◎「日常生活の冒険」(大江健三郎著 新潮文庫)
市原幹也
本の紹介からしよう。出版元のデータベースに、こうある。
暗く湿った部屋で小説を書く主人公「ぼく」にとって、斎木犀吉のするラジカルで奇矯な行動は対照的に輝いて見えた。憧れもあり、次第に彼に巻き込まれながら、日常生活から遠ざかっていく「ぼく」。度々、目の前に現れ、数々の冒険へ誘う斎木犀吉は、いつも「ぼく」を気遣い、同時に痛烈に批判をしてくる。そのなかで「ぼく」は、作家としても、人間としても成長していくのである。
さて、私がこの本を手にしたのは、大学生で20歳の時だった。当時は、全く外に出ず、ひとりで暗い部屋にいた。俗にいう、ひきこもりだ。原因は、身近な人間の死だった。世の中のあらゆる事象が、酔っているようにボケて見え、生きる目的を完全に失っていた。食料や快楽を得るためのコンビニと、知識や娯楽を得るための図書館とを、かろうじて行き来することが、私の日常生活だった。
私は、『自分の部屋へ戻るたびに夢のなかの巨大な母親の子宮にもぐりこむような不安であたたかい気分に』なり、『暗くてがらんどうで、不安定 でぐらぐらして、湿っぽく、なにやらえたいのしれない酸っぱい匂いのする』部屋で膝を抱える、恐怖心のかたまりだった。
そんな私の前に現れたのが、この斎木犀吉である。
恐怖心から脱出できた原因はいろいろあったが、きっかけを与えたのは彼だったと思う。私はひきこもり脱出後、大学へは行かなかった。高校時代の友人をたよりに東京に滞在し、劇場を巡った。人ごみのなかを歩き、満員電車に初めて乗った。新宿で飲み明かし、朝のラッシュの波に逆らう帰り道に、ゲロをぶちまけていた。そのどの時にも、トレンチコートのポケットのなかには、この一冊があった。斎木犀吉がいた。世の中に対する恐 怖心が、不思議と和らいだ。
作中、斎木の冒険のひとつに、演劇俳優となってスターになるというものがあった。東京から戻った私は翌年、地元の劇団の門戸をくぐっていた。そして、あれから15年。私は、今、演劇をつくる人間になっている。
そこで思う。私は、まだ、冒険の途中なのか。私の友人・斎木犀吉は、どこだ。まさか、『永いあいだ心にかけてきたかけがえのない友人が、火星の一共和国かと思えるほど遠い、見しらぬ場所で、確たる理由もない不意の自殺をしたという』ことは、ないか。
私が冒険として選んだ「演劇をする」ための定住拠点である、枝光のまちを、歩く。そこには、斎木犀吉の言っていた冒険とは程遠い、しかし愛すべき、ありふれた風景と人とがある。これが私の日常生活だとさえ言え得る。反対に、やはりここが私の選んだ冒険の地だとも。
冒険は、現実との摩擦のなかで鮮やかさを失い、実に痛切に悲しいラストシーンを迎えることがある。かつての私は、そんなラストシーン以後の日々を、日常だと思っていた。冒険の終わりに、斎木犀吉は言う。『「おれはまったくなにひとつやりとげなかったなあ。おれにはなにひとつやれなかったなあ。」』冒険に失敗した彼は、ありふれた日常に耐えきれず、自殺をしたのではないかと。
さあ、冒険とは、青春の特権か。日常とは、冒険を懐かしく眺める日々のことか。今の私にとって、日常生活の冒険とは何か。あなたにとって、それは。
とか言って、私はこの本を久しぶりに開いたりなんかしない。かつての私を救った彼は、小説のなかには、もういない。やはり、あの日々ととも に、死んだのだ。もし彼が、生きているとするならば、そこは…。斎木犀吉は、ゴッホの書いた詩を教えてくれた。
生者あらん限り
死者は生きん
死者は生きん
今日も枝光のまちを歩く。人としゃべる。地域で演劇をし、想いを循環させる。
「日常」も「冒険」も内包する【まち】という広大な地が、かつての日々をも内包し、今日の私を「日常生活の冒険」へと誘う。それじゃ、さよなら、ともかく全力疾走、そしてジャンプだ。
【筆者略歴】
市原幹也(いちはら・みきや)
1978年、 山口県出身。演出家。劇団「のこされ劇場≡」主宰。作品は、地域の歴史や生活から着想を得て、共時性を重視する手法が特徴。近年では、鳥取「鳥の演劇祭4」や、韓国「亀尾アジア演劇祭」など国際的な演劇祭に招聘。日韓国際交流プロジェクトを開始し、活動領域を国際的に拡張している。一方、枝光本町商店街アイアンシアターを拠点に、演劇を通じたコミュニティプログラムを展開。ワークショップを通じて、小学生や高齢者と創る作品も多数。
ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/17231/