値観とは違う世界の価値観に引っ張っていくような、そんな作品が生まれてきたらなあ、っていうのが私の希望ですね、ささやかな。

-いわきの地から、そういう力が育つことを願っています。大石さん、お願いしますね(笑)。
(2011年8月21日、いわきアリオスで。聞き手=北嶋孝、編集協力=大泉尚子、都留由子)

(注)フォーラム「大震災と芸術文化 現場からの証言」(主催:早稲田大学 演劇博物館グローバルCOEプログラム)。2011年6月14日、早稲田大学小野記念講堂。パネリスト:新沼祐子(盛岡劇場) 鈴木拓(杜の都の演劇祭) 大石時雄(いわきアリオス) 松本小四郎(水戸芸術館)、モデレーター:伊藤裕夫(芸術文化環境研究コース客員講師)

【略歴】
 大石時雄(おおいし・ときお)
 1959年福岡県生まれ。大阪芸術大学舞台芸術学科演技・演出専攻卒。広告代理店を経て伊丹・アイホールの設立に参加。パナソニック・グローブ座(現東京グローブ座)制作担当の後、世田谷パブリックシアター、可児市文化創造センター、いわき芸術文化交流館(いわきアリオス)の創立に参加。2008年のオープンから同館副館長・支配人。

いわきアリオス全景
【写真は、いわきアリオス全景。提供=いわきアリオス 禁無断転載】

【いわきアリオスとは】
 いわきアリオス(いわき芸術文化交流館)は2008年オープン。地上6階地下2階。コンサート用の大ホール(1800席)多目的の中劇場(500-600席)演劇・ダンス公演用の小劇場(230席)のほか、音楽小ホール(200席)、リハーサル室、スタジオなどを備えた総合文化施設。市直営の下、地域交流を軸にした多彩な活動が各地の公的施設から注目されている。


「連載「芸術創造環境はいま-小劇場の現場から」第13回」への10件のフィードバック

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