遊園地再生事業団「トータル・リビング 1986-2011」

3.白くつるんとしたもの
  都留由子

 三部構成になっているこの作品は、第一部と第三部が2011年、場所はそれぞれ東京(と思われる都会)と南の島。真ん中にはさまれた第二部が1986年の東京(と思われる都会)の設定で、どの場面も建物の屋上である。幕開け、舞台の印象は白。舞台の手前にはテーブルと椅子、その向こうの床には、こまごまとしたものがいっぱいに並んでいる。ひとつひとつが何かはよく判別できない。奥は腰の高さの屋上の手すりで、舞台の左右には柱のようなものと壁のようなものがある。舞台後方には大きなスクリーン。幕開きの第一部では白いTシャツが隙間なく干された物干しもあって、劇中、これもスクリーンとして使われる。舞台の一番手前端にはビデオカメラが三台ばかり舞台に向かってセットしてあり、このカメラで撮った画像がスクリーンに投影されるしかけである。

 開演してすぐ、下手から女性が登場し、何も言わずに手すりを乗り越えて舞台の向こう側へ飛び降りる。それでここが屋上だということが示される。

 そんなショッキングなことが起きたとは思えない様子で屋上には人が現れる。欠落の女と忘却の灯台守。欠落の女は灯台守に自分の欠落を埋めて欲しいと頼む。両者はかみ合うようなかみ合わないようなやりとりを、このお芝居の間何回も繰り返す。このビルで仕事をしている女性と、このビルの中に入っている映像学校の学生と先生の映像作家が登場する。人間こそが撮りたいものだという作家に対して、学生は人は苦手だと言い、時間の地図に従って1986年に行くと言う。作家は何かしなくちゃいけないと思うけれど何をしていいかが欠落しているのでと、その答えを探しに南の島へ行く。

「トータル・リビング」公演の写真
【写真は、「トータル・リビング 1986-2011」公演から。提供=フェスティバル/トーキョー 禁無断転載】

 休憩をはさんで第二部はその1986年夏。花火の上がる屋上でのパーティ。前の場面が白かったのに対して、この場面はカラフルである。浮かれたパーティではビンゴゲームが行われる。景品はすべて何かが欠落している。テレビのないリモコン、靴のない靴紐、ビンのないビンの蓋。第一部の終わりから、劇中劇みたいな作りになっていて、登場する人たちは俳優で、この場面全体が映像学校の学生の撮っている作品ということになっていて、後ろのスクリーンに映像が映し出される。学生は俳優たちは台本を読んで行動するように指示し、不安がる俳優には編集でつなぐから大丈夫だと言う。ところが、パーティに紛れ込んだ女子高生ザジと、ビンゴゲームの景品(旧約聖書に出てくる「契約の箱」)に欠落していた「掟の板」を探す沼野を演じる役者が、素に戻れなくなって、屋上から投げ落とされる。

 再びの休憩の後、第三部は、映像作家がたどりついた南の島にあるホテルの屋上。映像作家がテキーラなんとかなど飲んでいるところに、第二部の終わりで屋上から投げ落とされてしまった二人の役者が壁をよじ登ってやってくる。欠落の女と忘却の灯台守も登場し、みんなそれぞれの欠落を埋めようとするうち、実は映像作家は、震災の起きた日、福島の灯台にいて死んでしまったらしいことがわかってくる。空から降りてきた「契約の箱」からは第一部で並んでいたのと同じようなこまごましたものとカードが出てきて、カードに書かれた「あの日の言葉」が記述される。

 2011年は、大震災と原発事故があり、南の島出身の女性タレントが縊死した年である。1986年は、チェルノブイリ原発事故があり、日本ではトップアイドルだった女性が投身自殺した。この作品の中でその両者を結んで繰り返し繰り返し語られるのは、世間に注目された大きな事件や事故も、あっという間に忘れられるということ。そんな重大なことが起きてもほんのちょっと離れているとそのことには気づかず、ニュースとして知るということ。そして、人がその内にかかえる欠落とそれを埋めるということである。

 原発事故によって、アイドルの自殺によって、人は何かしらの欠落をその内にかかえることになり、イタリア産のパスタは二度と食べるまいと思ったり、アイドルの後追い自殺を考えたりする。アイドルが自殺したのだって、内なる欠落のせいだろう。1986年、バブルに浮かれていたころ、その欠落を埋めるのは忘却であった。欠落を忘却で埋めたのではなく、欠落があること自体を忘却することでやりすごしていたという方が正確だろうか。欠落が埋まったからであれ、欠落そのものを忘却したからであれ、浮かれ続けることができたのなら、どちらにしても得られる結果は同じようなものだ。意識しなかったにせよ、わたしたちは次々に生じる欠落それ自体を忘却することでここまで来たに違いない。たしかに、浮かれるほどバブルの恩恵を受けていたとも思えないけれど、私にとってもチェルノブイリ原発事故もアイドルの自殺も、1986年と言われて即座に思い起こす内容ではなかった。大きな出来事なのに、ちょっと離れたところで起きたものは単にニュースとして認識し、多少衝撃を受けたにしてもその後は忘れに忘れて、現実には何か解決したわけでもないのに、逃げ切ったつもりになっていたに違いない。さらに言えば、逃げ切ったつもりになったことも忘れていたのだろう。

 しかし、バブルがはじけ、大震災と原発事故を経た2011年の現在、欠落を忘れさせてくれるパーティやビンゴゲームは見当たらない。それでも習い性になった忘却は、今もわたしたちにしみついているのだろうか? 終幕に読み上げられ記録される「あの日の言葉」は、「公衆電話なら使えますか」とか「大丈夫だった?」とか「西日本に親戚か知り合いがいる?」など、それだけを取り上げれば特にどうということもない言葉であるが、「あの日」の言葉だと思うと、にわかに別の風景が見えてくる。その後ろに感じられる切迫した気持ち、差し迫った状況は、否応なく「あの日」と「あの日の自分」を思い出させ、さらにまだ終わらない「あの日」の続きである「今日」を考えさせる力がある。

 欠落の女は、忘却の灯台守を訪ね、自分の欠落を埋めてもらいたいと言う。そのやりとりは何回も繰り返されるが、灯台守の返事はいつも初対面の人に対するような返事であり、欠落は一向に埋まらない。灯台がなくなってから人々は道に迷うようになった、だから、灯台に火を灯そうと灯台守は言うけれど、その火は灯らない。

 事態を進めるのは、記述者の言葉である。撮った映像を編集してつなげばいいんだと学生は言うが、結局2011年の映像と1986年の映像は編集されず、つながれてひとつになることもない。言葉を記述し、書きとめること。編集しないで記録すること。「もう日本で安全なとこ、なくね?」という「あの日の言葉」を記憶すること。もうそこからしか始まらないのだろう。

 「トータルリビング1986-2011」を見てそのようなことを考えた。それはとても重い内容で、お前は欠落をきちんと意識することもなく、ひたすら忘却を重ねて過ごして来たのではないか、この先きちんと記憶し続ける覚悟があるのか、という問いを自分に向けるのは、ちょっと恐ろしいことでもあった。

 しかし同時に、その内容とこの作品のつるんとした感じとがちぐはぐなような、奇妙な気がした。だって「トータルリビング」だしなあ。total livingという言葉には何か特別な意味があるのだろうか? 看板にでも書かれていたら、インテリア用品店か内装の工務店の名前だと思うかもしれない。「あなたの暮らしをオシャレにコーディネイト、あなたの街の『トータルリビング』」とか。ありそうな気がする。白を基調にした舞台はおしゃれで、いつともどことも特定しにくい衣装もとてもかわいい。幕開けと終幕で舞台上にこまごま並べられたものの種々雑多さ加減だけは、「あの日」テレビで見たガレキの山をわたしに思い出させたものの、みんなが同じように感じたかどうかはわからない。

 「あの日」の話をするのに、あんまりつるんと美しくおしゃれ過ぎないかしら。
 もちろん、この作品は「あの日」そのものを描くものではないし、また、そのものを描いたとしても、大変な事故・事件を描くのならなりふり構わずシャカリキでなくては、などとは私も思わない。例えば2011年に起きたことと1986年に起きたことが全くピンとこない人(たぶんあと25年もたつと日本でもそういう人が多くなるだろうし、日本以外のところなら、5年後にはそういう人だらけになるのだろう)が見るなら、具体的な災害も事故もそのときの自分も思い出さないのだから、おしゃれな舞台で何の問題もないし、抽象的に「欠落」と「忘却」と「記述」について(じゃなくてもいいけど)、おお! と思えば、十分すばらしい作品だろう。

 私が、何だかつるんとしていて違和感があると思ったのは、震災と原発事故が少なくとも私にとってはまだ生々しいからかもしれない。行方不明のまま手掛かりもない人が何千人もいること、職を失い、心細い仮設住宅で暮らす人がたぶんその何倍もいること、高線量の放射線を浴びながら(難しい配線を直すとか、特別な技術の必要な細かく複雑な作業ではなく)ガレキを片付けている人がいること、放射性物質の降り注いだところで子どもを育てている人がたくさんいること、汚染された土地で飼い主から離れて生きている動物がいること。私にとって、それはまだ「今」のことで、どうしても個別の具体的な事柄に考えは戻ってしまう。離れることができない。

 私の感じること、考えることは、「今・ここ」のものだ。「トータルリビング1986-2011」は、今・ここから出発したものではあろうが、「いつか・どこかで」も構わないものだろう。それはきっと普遍につながるという意味で、芸術作品としての価値があると思うが、「今・ここ」の私の気分には、そんなにつるんと美しく逃げ切ってしまっていいのか? と違和感があったということだと思う。

 先日、飴屋法水の「宮澤賢治/夢の島から『じ め ん』」を見たとき、2011年の3月に日本で起きたことを知らない人には、この作品はどう伝わるのだろうかと考えた。また、ポレシュの「無防備映画都市」を見たときには、作品の扱う内容について何の予備知識もない人が見ることを、作家はどう考えているのだろうと思った。そのようなことから考えると、宮沢章夫の「トータルリビング1986-2011」は何の予備知識もない人にも大丈夫! という作品だろう。「今・ここ」の私にフィットしなかったことは、言うまでもなくその価値を損ずるものではない。「今・ここ」ではなくなったころ、セシウム137の半減期31.1年後くらいがいいだろうか(31年後私がまだお芝居を見に行けるかどうかは心もとないが)、ぜひ再演してほしい。そのときにもう一度見てみたい。


「遊園地再生事業団「トータル・リビング 1986-2011」」への3件のフィードバック

  1. ピンバック: YAMAZAKI Kenta
  2. ピンバック: YAMAZAKI Kenta
  3. ピンバック: パンセ・ポンセ

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