◎演劇集団キャラメルボックス「スキップ」
片山幹生
2003年の9月末、フランスに留学中だった私は心筋梗塞で入院し、手術を受けた。フランスの大学で博士課程の一年目に取得可能な学位であるDEA(専門研究課程修了証書)の論文を提出した直後だった。学位取得後、この年の12月に帰国。医学的他覚所見では順調に回復していると医者からは言われていたのだが、30代なかばで思いもよらぬ大病に襲われたショックは、自分が思っていた以上に心身に大きなダメージをもたらしていたのか、結局、一年間ぐらいは体調が思わしくなく、外出もままならぬ状態が続いた。
2004年の11月にインターネット上で偶然、地人会の「怒りをこめてふり返れ」(ジョン・オズボーン作)の公演チケットが半額で出ているのを見つけ、購入した。この作品は大学生のころにアイルランドのゴールウェイの劇場で見たことがある、私にとっては懐かしい作品だった。ほぼ一年ぶりの観劇だった。芝居自体はそれほど楽しめなかったのだが、二時間半、椅子に座り続け、作品を最後まで見ることができたことに安堵した。この一年前、帰国直前にパリの劇場に芝居を見に行ったときは、芝居がはじまって30分ほどで苦しくなり、幕間に退場してしまったのだ。二時間半の芝居を最後まで見続けることができたことで、自分の社会復帰のきっかけを見つけることができたように思った。劇場に出かけて演劇を見ることが、自分の回復のバロメーターであるように感じたのである。
キャラメルボックス「スキップ」は、地人会の「怒りをこめてふり返れ」を見た翌月に池袋のサンシャイン劇場で見た。演劇集団キャラメルボックスの名前は知っていたけれど、公演は見たことがなかったし、原作者の北村薫の小説も読んだことがなかった。この公演も半額チケットが出ているのを知り、何となく見に行くことにしたのだ。
17歳の女子高校生がある日、眠りから目覚めると、17歳の娘を持つ42歳の国語教師になっていたという物語。17歳の意識のままの彼女は大いに戸惑いつつも、42歳の既婚女性であり、17歳の娘の母である「新しい」己を引き受けることを決意する。17歳の少女そのままの健気さと率直さで、彼女は42歳の自分を誠実に演じていく。そして42歳の自分を演じていくうちに、失われた彼女の時間は別の形で蘇ってくる。
17歳の心をもつ42歳の女性の二重性が、キャラメルボックスの舞台では、岡内美喜子(17歳の役)と坂口理恵(42歳の役)の二人の女優で演じるという方法で視覚化されていた。芝居のなかでは、甘くせつない高校生活のエピソードが優れた演劇的手法によって再現されていく。「一生懸命やってますっ!」というオーラを出しながら、溌溂と演技するキャラメルボックスの俳優たちのスタイルが作品の題材にうまくはまっていた。一年におよぶ隠遁生活でやけっぱちの気分だった私には、演劇的に提示される嘘のなかでまっすぐ描き出される青春のまばゆさが心にしみた。また「スキップ」が、突然襲いかかってきた不条理な状況を嘆き悲しみながらも、徐々に折り合いをつけ、新しい生き方を見つけ出していく《再生》の優れた物語であることも、当時の私の心境に強く訴えかけるものがあった。私は心を激しく揺さぶられ、上演中、ボロボロ泣きながらこの作品を見たのだった。私が観劇にのめり込むようになったのは、この作品がきっかけである。観劇は私にとって社会生活に復帰するためのリハビリテーションとなった。観劇を通して私は自分の回復を少しずつ確認していったのだ。
「スキップ」を見ているとき、主人公、真理子の姿に妻が重なった。42歳の真理子はちょうど妻と同じ年代であったし、妻はまさにああいう生真面目な潔癖さ、一生懸命で融通のきかないところがある人だからだ。結婚して子供が生まれてから、妻と舞台を一緒に見に行ったことはごく数回しかない。「スキップ」の舞台を妻が見たらどういう感想を持つだろうか、と考える。私と同じように、作品が提示する濃厚なノスタルジーに涙するだろうか。それともあっさり「あまり面白くなかった」と言われるだろうか。
また、今、14歳で青春のただなかに入ろうとしている娘は、「スキップ」を見てどういう感想を持つだろうか、とも考える。自分の未来の姿を登場人物に重ねあわせたりするのだろうか。今、中学2年で演劇部に入っている娘は、年に2度ほど、キャラメルボックスの公演を、他の部員たちと見に行く。演劇部所属の中高生は1000円でこの劇団の公演を見られるのだ。顧問の先生の話によると、中学生たちはとても楽しんで見ているらしい。娘も嫌いではない。ただし「公演、面白かった?」と聞くと
「うん、面白いのは面白いのだけど」と保留がつく。
「なんかやっぱりキャラメルっぽいな、っていつも思うんだ」
五歳の頃から、私の唯一にして最大の観劇パートナーである娘が今好きなのは、前進座と柿喰う客、去年見た芝居のベストワンはiakuの「目頭を押さえた」とのこと。観劇という点ではちょっと早熟である娘がキャラメルボックスの演劇にどこか物足りなさを感じるのはなんとなくわかる気がする。「スキップ」以降、三公演ほど続けて私はキャラメルボックスの公演を見に行ったのだけれども、ひねくれ中年男である私には、あまりに健全で明朗なその劇世界に入っていくことへの抵抗が大きくなってしまい、ここ数年は見に行っていない。
でも「スキップ」の再演があるのなら、私は、今度は妻と娘を誘って必ず見に行くだろう。
数日前、娘は私の本棚にあった北村薫「スキップ」の文庫本を取り出して読み始めた。「そうだ、私がもう一度見たい舞台といえば、何よりもまずキャラメルボックスの『スキップ』だ」と私は気づいた。
【著者略歴】
片山幹生(かたやま・みきお)
1967年生まれ。兵庫県神戸市出身。早稲田大学博士後期課程満期退学。早稲田大学などで非常勤講師。専門は中世フランス文学およびフランス演劇。《古典戯曲を読む会》(東京)世話役。2013年より《ワンダーランド》スタッフ。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/katayama-mikio/
【上演記録】
演劇集団キャラメルボックス「スキップ」
原作:北村薫「スキップ」(新潮社)
脚本・演出:成井豊
出演:坂口理恵 岡内美喜子 岡田達也 西川浩幸 岡田さつき 細見大輔
前田綾 畑中智行 温井摩耶 大木初枝 三浦剛 實川貴美子 藤岡宏美 左東広之 松坂嘉昭 青山千洋 筒井俊作 多田直人
神戸公演:新神戸オリエンタル劇場(2004年11月4日(木)〜11月17日(水))
東京公演:サンシャイン劇場(11月23日(祝)〜12月25日(土))