KAAT×五大路子「ニッポニアニッポン~横浜・長谷川伸・瞼の母~」

◎悲しみへの愛着
 岡野宏文

kaat_hasegawa0a 私は子供の頃、たいした映画少年だった。生家の向こう三軒あたりに小さな映画館があって、日曜日になると、守をするのも邪魔くさかったのか、十円玉を三つほど握らされては、追い出されるようにして、スクリーンばかりが明滅する心地よい暗闇の中へ潜り込んだ。

 この私にとっての聖地は、いわゆる二番館というやつで、ロードショーのお下がりを三本立てでかけるのが常であるのだが、トリュフォーとブニュエルとアラン・レネなんて、そんなありがたいけれど食べられない金無垢のマロングラッセじゃあるまいし、我々プロレタリアートにとって、ま、私はまだ働いてないけど、とにかくゲージュツ的だがせんべ囓りながら拝見するにはめっちゃ悲惨なそういうプログラムは、館主としてもやはり人間、実入りというやつを計らねばならぬゆえありえないわけで、路線は大衆、親は安心、子供の私にとっても「眠狂四郎」シリーズなんかだと女優さんの肌がチラリと掠めるので大満足、という週末だった。

 ところで三本立てというと、当時映画は一本かならず一時間半以内に作られていたから、三本見ると四時間半でしょ、これに休憩が入るもんで昼過ぎにチケットをもぎってもらい、出てくると陽の足が速い季節なら、もう外は夢のような黄昏がしなだれかかって、まるで影絵の町なのであった。

 そのころ映画会社には、東宝、新東宝、東映、大映、松竹などがしのぎを削っていた中で、時代劇、いわゆるチャンバラが東映のお家芸であった。そのチャンバラ映画で私は見たのである。「遊侠一匹 沓掛時次郎」。主演・中村錦之助(のち萬屋)、監督・加藤泰、そして原作・長谷川伸。たぶん11歳ぐらい。股旅のやくざ者時次郎が、一宿一飯の恩義から縁もゆかりもない男を斬らねばならなくなるこの物語は、劇作家・長谷川伸の代表作でもある。

 時次郎はこの働きがいやなのだ。命が惜しいからではない。決まった親分を持たず諸国を股にかけてさすらう股旅渡世だもの、命なんていつどこで落とすかわかりゃしない。その覚悟はある。ただ、一夜の仮寝を施されただけで、侠の義理というメカニズムが彼に命のやりとりを押しつけてくる、そのやくざという生き物の狡さと不自由さがたまらないのである。

 その白刃のやりとりの件はこんなセリフで書かれている。

 時次郎 もし、六ッ田の三蔵さん。おいでなさいますかえ。
 三蔵 六ッ田の三蔵はまだおります。何でござんす。
 時次郎 あっしは旅にんでござんす。一宿一飯の恩があるので、怨みつらみもねえお前さんに敵対する、信州沓掛の時次郎という下らねえ者でござんす。
 三蔵 左様でござんすか。手前もしがない者でござんす。ご丁寧なお言葉で、お心のうちはたいてい見とりまするでござんす。
 時次郎 お見上げもうしますでござんす。勝負は一騎打ち。他人まぜなしで潔くいたしとうござんす。
 三蔵 お言葉、有難うござんす。

 男二人がこれから斬り合いをするのに、このやりとりは哀しいばかりに気っぷがいい。文字で読む以上に、言葉に出して口跡のいい役者が語り合うなら数倍の魅力に満ちてくるだろう。映画では三蔵を東千代乃介、三蔵の妻おきぬを池内淳子が演じた。

 ここににじみ出る哀しさは、セリフではどこにも話されず説明もされていない。人物の生きているさまに問わず語りに感ぜられる。セリフというものの本当の力、それが長谷川伸という劇作家の忘れてはならないときめきだ。

 「ニッポニアニッポン~横浜・長谷川伸・瞼の母~」は、長谷川伸の生涯をモチーフにとった二幕であった。

 昭和二十年五月、横浜大空襲の猛り狂う戦火を逃れて、とある地下室に二人の男が転がり込んでくる。男の一人は国民学校の教師ヤマノ。もう一人がこの劇の主人公長谷川伸。やがて長谷川はみずからの過去をポツポツと語り始める。

【写真は、「ニッポニアニッポン」公演から。撮影=石郷友仁 提供=KAAT神奈川芸術劇場 禁無断転載】

 舞台は長谷川の過去と、彼の作品の劇中劇と、現在の長谷川と、三つの時間をねじり合わせるようにして進んでいく。進んでいくのだが、小気味よいねじれは決して手綱を離れ難しく練り混ざることはなく、手堅い演出と整理された戯曲の構成とで、観客をあらぬ路頭には迷わせぬ。目指すは失われかかるほんとうの「日本の心」と長谷川の生き方の悲しみだ。劇中、地下室の片隅に飾られた剥製のニッポニアニッポン、つまり絶滅した鳥・朱鷺の身の置き所になぞらえて、はかなく消え去ろうとするものを観客の中に呼び戻そうと試みるのである。

 片方で、長谷川のさすらいと作品の間の有機的な結びつきを探ろうと舞台は組み立てられていく。1884年、横浜に生まれた長谷川は、三歳の時母と生別、家は離散、小学校を中退し、出前の小僧肉体労働者など雑多な職業を転々とし、そのご横浜新聞社に入社、都新聞に転社、片時も忘れずにいたものの長らく行方知れずだった母親に47歳にして奇跡的に再会、という劇的な半生を持つ。まさしく股旅そのもののさすらいではないか。

 幼少時に母と生き別れ、もしや苦しい生活をしていたならと懐に百両の金子を暖めながら、別れた母を捜し求めて旅から旅のやくざもの馬場の忠太郎が、ようやくもしやと思われる大店の女将おはまの店を訪るが、身代目当ての強請たかりと勘ぐったおはまにひどいけんつくを食わされ、両の瞼を閉じれば会わない前の母の面影がくっきりと浮かびあがらァと忠太郎がうそぶいて去って行く「瞼の母」は、確かに長谷川の体験とリンクするエピソードでなり立っていると思う。

 だが、ここで考えるべきは、長谷川が母親と幸せな邂逅をはたしたのに反して、忠太郎がなぜつらい再びの別れをしなければならなかったのか、その点だろうと私は思う。劇はその乖離の中にあるのではないだろうか。

 長谷川の中には、名状しがたい、生来の魂のような、絶望への坂道などといってはいいすぎだが、悲しみへの愛着のようなものがあったのではないか。「沓掛の時次郎」「瞼の母」「一本刀土俵入」「暗闇の丑松」、何を書いても彼の戯曲には、先程来私が書いている「哀しみ」のごとき情緒に甘えかかっていくような色合いが絶えないのである。それは大衆演劇だからお客を泣かせてなんぼの策略以外の何かだと私は思っている。彼の哀しみは彼の居住まいそのものなのではないだろうか。

 けれども、ニッポニアニッポンをメタファーとして、長谷川と長谷川の抱えていた「日本的なるもの」に対しオマージュを捧げたこの戯曲と上演舞台には、よき大衆のための演劇らしい、手に取りやすい柔らかさと、暖かいおおらかさのようなものが漂っていて、二時間以内で集中力の切れる私も終幕までゆるりと観ていることができたのだった。




【筆者略歴】
 岡野宏文(おかの・ひろふみ)
 1955年横浜市生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒。白水社の演劇雑誌「新劇」編集長を経てフリーのライター&エディター。「ダ・ヴィンチ」「サファリ」「ダヴィンチ・ナビ」「毎日新聞 大阪版」などの雑誌、新聞に書評・劇評を連載中。主な著書に『百年の誤読』『百年の誤読 海外文学編』『読まずに小説書けますか 作家になるための必読ガイド』(いずれも豊崎由美と共著)『ストレッチ・発声・劇評篇(高校生のための実践演劇講座)』(扇田昭彦らと共著)『高校生のための上演作品ガイド』。単行本の企画編集なども手がける。
・寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/okano-hirofumi/

【上演記録】
KAAT×五大路子『ニッポニアニッポン~横浜・長谷川伸・瞼の母~
KAAT神奈川芸術劇場大スタジオ(2014年05月30日-6月08日)

【出演】
五大 路子
大沢健
吉野実紗
原康義

アンサンブル : 池谷尚史 小谷真一 前東美菜子

脚 本: 齋藤 雅文
演 出: 松本 修

美 術: 乗峯 雅寛
照 明: 大石 真一郎(KAAT)
音 響: 徳久 礼子(KAAT)
衣 裳: 阿部 朱美
演出助手: 村野 玲子
舞台監督: 北林 勇人 (ニケステージワークス)

プロダクション・マネジャー: 山本 園子(KAAT)
プロデューサー: 林 美佐(KAAT)

主催:KAAT神奈川芸術劇場
芸術文化振興基金助成事業
Y155(横浜セントラルタウンフェスティバル)参加事業

チケット料金(全席指定)
一般 5,500円
※高校生以下割引 1,000円(枚数限定)
※U24(24歳以下) 2,750円(枚数限定・当日指定席券引換・要身分証明書)
※プレビュー公演のみ一律5,000円


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