サンプル「永い遠足」

◎奔放な想像力、「オイディプス王」の物語が背骨
 水牛健太郎

 にしすがも創造舎の劇場は、もともと中学校の体育館だ。がらんとした広さをそのままに、左奥の隅には白いプラスチックの大きな植木鉢がいくつも置かれ、そこから緑のツルが周り回廊の柵にまで伸びていた。持ち主に捨てられたかのような寂しさと、裏腹のたくましさ。右奥の隅にはブルーシートが何枚も、床から周り回廊の上あたりまで覆い、その中にはたぶん足場が組まれている。周囲には立ち入りを阻む黄色いテープとレッドコーン。これもセットなのだろうが、実際に補修工事か何かをしていても違和感はない感じ。全体の印象は、よく計算された雑然さ。

 空間の使い方が印象的な作品だった。最初は電気自動車の軽トラックが主な演技空間となる。荷台の三方に車輪付きの舞台(それぞれ縦横2メートルぐらい)が張り出し、荷台の上にはカーテンで区切った空間を設けている。舞台のうち一つが主人公といってよいノブオ(久保井研)の家。科学研究に使うラットの飼育を仕事としている中年男性だ。母チヨコ(羽場睦子)は数年前に亡くなったが、ノブオは遺骨をまだ手元に置き、人間とネズミの合いの子のような(実際はもっと複雑な掛け合わせらしいが)ピーター(奥田洋平)と同居している。ラットの飼育所で伝染病が流行り始め、心配するノブオをよそに、ピーターは仲間と新天地に移り住むので、「お暇をもらいたい」と言いだすところから話がそろりそろりと動き出す。

【「永い遠足」公演より。左からノブオ、ピーター、アイカ(青木司撮影。提供=サンプル。禁無断転載】
【「永い遠足」公演より。左からノブオ、ピーター、アイカ(青木司撮影。提供=サンプル。禁無断転載】

 電気自動車が180度方向転換すると、観客の方に向いた張り出し舞台はキリコ(坂倉奈津子)とタケフミ(古屋隆太)という夫婦の家。タケフミはスマホをいじくりながらキリコを抑圧している。疑問形でキリコを攻め立て、キリコの答えを一方的に切り捨てたり気まぐれにほめたり。時にどん、とテーブルをたたいて威嚇する。

【「永い遠足」公演より。左の張り出し舞台がノブオの家を表す。座っているのはチヨコ。右の張り出し舞台はキリコとタケフミの家。軽トラックの座席は左からタケフミ、桃太郎、キリコ。荷台の上に立っているのはアイカ(青木司撮影。提供=サンプル。禁無断転載】
【「永い遠足」公演より。左の張り出し舞台がノブオの家を表す。座っているのはチヨコ。右の張り出し舞台はキリコとタケフミの家。軽トラックの座席は左からタケフミ、桃太郎、キリコ。荷台の上に立っているのはアイカ(青木司撮影。提供=サンプル。禁無断転載】

 最初はこの2つの家の関係は分からない。キリコ・タケフミの夫婦には養子アイカ(野津あおい)がいるが、家に寄り付かないらしい。一方ノブオは幼い頃、チヨコの乳首を食いちぎったらしい。そうした話とともに、アイカの日常も語られて、物語は拡散していく。

 それにつれて、空間の使い方も広がる。ノブオの自転車は客席の横まで走っていくし、アイカの友だちで人間界と異界との境目にいるマネキン(稲継美保)は長いスカートの下にローラーブレードを履き、床を滑る。このローラーブレードの場面、またマネキンが床いっぱいにラジコンカーを走らせる場面は、抑制的な照明が生む光と影の効果もあって美しく、とりわけ印象的だった。

 軽トラックの張り出し舞台は物語の進行とともに外され、あちこちに放置される。それは家庭という枠がなくなっていくことを意味してもいる。キリコ・タケフミ夫婦は謎の人物・桃太郎(坂口辰平)の指導のもと、アイカを取り戻すためにそれまでの家族の形を脱することを決意する。タケフミは婦人警官の姿になり、母親としてアイカを生み直すことを宣言する。

 アイカはもともとノブオとチヨコの母子相姦でできた娘だった。ノブオは売春をしているアイカを客を装って呼び出し、「親子のふりをするプレイ」をしてくれるよう頼む。アイカは実父と薄々気づいてのことか、ノブオの頼みを受け入れる。2人は右奥の青いシートに覆われた足場の上に登る。それは見晴らしのいいところから町を眺めているふう。

 そこに桃太郎に率いられたキリコ・タケフミ夫婦が軽トラックで押しかけ、アイカを奪還しようと、ノブオを糾弾する。それを聞いたノブオは自らの目をつぶし、アイカに手を引かれて去っていく。ノブオは途中、ピーターの移住した「新しい国」に立ち寄り、髪の毛の遺伝子から作った目をいくつも与えられるが、それをどうしたらいいかわからない。BGMに戸川純が「我、一介の肉塊なり」と歌う声(『諦念プシガンガ』)が響く中、幕となる。

【「永い遠足」公演より。大きな白いポリ袋はピーターの「新しい国」を表す。右側の2人はノブオとアイカ(青木司撮影。提供=サンプル。禁無断転載)】
【「永い遠足」公演より。大きな白いポリ袋はピーターの「新しい国」を表す。右側の2人はノブオとアイカ(青木司撮影。提供=サンプル。禁無断転載)】

 ストーリーは言うまでもなく、ギリシャ悲劇の「オイディプス王」を踏まえている。前半に拡散した様々な要素は、古代から伝わる物語の力を借りて収束していく。ウイルスや遺伝子操作、家族像の変化といった現代的な問題を踏まえつつ、そこに異界の住民もが交錯する奔放な想像力。オイディプス王の物語はそれに、骨太な物語性を与えた。

 しかし、「永い遠足」の物語には、「オイディプス王」との根本的な違いがある。「オイディプス王」は何よりもまず、息子が父を殺す話だ。父を殺すことではじめて、母子相姦が可能になる。しかし「永い遠足」ではノブオは父を殺していない。父は家を捨てて出て行ってしまったことになっている。

 ノブオの父は回想の中の人物だが、そこですら存在感は薄い。チヨコが「時間を知らなかった。過去も未来もないから反省もしないし、理想もない。(中略)唯一、得意だったのは…グーで私を殴ること」と回想するノブオの父は、一個の人格をそなえた人間というよりも、まるで天災か何かのようなのだ。だから実は、ルールを設定するものとしての父は最初から存在せず、母子相姦は特に禁止されてはいなかったようにも感じられる。この作品にはオイディプス王を踏まえ、「呪い」や「穢れ」といった言葉が登場するが、ノブオとチヨコの母子相姦にそうした言葉にまつわるまがまがしさは希薄だ。

「呪い」や「穢れ」は自然界にはない。たとえばジュラ紀に「呪われた恐竜」がいたわけがない。彼らはただ生きて、死んでいっただけである。「呪い」や「穢れ」はおそらく、自然を乗り越えようとする人間と自然との緊張関係の中に生じるものだ。もちろん、自然の側はそれを感じることはない。「呪い」や「穢れ」を感じるのは人間だけだが、人間はそれを自然の復讐として感じるのである。

「オイディプス王」の母子相姦が「呪われた運命」とされるのは、母子相姦を禁じるルールが、父を中心にした家族制度によって自然を乗り越えようとする人間の意思によるものだからだ。そこで、それを知らずに犯してしまうことが、自然の復讐=「呪い」と感じられる。だがノブオの父親には人格がないから、そこには禁止もない。だからノブオとチヨコの母子相姦にはそこまでのタブー感はないのである。

 そのためだろうか、「永い遠足」ではアイカを売春を常習とする少女とし、またノブオに、ウイルス感染したネズミを逃すことで集団感染を引き起こそうとしたという濡れ衣を着せることで、この父娘=兄妹を取り巻くタブー感を補強していた。しかしそれでも、この作品に登場する「呪い」や「穢れ」という言葉は若干浮いていた。満足度が高かったこの作品の中で、唯一気にかかった点である。

 言うまでもないが、「永い遠足」におけるノブオの父親の存在感の薄さは日本社会の現実を踏まえたものだから、作品論の範疇におさまるものではない。それを無理に作品の話に戻すと、「次回以降のサンプルの作品でその点がどのように展開されていくか、楽しみだ」とでもすればいいのだろうか。何となくそんな感じで、この原稿を終わりたい。

【筆者略歴】
水牛健太郎(みずうし・けんたろう)
 ワンダーランドスタッフ。1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。東京大学法学部卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005 年、村上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデビュー。演劇評論は2007年から。
・ワンダーランド寄稿一覧:
http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/mizuushi-kentaro

【上演記録】
サンプル「永い遠足」
にしすがも創造舎(2013年11月17日‐25日)

作・演出/松井 周
出演/古屋隆太、奥田洋平(以上サンプル・青年団)、野津あおい(サンプル)、羽場睦子、稲継美保、坂口辰平(ハイバイ)、坂倉奈津子、久保井研(唐組)
舞台監督/鈴木康郎、浦本佳亮、谷澤拓巳
舞台美術/杉山至(+鴉屋)
照明/木藤歩
音響/牛川紀政
衣裳/小松陽佳留(une chrysantheme)
字幕/門田美和
演出助手/山内 晶
ドラマターグ/野村政之
WEBデザイン/斎藤 拓
宣伝写真/momoko matsumoto
フライヤーデザイン/京(kyo.designworks)
制作/三好佐智子(quinada)、冨永直子(quinada)
助成/公益財団法人セゾン文化財団
協賛/三菱自動車工業株式会社
協力/レトル、青年団、ハイバイ、唐組、至福団、シバイエンジン
製作/サンプル・quinada
共同製作・主催/フェスティバル/トーキョー

チケット料金:自由席(整理番号付)
一般前売 3,500円(当日 +500円)
学生 3,000円、U18(18歳以下)1,000円(前売・当日共通、当日受付にて要学生証提示)

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