枝光本町商店街アイアンシアター

◎誰もがアーティスト
 前田瑠佳

 福岡県北九州市八幡東区枝光本町にある民間劇場「枝光本町商店街アイアンシアター」。この劇場がある地域は新日鉄八幡製鉄所のお膝元として発展し、そして企業の撤退によって衰退していったところである。また、北九州市の中でも最も高齢化が進んでいるといった特徴があるという地域だ。そんな場所で地域のにぎわいを取り戻そうと、空きビルを劇場として再活用してできたのが「枝光本町商店街アイアンシアター」である。この劇場では、劇場としてスタートを切った2009年から秋から冬にかけて「えだみつ演劇フェスティバル」が開催されている。
 最初の年である2009年のフェスティバルは3か月間連続でのこされ劇場≡が単独で公演を3本打ったが、2010年以降は参加数も徐々に増え、そして東京が中心ではあるが全国各地からカンパニーが参加している(1)。参加団体は公募で募集され、選出されたカンパニーは1週間アイアンシアターに滞在し、作品制作を行う。また、滞在中は作品の上演だけでなく、ワークショップやアウトリーチ、アフタートークを実施するというのがこの演劇祭の特徴といえる。

 私が初めて枝光本町商店街アイアンシアターを訪れたのは、2011年の11月。「北九州に地域に開かれた民間劇場があるらしい」というのを聞いて、小倉に用事があったついでに遊びに訪れた。

 ちょうど、えだみつ演劇フェスティバル2011が開催されていて、その時に観劇したのが、当時、劇場のレジデントカンパニーだった「のこされ劇場≡」の『枝光本町商店街』(脚本・演出:市原幹也)(2)と仙台のダンスカンパニーである「すんぷちょ」の『Maek/Midorigo』(演出:千田みかさ)であった。
 この2つの公演は私に、とてつもない衝撃を与えた。なぜなら、関西の小劇場では見ることができなかった「限界芸術」というものがあったから。

 限界芸術とは、鶴見俊輔の造語である。鶴見は芸術概念を「純粋芸術」、「大衆芸術」、「限界芸術」の3つに分類した。少し説明をすると、「純粋芸術」は創作者も享受者も専門家であり、例えば、交響楽やバレエ、能、文楽等が挙げられる。その一方で、「大衆芸術」は企業家と専門的芸術家の合作でつくられ、大衆によって受け入れられるもの。劇団四季のようなものが例えとしてあてはまる。
 そして、「限界芸術」は専門的でない芸術家によってつくられ、専門家ではない享受者によって愉しまれる芸術(3)のことである。芸術のようなものであって、芸術ではないようなもの。限界芸術は、家族や友達、仲間など小さなコミュニティといった親密な関係の間、親密圏で、仕事や信仰、そして遊びといった、人々の普通の暮らしや営みの中から生まれてくる。宴会芸や仕事歌、祭、遊び歌等が限界芸術としてあげられる。

 のこされ劇場≡の『枝光本町商店街』は、タイトルの通り劇場がある枝光本町商店街が舞台である。出演するのは、のこされ劇場≡の俳優が1人と、あとは商店街の店主たち。俳優が案内役となって、観客を商店街に誘導していく。訪れた商店では、その店の店主が枝光地域の歴史を説明したり、それぞれの特技が披露される。
 この『枝光本町商店街』で店主たちが披露するのは、親密圏あるいは自分ひとりの中で生まれてきた表現。忘れさられていった、もしくは、見過ごしてしまっている、一見、芸術とはいえないようなものである。つまり、限界芸術がそこにはある。「枝光の松尾芭蕉」と自称する青果店の店主は自慢のうたやバナナのたたき売りの口上を披露する。また、お菓子屋の店主は観客の前で、店で販売している最中をつくり、売る姿が披露されるのである。

「枝光本町商店街」公演から
「枝光本町商店街」公演から2
【写真はいずれも「枝光本町商店街」から。提供=のこされ劇場≡ 禁無断転載】

 それらは生活を営む、商売をするといった中で、鼻歌や声色、労働のリズムなど、頼まれもしないのに親密圏の中で表現されてきた限界芸術。その限界芸術に脚本・演出の市原が小劇場演劇という、未だ価値が定まっていない先駆的な芸術でアプローチし、引き出し、様々な人がアクセスできる公共圏でその表現を芸術として成立させているのである。

 続いて「すんぷちょ」の『Maek/Midorigo』を観劇した。劇場には、こどもをはじめとする地域の人がたくさん。それも2歳から60歳まで幅広い年齢の方々が自由に舞台や客席を動き回っている。誰が出演者で、誰が観客なのかがわからない。
 そして、ルールも何もない、自由なワークショップで遊びを通して生まれてきたであろう表現を自由にしている。型にはまった、お稽古ごとの延長線にあるようなダンスではなく、それは本当に自由なのである。時には舞台に立っているにも関わらず、踊らず見ている子もいたり、ぐずっているわが子を抱っこして踊り出したり。遊びの中から生まれてきた、普段の仕草やクセからダンスがつくられ、そして、その時、その瞬間に生まれたものまでダンスになっている。
 どこまでが表現でどこまでが表現ではないのか、観客側は判断がつかず、境界が揺らぐ。芸術とそうでないものの狭間にある限界芸術がここでも見られたのである。

 『枝光本町商店街』も『Maek/Midorigo』もアーティストが参加者から生まれてくる限界芸術を表現として、異質なまなざしが存在する公共圏に引っ張り出している。そしてそれは参加者が無意識のうちに「アーティスト」になる瞬間なのである。

 なぜ、こんな素敵な瞬間に出会えたのか。それは、限界芸術が生まれる創発が起きやすい場づくりが枝光本町商店街アイアンシアターで行われていたからといえるのではないだろうか。

 「創発」とは、広辞苑で引いてみると、「進化論・システム論の用語。生物進化の過程やシステムの発展過程において、先行する条件からは予測や説明のできない新しい特性が生み出されること」とある。
 「創発」をアーツマネジメントとの関係で述べた小暮宣雄は、『「創発性(エマージェント・プロパティ)とは、芸術の持つ創作・批評営為の核となる未知の発見や融合、自由な解釈などを導く即興性や偶発性、自己生成性(アフォーダンス性、潜在可能性)のこと」(4)として使っている。

 この「創発」が起きやすい場の条件というのは、自由であること、対等な関係でいられること、どこにも所属しない「自分」でいられるということだと思う。

 私たちの日常にはルールがあり、世間の目があり、所属するコミュニティの中で、「自分」を演じなければいけない。また、大人とこども、若者と高齢者、健常者と障碍者といった、世話をする/される、支援する/支援されるといった対等ではない社会で生きている。

 枝光本町商店街アイアンシアターは、誰もが自由で、本来の「自分」になれ、対等な関係でいられる場を「演劇」を通してつくってきた。誰でも自由に入れるよう、ほぼ一年中劇場を開けるという運営をし、稽古を公開したり、ワークショップをする。時にはこどもたちが自発的に演劇をはじめたときには手助けをする。
 劇場にいるからといって、演劇をすること、観ることを強制せず、ただおしゃべりをしたり、こどもが遊びにきたりと自由に過ごせる場所であった。また、のこされ劇場≡の市原をはじめ、アーティストが地域に向き合い、そっと寄り添い、アーティストの視点で、潜在的に持っている限界芸術の能力、『枝光本町商店街』で見られたような表現を引き出してきた。

 このような創発が起きやすい場をつくってきた中で、えだみつ演劇フェスティバル2012も開催された。

 参加団体の数は過去最高であり、地域の方がより参加できるプログラムを作っている、また地域の限界芸術的能力をより引き出してくれるだろう劇団を選出していたように思われる。

 私が観た、参加したプログラムはほんの少しであるが、例えば、2011年も参加していたすんぷちょは、昨年と同様に、ワークショップをもとに作品制作をし、舞台にも参加してもらうということをしていた。また、ガレキの太鼓は観客に観劇させない、参加型の演劇を行った。公演中に、俳優から話しかけられたり、時には、セリフが書かれた紙を渡される。そこでは参加者自身が思ってもみなかった表現に出会うことになり、知らぬ間にアーティストになっているのである。これは限界芸術が生まれる創発が起きやすい場があったから。

 2013年5月、枝光本町商店街アイアンシアターは芸術監督制度とレジデントカンパニー制度を廃止し、新体制での運営をスタートした。今まで、限界芸術を公共圏に連れ出す、また創発が起きやすい場づくりを行っていたアーティストが常にいないということになる。

 さて、劇場はどのように創発が起きやすい場を維持していくのか。今までのこされ劇場≡をはじめとする、この地域で活動したアーティストの技術やまなざしを、今度は地域の人たち自身が自発的に自分たちのものとして活用していけるように、劇場はサポートしていくのがいいかもしれない。

 そして、のこされ劇場≡はレジデントカンパニーではなくなったものの、地域に拠点を置いて活動をしていくようである。
 先日、のこされ劇場≡の俳優であり、アイアンシアターのスタッフであった沖田みやこがその経緯の再現と上演を試みるというプロジェクトが大阪でも開催された。芸術監督制度とレジデントカンパニー制度の廃止について、挙げられた理由に共通しているのは地域とのコミュニケーションがうまくいっていなかったということだと思われる。劇団の味方であり、一番の批判者になってくれる、地域と劇団の間を取り持つ人間いれば、組織があればコミュニケーションがうまくいったのかもしれない。
 それは、もしかしたらアイアンシアターのスタッフだったかもしれないし、アイアンシアターを運営していた運営委員会の方々だったかもしれないが、そこがきちんと固められていなかった。今後も地域で活動をしていくには、地域と劇団の間を取り持ってくれる人が必要になってくるだろう。

 今年も、秋には他地域からアイアンシアターにアーティストたちがやってくるようである。そのアーティストたちがどのように地域の人たちの潜在的にある限界芸術能力を刺激し、どんな表現を公共圏に連れ出すのか。わくわくドキドキしながら、その時、その場でしか出会えない表現にまた会いに訪れようと思う。

(1)参加団体一覧。2010年、劇団衛星(京都)、劇団きらら(熊本)、ハムプロジェクト(北海道)、のこされ劇場≡の計4団体。2011年、柿喰う客(東京)、シアターカンパニーOrt-d.d(東京)、すんぷちょ(宮城)、to R mansion(東京)、なんばしすたーず(東京)、のこされ劇場≡の計6団体。2012年、(社)文化創作集団[Gongter-DA](韓国)、渡辺美帆子事務所(東京/大分)、集団:歩行訓練(山口)、ブルーノプロデュース(東京)、金魚(東京)、時間堂(東京)、けのび+dracom(東京+大阪)、シアターカンパニーOrt-d.d(東京)、劇団しようよ(京都)、すんぷちょ(宮城)、なんばしすたーず(東京)、鳥公園(東京)、ガレキの太鼓(東京)、のこされ劇場≡の計14団体。
(2)詳細なレビューは斉島明氏の「のこされ劇場≡『枝光本町商店街』
(3)小暮宣雄著『アーツマネジメント学 芸術の営みを支える理論と実践的展開』、水曜社、2013年,p.138 10行目~12行目
(4)同書、p19 28行目~30行目

参考文献
小暮宣雄著『アーツマネジメント学 芸術の営みを支える理論と実践的展開』、水曜社、2013年
小暮宣雄「「限界芸術」領域におけるアーツマネジメント理論の構築とその実践」、「アーツマネジメント研究」美術出版社、2007年8号、p.47~57
鶴見俊輔「芸術の発展」、『限界芸術論』ちくま学芸文庫、筑摩書房、1999年、p.10~p.88

参考URL
小暮宣雄「誰もが、アーティスト ~その決め手は、「創発」-」、ブログ「こぐれ日乗」25行目~26行目

【筆者略歴】
前田瑠佳(まえだ・るか)
 1986年5月大阪市生まれ。京都橘大学大学院文化政策学専攻文化政策学研究科博士後期課程2年。めくるめく紙芝居実行委員会実行委員。劇団制作としてエイチエムピー・シアターカンパニー(大阪)や笑の内閣(京都)で2012年冬から活動開始。美術分野では迫一成美術部のサポーターとして活動中。

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