劇団青い鳥「ちょっと、でかけていますので→」

◎秘密の貌との戯れ モヤモヤを携えたまま
 岡野宏文

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 悩みと言うほどの悩みはないのだが一つあるとすれば脳粗鬆症である。パニック障害にとって「ほんとうにあった怖い話」としかいいようのない医療機器MRIに、嫌だから金輪際入らないが入れば尖閣諸島でオリンピック開催してくれるんならば嫌がらせのため入るかもしれず、入ると私の脳の映像はかそけくはかなげに頼りなく映るのではないだろうか。

 誰もが苦笑いまじりにはき出す人名がおぼつかないはすでに神の域に入り、小説の登場人物の名前が分からず、誰だか分からない男が突然犯人で驚愕するのだが、人名はまだよく、存命まで不覚なので、とっくに亡くなったと思っていた私に洗面台の鏡で出くわしこの世のこととも思えなかった。

 ものがなくなるのはよいとして、いきなりものが出てくるのはいかがなものか。なぜ眼鏡の横にサンダルがあるのか。手術台の上でミシンとコーモリ傘が出会うというのはシュールレアリスムのマニフェストと言うよりはむしろ脳粗鬆症宣言の疑いが濃い。

 さて、青い鳥の『ちょっと、でかけていますので→』は、老女たちの物語であった。面白いとか、楽しいとか、切ないとか、それらすべてをひっくるめてすこぶる「いいお芝居」なのだった。ちょっとフランス映画の単館ロードショーふう。

 客電が落ちると、暗闇だ。

 闇の中舞台中央に恭しく台の上に鎮座しほのかに光の当たるそれは炊飯器らしく、かたわらに黒い衣服に身を包んだ誰やらが座ってもいるらしく、それでもなおすべてはあまりに暗く曖昧な空間にふと声がささやかれる。あらわれるのは順路を失って妹とはぐれた老女渋沢おりえ(85歳)で、どうやらここは美術館の内部とおぼしく、同じく迷ってあらぬ方向から出現した妹渋沢いく子(80歳)を正しい道に連れ戻す黒衣の安藤(あんとう)チエコは館の監視員と知れてくる。

 それにしてもむき出しの炊飯器を素のままで飾って芸術作品とはどうしたことか、ふたりは作者の意図をあれこれ推察? 憶測? 監視員の解説朗読に混乱? 会話は迷走する。

 と、突然列車の発車ベルの音。そちらを見て駆け出す二人を追うように炊飯器の「ご飯が炊けました」の声。

【写真は、「ちょっと、でかけていますので→」から。撮影=前川健彦 会場=小劇場 楽園(東京) 禁無断転載】

 場面は変わり、定食屋か、レストランか、お座敷の、掘りごたつタッチの、端正な席に座り、「大名御膳 徳川三代銀の巻」があれこれ小鉢も晴れがましく居並んで二人の前に並ぶにしろ、盛られたご飯の由緒は美術館に展示されていたあの炊飯器で、芝居を見慣れた人ならここで一癖ありそうだと前屈みになるところ。なにしろ、黒服に前掛けの店員だって安藤さんじゃないか。

 さらに場面は、母の三十三回忌に出かける車中のおりえといく子へと展開しながら、手もなくドキドキさせられてしまうのは車内販売のワゴンから幻想だろうか幻だろうかほんとうのことなのだろうか、家族にゆかりの品々があたかも回想に連れ添うように次々とあらわれるあたりのただならぬ華やぎとうつむきで、だがいったいどうなっているのだろうかワゴン販売員はまたしても安藤さんじゃないの。

 まあまあそういうわけで、場所は老人ホーム、常磐苑。おりえといく子は毎日部屋のドアに「ちょっと、でかけていますので→」なる張り紙をしては、苑内のあちこちへ出向きそこを自在にあらぬ場所と思い定め、スタッフの安藤さんに見守られながら、「お出かけ」を楽しんでいるというのがふつうなら最後に思い当たるこの作のほんとうの構造なのである。

 いや分かって見立てているだけなのか、すっかり出かけた気になっている脳粗鬆症なのか、それが観劇している分にははっきりしないのは、たとえばワゴンの中から取り出される品々が、幼少時の意外に深いところへ触る危険な思い出の品だったり、母親の不倫を想起させる剣呑な記憶をいざなう日記帳だったりするからだ。もっといえば彼女たちの「お出かけ」はこれまでの人生の自分にも秘密だった貌みたいなものとの戯れなのだ。

【写真は、「ちょっと、でかけていますので→」から。撮影=前川健彦 会場=小劇場 楽園(東京) 禁無断転載】
【写真は、「ちょっと、でかけていますので→」から。撮影=前川健彦 会場=小劇場 楽園(東京) 禁無断転載】

 たとえば美術館で、こんな言葉がふいっとおりえの口をつく。

 「最近よく思い出すの…思い出してるのに…思い出せないの…思い出しているような気がするんだけど…」

 あるいは最後の場、母親の墓園で、実は常磐苑の庭先で、

 「(思い出せたら)頭がパーっとして、胸がスーッとする気がするんだけど」

 しかしそれは決して解決しない。作中で安藤さんが言うように、

 安藤「うんうん、行きたいところになかなか辿りつけない…人は本当に行きたいところには、実は行けないことになっている…の…かも…しれ…な…いの…かも…」

 しれないからだ。

 ラストまぎわ唐突におりえはビックリするくらいきれいな、透明な馬がひく透明な馬車が夕べ降りてきたと話し、わたしお出かけします、小学校4年の時の国語の教科書もって、といく子に言う。身だしなみを整え手近の荷物を手に取った彼女は花道をゆっくりと歩き、応えて見守りながら柔らかく手を上げるいく子に、劇場後方で振り返って言う。

 「わたし、ちょっと、でかけてきますので」
【写真は、「ちょっと、でかけていますので→」から。撮影=前川健彦 会場=小劇場 楽園(東京) 禁無断転載】
【写真は、「ちょっと、でかけていますので→」から。撮影=前川健彦 会場=小劇場 楽園(東京) 禁無断転載】

 もちろん、これは死者を送る劇だったのである。死者はどう送られるしかないか、どう送るしかないか。そのことの痛みが静謐なラストシーンにひたひたとたたえられ、おでかけすれば頭がパーッ、胸がスーッとする気がすると花道へかかるおりえはそのモヤモヤを携えたまま彼岸へでかけるしかない。解決しないのだから。解決して自分の本当の姿なるものが見え散らかった人生のあちらもこちらもスッキリ片付くのが「ほんとう」なのではないと考えるわたしは、「ほんとう」などというものはない、いくらむさ苦しい半生でも私たちに与えられたものはそれだけなのだ。と思っている。

 ただ、死という決定的な出来事を完全に断ち切れた時間の点のようなものでなく、ちょっとでかけているだけと「不在の状態」に似た心情に引き延ばしてみせた表現はしなやかさを身上とした青い鳥ならではのものだった。

 最後になったが、会話より独語の語りが多かった安藤さんという役柄は、こういった施設におけるスタッフのかけがえのなさと美しさを存分に伝えるものだったが、演じた森本恵美の怪演も忘れがたかったのであった。




【筆者略歴】
 岡野宏文(おかの・ひろふみ)
 1955年横浜市生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒。白水社の演劇雑誌「新劇」編集長を経てフリーのライター&エディター。「ダ・ヴィンチ」「サファリ」「ダヴィンチ・ナビ」「毎日新聞 大阪版」などの雑誌、新聞に書評・劇評を連載中。主な著書に『百年の誤読』『百年の誤読 海外文学編』『読まずに小説書けますか 作家になるための必読ガイド』(いずれも豊崎由美と共著)『ストレッチ・発声・劇評篇(高校生のための実践演劇講座)』(扇田昭彦らと共著)『高校生のための上演作品ガイド』。単行本の企画編集なども手がける。
・寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/okano-hirofumi/

【上演記録】
劇団青い鳥 スモールワールドIV「ちょっと、でかけていますので→
・東京公演 小劇場 楽園(2013年12月18日-22日)
・大阪公演 ウイングフィールド(2014年1月23日-26日)(ウィングフィールド提携公演)

作 :葛西佐紀+天光眞弓
演出:芹川藍
出演:天光眞弓 葛西佐紀 森本恵美
舞台美術プラン:市堂令
照明:沖野隆一
音響プラン:芹川 藍
音響:尾林真理
衣裳:葛西佐紀 森本恵美
小道具:天光眞弓
演出助手:渡辺なほみ
照明操作:RYU CONNECTION
アートディレクション:長友啓典
グラフィックデザイン:中村健二
写真:前川健彦
制作:長井八美、渡辺なほみ
制作協力:大阪A・SO・BO塾(大阪公演)
企画:劇団青い鳥
主催:(株)青い鳥創業

*アフタートーク
 天光眞弓・芹川藍・葛西佐紀 12月19日(木)夜の回終演後
入場料 前売:3900円  当日:4300円  中学生以下:2000円  全席自由(整理番号付)

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