密陽夏公演芸術祝祭(韓国)

◎演劇交流の礎
 金世一

■はじめに■

演戯団コリペ活動拠点地図 気温34度に迫る夏の強烈な陽射し。心臓までが溶けてしまいそうな天気だな、と思いきや嘘のような土砂降り。梅雨の東京にも負けないくらい気まぐれな天気の、ここは韓国の密陽市。釜山から80kmほど離れた内陸に位置している。日本では映画『シークレット・サンシャイン』の背景になった所として知られている。

 高速道路から降りて料金所を通ると、立て看板が訪問者を導いてくれる。看板の矢印が指している方向へ車を走らせると、陸橋に掛けられているプラカード、そして街灯に掲げられて風になびいている案内用の旗が手招きをしてくれる。まるで街全体が訪問者を待っていたようだ。

 筆者を乗せた車を駐車場に止めたとたん、いくつかの黄色いバスが入ってくる。バスの扉が開くと、さえずる雀の群れのように子供達が降りてくる。小学生には違いないが様々な年齢。いつの間にか駐車場は子供達でいっぱい。今は7月下旬、学校も休みに入っているはずなのにどこからあんなに団体でやってきたのか。絶えずしゃべりながら歩く子供達が入っていったのは密陽演劇村。「2011密陽夏公演芸術祝祭」(以下、密陽祝祭)が行われている場所。密陽の街全体が活気に溢れていて、ここが訪問者の最終目的地である。

黄色いバス
【写真は、子供たちが乗る黄色いバス。 撮影=筆者 禁無断転載】

子供たち
【写真は、密陽演劇村にやって来た子供たち。撮影=筆者 禁無断転載】

 子供も、そして大人達も到着した。準備万端整い、観客も揃った。2011年7月27日16時。密陽祝祭のスタート公演が行われる。これから12日間、夏の演劇旅が始まるのだ。

 これから2011年の密陽祝祭に関する情報を、ワンダーランドをお読みになっている皆さんに紹介したい。密陽祝祭を語るためには、密陽演劇村という場所について、そして芸術監督である李潤澤(イ・ユンテク)及び彼が主宰する団体である演戯団コリペに関しても触れないといけないので簡単に述べておこう。

■密陽演劇村■

●李潤澤と演戯団コリペ

李潤澤さんの写真
【写真は、イ・ユンテク氏。演戯団コリペのHPより】

 作家兼演出家である李潤澤が率いる演劇集団が演戯団コリペ(www.stt1986.com)で、正確にいうと李潤澤は演戯団コリペの芸術監督という肩書きを持っている。廃校になった田舎の学校の校舎を密陽市が無償で提供し、演戯団コリペが1999年から定住しつつ創作活動を行っている場所が密陽演劇村である。密陽祝祭は2001年からスタートし、今年で11年目を迎える。密陽演劇村をめぐる話も非常に面白いが、それだけで一回分の話になるのでまた別の機会にしよう。

 演戯団コリペは今年で創立25周年を迎える。今年の密陽祝祭はお祝いの公演が特別に企画されていた。劇団は「ドヨ創作スタジオ」で滞在しつつ創作活動をしていて、「密陽演劇村」では公演や一般人向けの演劇ワークショップなどを行っている。そして創作された舞台をソウルの「ゲリラ劇場」と釜山の「カマゴル小劇場」にて上演している(地図を参照)。

■2011の祝祭■

●全体日程

密陽祝祭の日程表
【密陽祝祭の日程表】

▲作品の数
 今年の祝祭は、12日間に渡って、密陽演劇村の7箇所の劇場で43の公演や行事が行われた。密陽祝祭の全体は大きく7つの細部企画に分けられていて、各企画のタイトルと参加作品もしくは行事の数をまとめると次のようになる。
○25周年記念公演 4
○若手演出家展
 競演 9
 非競演 5
○招聘公演 6
○海外交流公演 3
○企画公演 5
○大学劇 6
○付帯行事 5

演劇村の施設図。演戯団コリペのHPより
【演劇村の施設図。演戯団コリペのHPより】

▲その他
 それ以外にも案内ブースや建物の廊下がイベントの場所として存分に活用されていた。上記の細部企画でも分かるように、2011年の密陽祝祭は演戯団コリペの25周年記念行事が数多く行われていた。例えば建物の廊下には、演戯団コリペの25年史を辿る、ポスターや新聞と雑誌の記事が掲示されていた。野外にはブースを設置し、祝祭関連グッズや演戯団コリペの上演DVDを販売していた。そして劇団の舞台装置や小道具や衣装などが展示され、演劇村を訪れた観客が触ったり写真を撮ったりしていた。演劇村を訪れた観客は、演劇を観ることのみならず触れる経験もでき、演劇を共感覚で感じていた。

ブースの写真
【写真は、グッズや上演DVDを販売しているブース。撮影=筆者 禁無断転載】

●演劇交流の場としての祝祭

 「祭」という文字がつく現代の催しは、宗教的なものよりは交流が行われることを主な目標にしていると言っても過言ではないだろう。芸術祭もしくは演劇祭でも同じで、作り手側は他の芸術家に刺激をもらえる、そして観客は様々な作品に出会える。筆者は、今年の密陽祝祭が舞台芸術を通じた交流の場として如何に機能をしていたのかに関して考えたい。そして密陽祝祭が新たに試みている交流についてお伝えしたい。

▲中央と地方の交流
 日本だけではなく韓国も、芸術活動の場もしくは機会は、比較的首都の方に集中している。特にソウルの大学路にはおよそ100軒の小劇場が集まっていて、そこでほぼ毎日演劇が上演されている。ソウルでは、大学路に行けば必ず演劇が観られることは周知のこととして一般に認識されている。しかしながら地方ではそうはいかない。韓国第二の都市釜山(プサン)でも、演劇というものがどこで行われているのかを知らない人が少なくない。ソウルで行われている演劇公演は地方に比べると圧倒的な数であって、人口10万人程の密陽のような都市では演劇というものを経験する機会がなかなか得られない。

 そこに多様な公演を市民に供給しているのが密陽祝祭なのだ。毎年の観客数が3~4万人に達するほど市民からの人気を得ている。密陽市民に厳選された舞台芸術を届けるという意味でも文化の交流が行われていることは間違いない。しかし中央と地方の交流は、観客に中央の舞台を提供することだけにとどまらない。

 韓国でも、少なくない地方の演劇人がソウルへソウルへと活動の場を移しつつある。いくら地方で頑張っても、マスコミで扱われない、映画やドラマの出演の縁もつながらないなど、地方ばかりで演劇活動をするとなかなか前に進めない、つまり成功できないことが理由としてよくあげられる。世の中が自分の存在を分かってくれないからなどの理由で、地方の演劇人は中央へ進出したがる傾向がある。しかしながら中央へ行ったからといって成功が保証されるわけでないことは言うまでもない。基盤のなさから生じる不適応などで苦杯をなめる場合も少なくない。すると地方の演劇は、中央の演劇を嫌うようになったり敵に回してしまったりしがちになる。同じく中央の演劇は地方の演劇を貶める傾向もある。
 このように地方の演劇と中央の演劇の間は広い川で分けられているようにも感じられるのだが、その間の架け橋の役割を果たしているのが密陽祝祭なのだ。

 今年祝祭に参加した団体のうち、稽古と公演の活動を基準に考えて、ソウルを主な本拠地にしているのは10団体の10作品。付帯行事と大学劇を除いたら、全体参加作品のうちの23%であり、残りの77%が地方からの作品である。一つの団体が多数の作品を出している場合もあるので、団体の数で割合を計算してみると凡そ半分ぐらいがソウルの団体の作品であった。つまり地方と中央の団体が半々になって11泊12日間の密陽祝祭を支えているのだ。

 それだけで地方と中央の交流に役立っているといえるのかというと、そうではない。要するに地方と中央の交流が行われているというのは、ただ祝祭に参加している地方と中央の演劇団体の割合からの判断だけではない。いくつか例外はあったものの基本的に若手演出家展は競演の形式で行われていて、グランプリを獲得した作品はソウルにおける上演が保障される。劇場は韓国演劇の中心地と言われている大学路にある「ゲリラ劇場」で、上演期間は凡そ一ヶ月、宣伝及び制作は演戯団コリペがすべて担当する。作り上げた作品の完成度さえ保障されるのであれば、若手演出家展を通じて韓国の演劇の中心地で自分の芝居の披露が出来るのだ。
 実際に2011年密陽祝祭でグランプリを取ったのは地方の劇団の作品で、ゲリラ劇場にて2012年3月8日から4月1日まで上演されることになり、その前2012年2月には釜山のカマゴル劇場で上演となった。

 密陽祝祭は、ソウルの公演芸術を地方の市民に提供する場として、また経済的な負担の軽い形で地方の作品を中央の舞台で披露できる機会としての役割を果たすことで、地方と中央の演劇交流を行っているといえるのではないだろうか。

▲国の交流
 密陽祝祭は、すでに3回目からドイツ・日本・アメリカ・スペイン・フランス・イギリス・イスラエルなどの演劇及び舞踊チームを参加させることで、国際公演芸術祝祭として展開されてきた。密陽祝祭の海外交流では、海外の公演を招く形だけではなく、レジデンス企画による共同作業をも積極的に手がけてきた。ボリビアとドイツの国籍の女優を韓国に招いて演戯団コリペの俳優と共演させた『女中たち』(ジャン・ジュネ作、李潤澤演出)や静岡県舞台芸術センターの俳優と作り上げた『ロビンソンとクルーソー』(ニーノ・ディントローナ、ジャコモ・ラビッキオ作、ふじたあさや台本、李潤澤演出)など他国との共同制作もしくは合同公演を舞台に上げてきたのだ。

 2011年の祝祭では、ドイツの演出家Alexis Bugによる『アルトゥロ・ウイの興隆』とイギリスの演出家Alexander Zeldinによる『マクベス』があげられる。二人の演出家は韓国に滞在しながら演戯団コリペの俳優達と作品を作り上げた。そして日本の俳優達(モズ企画)が韓国での滞在合宿を通じて作り上げた二つの作品(『女中たち』ジャン・ジュネ作、李潤澤演出、『秋雨』ジョン・ソジョン作、金世一演出)のうち、『女中たち』(※注1)が2011年の祝祭で上演された。

 これまで韓国の若手劇作家・俳優・演出家・舞台芸術家の競演を通じて、韓国の演劇の新たな可能性を発見し、集中的に後援する役割を果たしてきた密陽祝祭は、その対象を海外まで広げることを試みている。密陽祝祭の芸術監督である李潤澤氏によると、来年からは祝祭を通じた国際交流をもう一段階深めようとしているそうだ。国内外の公式参加公演を減らして、若手演出家展の参加作を増やすことを計画していて、そこに外国からのチームも含めたいという。つまり2012年の密陽祝祭には、外国の演出家の作品までを若手演出家展に含める計画を持っていて、日本からも積極的な参加を望んでいるそうだ。条件は、所定のギャラと韓国国内における移動費、そして宿泊と食事は祝祭側が支払う。しかしながら往復の飛行機代は参加団体が用意する。ただ、参加が内定された団体が自国で助成金を申し込む場合に必要な書類は密陽祝祭側から提供するという(※注2)。

■最後に■

 (祝祭の日程表から確認できると思うが)密陽祝祭の間、毎日の最後の公演は夜の10時に始まって、終わるのが夜12時から12時半の間。会場は野外の城壁劇場で、公演が終わると毎日1000人ほどの観客が劇場からどっと出てくる。そして演劇村の正門から出て行く。演劇村の前に広がっている蓮の畑のそばを歩くと、カエルの泣き声が真夏の夜を揺らす。まるで発声訓練のようだ。多くの観客は家族連れで子供も少なくない。子供は声の主人公カエルを見つけようと畑に近づく。すると親は子供の手を引っ張る。遅いからもう帰りましょうと。子供は蓮に心残りを感じながら親と手をつないで向こうへ歩いていく。カエルの鳴き声だけが子供のお尻についていく。舞台に広がった想像の世界は真夏の夜の風景と共に家族の胸に刻まれたのだろう。

蓮池の写真
【写真は、劇村の前に広がっている蓮の畑。撮影=筆者 禁無断転載】

 お客さんが帰った深夜の演劇村では演劇人だけの酒場が始まる。初日で疲れているだろうに、本公演に負けないほどの出し物を披露する各団体。真夏の夜が一層暑く盛り上がる。

演劇人の酒場
【写真は、盛り上がる夜の酒宴。撮影=筆者 禁無断転載】

 密陽祝祭が行われている演劇村の劇場は、子供からお年寄りまでの多様な観客を安らかに抱いてくれていた。そして普段離れて各地で活動をしていた舞台芸術家たちを嬉しく抱いてくれていた。そして言葉も通じない外国の芸術家までを。密陽祝祭は皆が一つに抱かれあう場所だった。

(※注1)
ジャン・ジュネ作、李潤澤演出『女中たち』の公演は、密陽祝祭の後、日本でも行われた。「競演東西南北 日韓競演『Les Bonnes-女中たち』」(8月24日~28日、タイニイアリス)で、韓国バージョン・日本バージョン・日韓バージョンのうちの韓国バージョンとして上演された。

(※注2)
興味のある団体は次の住所に団体と演出のプロフィール、作品の案内と映像を送るようにとのこと。書類は、日本語と英語のバージョンもしくは日本語と韓国語のバージョンを一つずつ添付してもらいたいそうだ。
●住所:
大韓民国 621-820
慶尚南道 金海市 生林面  都要里 245 DOYO Studio Lee Younteak
●メールアドレス:stt1986@chol.com

【筆者略歴】
 金 世一(キム・セイル)
 韓国の釜山出身。俳優。演技指導者。2003年に文化庁の海外芸術人招聘研修で来日。翻訳・通訳・コーディネーターなど演劇を中心とした日韓文化交流に全方位で活躍中。現在、東京大学院文化資源学研究専攻博士課程。

「密陽夏公演芸術祝祭(韓国)」への4件のフィードバック

  1. ピンバック: オズマ
  2. ピンバック: 薙野信喜
  3. ピンバック: 三谷一夫

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