ジェローム・ベル 「ザ・ショー・マスト・ゴー・オン」

1.イヴはなぜ楽園を追放されたのか
  山崎健太

 公演2日目の舞台上に、パフォーマーの一人である快快の篠田千明の姿はなかった[1]。この出来事に『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』という作品の本質と、10年前に作られたこの作品の今日的な意味が集約されている。

 作品の構造は単純極まりない。誰もが知るポップソングが舞台上に流れ、その曲に合わせて舞台が展開するのである。例えば、『Let’s Dance』がかかればパフォーマーたちは踊り出す。曲が舞台空間やパフォーマーに対する指示となるのだ。その意味で、2曲目の『Let the Sunshine In』は象徴的だ。天地開闢のそのとき、神は「光あれ」と言ったという。闇に沈む舞台に光をもたらす『Let the Sunshine In』はまさに作品=世界を始めるための神の言葉であり、それを発するジェローム・ベルは神の役割を演じることになる。

 『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』が上演される劇場はベルの手によって楽園となる。劇中で使用される楽曲のほとんどは世代を問わず誰もが知っているポップソングだ。また、舞台に立つパフォーマーたちは日本で公募によって集められた一般の人々[2] であり、舞台に立つ機会は誰でもに開かれている。普段着のような衣装を着たパフォーマーに観客は親近感を覚え、舞台と観客の距離は近付くことになる。パフォーマーと観客が同じ立場にあることは、15曲目の『Every Breath You Take』でパフォーマーが観客を見つめることによっても強調される。観客が一方的にパフォーマーを見るのではなく、パフォーマーも観客を見るということ。7曲目『Private Dancer』で音響担当の人間が舞台に上がり、踊り出す場面も同じ意図に基づくものだろう。劇場空間にいるという意味では誰もが平等な立場にある。その場にいる全員が、ベルの作り出す楽園を享受することができる。

 だが篠田はその楽園に留まることができなかった。アダムとイヴが知恵の木の実を口にしたがために楽園を追われたように、神の定めた掟を破るものは楽園に留まることはできない。私たち観客も同じだ。楽園を享受するためには神の掟に従わねばならない。ベルは極めて巧妙なやり方で、自らの定めた掟という権力の及ぶ範囲を客席まで広げていく。

 10曲目『My Heart Will Go On』までは流れる曲が舞台やパフォーマーに対する命令としてのみ機能している。『Tonight』で闇のままに始まった舞台に『Let the Sunshine In』で光が入る。『Come Together』とともに舞台に登場したパフォーマーたちは『Let’s Dance』で思い思いに踊る。『Into My Arms』で抱き合ったパフォーマーたちはそのまま、映画『タイタニック』のテーマソングである『My Heart Will Go On』に合わせて「あのポーズ」を決め、そしてタイタニックの運命を再現するかのようにそのまま奈落へと沈んでいく。舞台が転調するのはこの後だ。パフォーマーが戻らぬままに流れる『Yellow Submarine』。下がったままの奈落から徐々に黄色い光が射す。奈落を海の底に見立てた黄色い潜水艦。『La Vie En Rose』とともに舞台上にバラ色の照明が灯ったかと思うとその明りは客席をも照らし出す。「バラ色の人生」を手にしているのは私たち観客である、というわけだ。そして次の『Imagine』で曲が観客に対しても命令として働くことがはっきりと示される。『Imagine』=想像せよという命令。私たち観客は、10曲目『My Heart Will Go On』までの一連の流れでベルの設定したルールに馴らされ、それを楽しむことを覚える。結果として、13曲目『Imagine』によるあからさまな命令にも積極的に従うことになる。作品を楽しむために。

 ゲームに参加するためにはルールに従わなければならない。『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』という作品を楽しむためには、パフォーマーであれ観客であれ、ベルの定めたルールに従う他ないのだ。ルールに従って初めて、作品を楽しむ権利が認められる。法の下の平等。

 2001年のフランスでの初演時、劇場では野次が飛び交ったという。作品の仕組み=ベルのルールに乗ることができなかった、もしくは乗ることを拒んだ観客が多くいたことの証だろう。対して、今回の日本での上演では野次が飛ぶどころか手拍子が巻き起こる場面さえあった。世界各国で上演された名作であるとの前口上も手伝って、日本の観客はベルの作品を、つまりはベルのルールに乗ることを、喜んで選択したのだ。日本人は与えられたルールに従うのが得意だ。古くは開国直後の日米修好通商条約に始まり、敗戦後にはGHQ主導で制定された日本国憲法。震災後の東日本では計画停電や節電といった「規則」にも大方の人間が大人しく従ったため、電力不足が心配された夏を大きな混乱もなく乗り切ることができた。身近なところでは飲食店の行列にも、ルールを守ることに対する日本人の律義さは表れている。『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』への日本人の観客の反応はその律義さを浮き彫りにする。

 もちろん、ベルによる劇場空間への規則の導入は極めて巧妙だ。『Tonight』から『Come Together』に至る流れの中で観客自らに規則を発見させ、パフォーマー不在の空間に『Yellow Submarine』を流すことでそれが命令であることを意識させることなく、潜水艦を想像させる。『La Vie En Rose』でそれとなく観客を規則の枠組みに招き入れ、『Imagine』と満を持して命令を発するのだ。私たちは自ら劇場へと足を運び、自ら規則を発見し、自らその規則に身を委ねる。謂わば自発的に受け身であることを選択しているのである。パフォーマーの選択もまた、この巧妙さの一部をなす。彼らは「一般の」人間から「公募で」集められたパフォーマーだ。自ら進んでベルという演出家=権力の支配に身を委ねることを選んだ彼らは、基本的には私たち観客と同じ立場にある。だから、曲に踊らされる彼らを笑う私たちは、ベルの手の内で踊らされている自分たちを笑っているのだ。

 劇場は古くから権力の空間であった。「見る‐見られる」は支配‐被支配とパラレルな関係にある。王が座る客席は劇場空間を支配する遠近法における神の視点であり、劇場全体は上流階級の社交の場であった。現在の劇場ではそのような形で権力が可視化されることはなくなったが、そこにはやはり目には見えない形で権力が存在しているのだ。『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』が上演されている間、劇場空間はジェローム・ベルという見えない演出家の作り出した規則によって支配されていた。そしてそこにある関係は欧米文化と日本との関係ともつながってくる。作品内で使われている曲は、ある一つのシーンを除くと全てが欧米圏のポップソングである。だがそのことは観客の劇場空間への参加に何の支障も来さない。なぜならそれらの欧米のポップソングは十分に日本人に浸透しているからである。これは価値判断ではなく事実だ。そして、作品内で唯一日本のポップソングが使われているシーン。ここではパフォーマーたちはひとりずつ、あるいは何人かのグループに別れて自らの持つ携帯音楽プレイヤーからイヤフォンを使って別々の曲を聴く。観客は時おりパフォーマーが歌う断片的なフレーズから、それぞれが聴いている曲を類推するしかない。そこには他のシーンにあるような、ある一つの曲を媒介とした一体感はない。舞台上のパフォーマーたちもそれぞれが自分の聴いている曲に没頭するのみである。私たちが日本の曲を通して世代を越えた一体感を持つことは難しいのだ。欧米のポップソングこそが、私たち日本人の世代を越えた一体感を可能にするという皮肉。ポップソングに限らない。今や、日本文化のかなりの部分に、欧米文化は自然なものとして定着している。様々な価値観も含め、私たち日本人は欧米文化というルールに乗り続けてきた。

 17曲目。作品の最後を飾る『The Show Must Go On』。16曲目の『Killing Me Softly With His Song』で「殺された」パフォーマーたちはふらつきながらも立ち上がる。ルールに従い、ショーを続けようとする彼ら。そこではもはや目的と手段が逆転しているように見える。ショーを続けるためにルールに従うのか、ルールに従ってショーを続けるのか。ボロボロになって立ち上がる彼らの姿に、今の日本の、そして世界の姿が重なる。TPPという囲われた「楽園」に参加するために規則に従うことを求められる日本。資本主義というルールに基づいた経済というゲームを続けるためにギリシャの脱落を許さない世界。『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』が示して見せた平等の楽園は、規則による統制と裏腹なのだ。

 快快の篠田は舞台を降りた。だが、現実の私たちにルールを拒みゲームから降りるという選択肢は与えられているのだろうか。The show must go on. 私たちは今日も踊り続ける。

【註】
[1] 快快(ふぁいふぁい)は日本のパフォーマンスチーム。篠田千明はその演出家/イベンターである。パフォーマーとして『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』に参加していた彼女は、一日目は出演したにも関わらず、二日目の上演直前になって降板することになった。
[2] 公募で集められ選抜されたパフォーマーたちの中には、既に挙げた篠田のように、何らかの形で元々舞台芸術に関わっている人間も少なからずいたことを付言しておく。


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