◎トカトントンとドカドカドン
岡野宏文
虎は死んで皮を残す、人は死んで名を残す、などということを世間では太平楽な顔をして嘯いたりするわけだが、これは嘘だ。
といったって、せいぜい犬ばかりを飼ったことがあるくらいで内澤旬子女史のごとくかわいがって育てた豚の子をみずからの手でつぶして食するなんて芸当のできる動物好きでなし、虎のことは分からぬのだ。人である。人が死んで残すのは言葉である。もっといえば人は死して言葉だけしか残さぬ動物なのである。
たとえば日記がある。
没後十年、二十年たとうと遺族はこれを繰り返し読むことができる。だが文字として紙という物質の上にとどまるから言葉が残されたというのではない。ここ間違えたくない。書き言葉はしょせん言葉の仮寝の宿である。読まれた言葉が読んだ子孫の身体の中で何らかの情緒となって現象する、違ういい方をすれば他者の体にゆるやかになじんだ時、言葉は本来の言葉に蘇生すると私は考えている。言葉はそうやってもう一つの命の中へ、もう一つの命の中へと指切りげんまんしていく風変わりな約束なのだ。
子孫というのは大げさだろうか。しかしげんに千数百年前の日記というやつを私たちは学校の授業で読んだためしがあるじゃない。なんだか言葉って、もう一つの人の身体にだんだん思えてきた。50億年後に太陽が膨張して地球を呑み込んでしまったあとも、どこかの虚空に言葉だけがサリサリと漂っていそうな気さえするけど私はアセンションの人じゃないぜ。
さて、その言葉と身体の問題だ。地点公演「トカトントンと」である。太宰治の短編小説「トカトントン」と名作「斜陽」のフレーズを自在に構成した90分の遊戯空間だ。いや、遊びとはホモルーデンスの真剣な営みですっつう意味でね。
この舞台で最も印象的だったのは、その台詞の喋らせ方だといえよう。三浦は「発語」と必ず表現するのだが、たとえばこれは私の勝手なシミュレーションなので不細工を許されよ、原典「トカトントン」の冒頭の一節「一つだけ教えて下さい。困っているのです」がここにあるとすれば、それを三浦は「ひと つだ けおしえてく ださい こま っているのです」みたいな感じに俳優たちに発語させるのだ。
あるいは、「じゅじゅじゅじゅ、ああああ」といった具合にフレーズの中の一音を取り出して繰り返させたり、もうちょっと受け取りやすく「平和」「英国」「文体」などといった単語を台詞と台詞の間にせわしげに挟み込んでいったりもする。
何が試みられているのかというと、言葉を人の体から取り出そうとしている。そのように私には見えた。
私たちは言葉を使って考える。もし言葉がなかったら私たちは何も考えられない。書き言葉も話し言葉も、そういう意味で人という構造物と癒着しているといってよい。その言葉というやっかいな生き物を、音としてでもなく、意味としてでもなく、いわば風のように人体の外に立たせてしまおう、三浦の企んだのはそのことではないか、と私は勘ぐった。
そのことのよすがは、舞台後方にほんとうに風が吹き荒れていたからでもあった。強烈な送風機から、金属片で編まれた後方幕に風が当たると、そこだけたわみ、反射が乱れ、キリキリと輝いたステージは、実は全体が非常にけったいなしつらえになっていて、これも面白かった。
【写真は、「トカトントンと」公演から。撮影=青木司 提供=KAAT神奈川芸術劇場 禁無断転載】
どういう作りであったかといいますれば、演劇用語で「八百屋」と呼ぶ舞台の作り方があるでしょ。町の八百屋さんの店先で見かける、品物の並べられた台。店の外へ向かって斜めに下がっているじゃないですか。あれと同じに客席にむかって斜面となった舞台を「八百屋」というのだ。ところが「トカトントンと」のステージは、いわば「逆八百屋」だった。向こうへ向かって坂になっているのだ。客席のまえにひどく丈の高い壁があり、そこから奥へと舞台は下がり、一番奥が最も低い。だから俳優が登場し、客席の方へ歩いてくると、最初はなんにも見えないのに、進んでくるにつれ頭から胸、腹、足とだんだん見えてくるという寸法。なんだこれは! と私も思った。
思いながら見ているとしかし、妄想は勝手に走り始めるから便利である。
原典「トカトントン」は終戦に天皇の声を聞いて悲愴になり、死なねばならぬと思った語り手の「私」に、どこからともなく「トカトントン」というかすかな音が聞こえ、そのとたん憑き物が落ちたように虚脱し、以来何かに打ち込もうとするたび同じ音が聞こえて、なんにもできなくなるというのがあらましであるけれど、三浦は明らかに終戦によって何が変わったか、政治は、支配は、民衆は、別のいい方なら天皇の戦争責任は、といったあたりにグウッと焦点を当てての演出であって、冒頭に詔勅の録音が流れる中、俳優たちがふらりふらりと浮き上がってきた風景は、この人たちは戦争で死んだ人たちなんだそれも兵隊さんではない、というふうに熟成されてしまった。そうなれば事態はこっち(妄想)のものだ。向こうっかわへ沈んだ舞台は皇居のお堀でしょう。そっから死者があがってきて、70年になろうとする戦後のかげろうを語るわけよ。語れ、語れ。
いや、「語らない」のか、三浦演劇は。「発語」だったね。発れ、発れ。
しかしね、発ったこの「トカトントン」て小説に私は一言いちゃもんがある。
さっきもいったように、語り手の私は「トカトントン」という音を聞いてあらゆる物事から「脱膠着」してゆかざるをえない身の上となる。書いてみよう。出来事=起きた事柄の書式である。
天皇の詔勅=「厳粛なるもの」に失意する。
小説が書けなくなる。=文化に失意する。
郵便局で円切り替えの突貫労働=労働に失意する。
恋をする=恋愛に失意する。
労働者のデモを見る=革命に失意する。
マラソンする人たちを見る=肉体に失意する。
一万円儲けた時のことを考える=経済に失意する。
誰が見ても一目瞭然である。太宰は、ただ単にエピソードを並列に並べて、人間にとっての「大文字」の幻想を一つずつつぶしていっているだけにすぎない。あの太宰にして、なんという手抜きの構成であろうか。この小説は、演劇用語でいうところの「段取り」でしかない。大いなる「段取り小説」であると私は言うしかないのだ。凡作である。
なにゆえにしてかかるがごとき作品を演劇化したか。そういぶかるはしから、凄い場面が飛び出したのであった。
そのあらゆるものを台無しにしてしまう空恐ろしい音の最初に聞こえる場面で、太宰はこう書いている。
「誰やら金槌で釘を打つ音が、幽かに、トカトントンと聞えました」
この「幽かに」を三浦は盛大にひっくり返してみせたのだ。なにしろ登場したのは、巨大な鉄ハンマーだ。手に手にハンマー引っ掴んだ俳優たちは、力任せに舞台をぶったたく。それはなにか、重火器をぶっ放すような、地球の底を抉り返すような、図太い轟音となって劇場を満たしたから驚いた。発語しようとする俳優は、この莫大なノイズによって中断させられ、戸惑いながらハンマーの騒音に参加し、発語しようとすればまた邪魔される。このシーンは楽しかった。
壮大なハンマーの爆音は、おそらく戦後の復興期にからっぽの空に高らかに響いたであろう再建の槌音のメタファーと読めるのだけれど、私にはどうも破壊の槌音と聞こえてしまったのですね。
昭和28年の東宝映画「ゴジラ」の中で、海から上陸してきたゴジラがようやく復興の兆しが見えてきた東京全土を、あたかも大空襲の再来のごとくに無残に蹂躙するあの紅蓮の炎を見て以来、私たちの繁栄は嘘だと告発する裏返った希望と理想を、戦後史の中につい探してしまういけない癖が私にはついている。その意味では、ゴジラもまた水からあがってきた死者の霊であるのだが。
「トカトントンと」とは、物語も、演劇も、戦後史も破壊してしまおうとする野蛮な祈りの産物ではなかったのか。
【筆者略歴】
岡野宏文(おかの・ひろふみ)
1955年、横浜市生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒。白水社の演劇雑誌「新劇」編集長を経てフリーのライター&エディター。「ダ・ヴィンチ」「サファリ」「e2スカパーガイド」などの雑誌に書評・劇評を連載中。主な著書に『百年の誤読』『百年の誤読 海外文学編』(ともに豊崎由美と共著)『ストレッチ・発声・劇評篇 (高校生のための実践演劇講座)』(扇田昭彦らと共著)『高校生のための上演作品ガイド』など。
・寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/okano-hirofumi/
【上演記録】
KAAT神奈川芸術劇場×地点「トカトントンと」
KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ(2012年2月9日-14日)
原作/太宰 治
演出・構成/三浦 基
出演/安部聡子、石田大、窪田史恵、河野早紀、小林洋平、庸雅
美術/山本理顕(山本理顕設計工場)
照明/大石真一郎(KAAT神奈川芸術劇場)
音響/徳久礼子(KAAT神奈川芸術劇場)
衣裳/堂本教子(atelier88%)
舞台監督/山口英峰(KAAT神奈川芸術劇場)
プロダクション・マネージャー/山本園子(KAAT神奈川芸術劇場)
宣伝美術・WEB/松本久木(MATSUMOTOKOBO Ltd.)
制作/伊藤文一(KAAT神奈川芸術劇場)、田嶋結菜(地点)
広報/熊井一記(KAAT神奈川芸術劇場)
営業/中里也寸志(KAAT神奈川芸術劇場)
主催/KAAT神奈川芸術劇場(指定管理者:公益財団法人神奈川芸術文化財団)
平成23年度文化庁優れた劇場・音楽堂からの創造発信事業
EU・ジャパンフェスト日本委員会
京都芸術センター制作支援事業
TPAM in Yokohama 2012(国際舞台芸術ミーティング in 横浜)
TPAMディレクションPlus参加作品(2/13、2/14の公演)