こまつ座 『円生と志ん生』

◎ユートピアのゆくえ  こまつ座にとっては『兄おとうと』(2003年)、井上ひさし自身にも『夢の泪』(新国立劇場、2003年)以来凡そ二年ぶりとなる新作は、二人のはなし家がその興行途中、敗戦直後の満州大連に閉じこめられた … “こまつ座 『円生と志ん生』” の続きを読む

◎ユートピアのゆくえ

 こまつ座にとっては『兄おとうと』(2003年)、井上ひさし自身にも『夢の泪』(新国立劇場、2003年)以来凡そ二年ぶりとなる新作は、二人のはなし家がその興行途中、敗戦直後の満州大連に閉じこめられた六百日間の道行を描いた『円生と志ん生』。五年前から構想をあたため、初日を二月五日に控えた一月二十七日に脱稿したという今作。前評判は相も変わらず頗る好調、前売完売も毎度の事ながら周囲の期待は否が応にも高まる。無事に、かどうかは舞台裏のこと、「遅筆堂」を支えるスタッフ一同の苦労は推して知るべしと云ったところだが、兎にも角にも初日の開幕ベルは紀伊國屋ホールに響き渡った。

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人形劇団プーク 『金壺親父恋達引・カチカチ山』

 1929年に創立され、昨年75周年を迎えた人形劇団プークは現代人形劇専門の劇団である。普段は子どものための人形劇を中心に国内外を問わぬ活動を展開しており、さらにはテレビ、映画にもその幅を広げ、社会的評価も高い。また年に … “人形劇団プーク 『金壺親父恋達引・カチカチ山』” の続きを読む

 1929年に創立され、昨年75周年を迎えた人形劇団プークは現代人形劇専門の劇団である。普段は子どものための人形劇を中心に国内外を問わぬ活動を展開しており、さらにはテレビ、映画にもその幅を広げ、社会的評価も高い。また年に一回、新宿にある本拠地「プーク人形劇場」で「おとなのための」人形劇を上演している。人形劇は子どものものであるという一般のイメージを払拭せむとする劇団の提言を今回より深め広げるべく、「おとなの人形劇」と銘打ってこまばアゴラ劇場冬のサミットに参加したその演目は、井上ひさし『金壺親父恋達引』、太宰治『カチカチ山』の二本。人形劇は文楽を除けば子供の時分に見たきり雀の我が身ながら、確固たる様式がみせる多彩な表現に驚かされ笑わされ、非常に心楽めた。

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三条会 『ひかりごけ』

 処女作を超えることは難しく、そこには作家の表現衝動がすべて潜んでいる、というような言説は屡々耳にするところだが、BeSeTo演劇祭の大トリを飾った三条会の『ひかりごけ』はまさにそうした性格を有している。1997年の旗揚 … “三条会 『ひかりごけ』” の続きを読む

 処女作を超えることは難しく、そこには作家の表現衝動がすべて潜んでいる、というような言説は屡々耳にするところだが、BeSeTo演劇祭の大トリを飾った三条会の『ひかりごけ』はまさにそうした性格を有している。1997年の旗揚げ以降も幾本となく公演を打ってきたことを蔑ろするのではない。2001年の利賀演出家コンクール最優秀賞を受賞し、第三者からの評価がまず確定した上で劇壇の表舞台に現れたというその意味において『ひかりごけ』は「処女作」と呼ぶにふさわしく、そこには近来の関美能留の演劇活動を通して感じられた多く魅力の原初形が表れていたと思うからだ。

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劇団大阪新撰組 『玄朴と長英』

 BeSeTo演劇祭には東京だけでなく全国各地から多種多様の劇団が一堂に会し、他地域の芝居に出会える貴重な機会に恵まれた。最終日の早稲田どらま館で上演された劇団大阪新撰組『玄朴と長英』は今年度の利賀演出家コンクール参加作 … “劇団大阪新撰組 『玄朴と長英』” の続きを読む

 BeSeTo演劇祭には東京だけでなく全国各地から多種多様の劇団が一堂に会し、他地域の芝居に出会える貴重な機会に恵まれた。最終日の早稲田どらま館で上演された劇団大阪新撰組『玄朴と長英』は今年度の利賀演出家コンクール参加作品で、伊東玄朴と高野長英の二人が真山青果の筆によって議論を戦わせる緊密な対話劇。劇団が日頃どのような作品をつくっているかは「ギャグがないのがつらい」という演出メモを手に想像する他ないけれど、今作は利賀に出品したということもあってか、戯曲をそのまま上演するのではなく外側からの視線を送り劇中劇として扱うという、もはや常套でさえある手法を実に簡素なかたちで用いていた。

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ユニークポイント 『あこがれ』

 2001年の初演以後、地方公演を経て今回BeSeTo演劇祭で再演されたユニークポイントの『あこがれ』は、太宰治『斜陽』を原作としながらそれとまったく毛色の違う、別の話に再構築された作品。小説で物語の裏にひっそりと隠され … “ユニークポイント 『あこがれ』” の続きを読む

 2001年の初演以後、地方公演を経て今回BeSeTo演劇祭で再演されたユニークポイントの『あこがれ』は、太宰治『斜陽』を原作としながらそれとまったく毛色の違う、別の話に再構築された作品。小説で物語の裏にひっそりと隠されていたものを繊細に表舞台に引きずり出した戯曲は、『斜陽』を準拠にはするも奇を衒った新解釈は狙わない、山田裕幸という劇作家のスタイルが明確に示されている。

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鵺の会 『場景』

 BeSeTo演劇祭の中でも注目劇団の一つである鵺の会を都立戸山公園につくられた特設会場で観た。作品はジョルジュ・バタイユ『松毬の眼』と太宰治『燈籠』を原作に編まれた『場景』。構成・演出をつとめる久世直之の実験精神が満々 … “鵺の会 『場景』” の続きを読む

 BeSeTo演劇祭の中でも注目劇団の一つである鵺の会を都立戸山公園につくられた特設会場で観た。作品はジョルジュ・バタイユ『松毬の眼』と太宰治『燈籠』を原作に編まれた『場景』。構成・演出をつとめる久世直之の実験精神が満々と浸した舞台はまさに、「前衛」と云う名で呼んでも決して遜色のない精練された知的冒険の世界だった。

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Ort-d.d 『こゝろ』

 たとい日常生活からそれらが失われ、またわたしたちが実感として「日本」を愛することが難しいにしろ、日本人であるという血の嗜好は決して拭い去れるものではない。おそらくは自然の衝動として、日本の風土や文物に云い知れぬなつかし … “Ort-d.d 『こゝろ』” の続きを読む

 たとい日常生活からそれらが失われ、またわたしたちが実感として「日本」を愛することが難しいにしろ、日本人であるという血の嗜好は決して拭い去れるものではない。おそらくは自然の衝動として、日本の風土や文物に云い知れぬなつかしさを覚える。年中行事はすでに習慣として暮しの中に根を張っており、イベント化の誹りを受けもしようが、やはり新年のはじまりには幾万の足が寺社仏閣に向かう。桜に携帯電話を向けるのも一つの愛し方であろうと思う。

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文学座『踏台』

◎愛すべきオジサンのための一喜劇  文学座の喜劇である。創立以来、多岐に渡る喜劇のかたちに挑戦し、そのたびに白眉の出来を見せてきた。彼の系譜を辿れば久保田万太郎や岸田國士から別役実、つかこうへいまで、本当に多くの作家によ … “文学座『踏台』” の続きを読む

◎愛すべきオジサンのための一喜劇

 文学座の喜劇である。創立以来、多岐に渡る喜劇のかたちに挑戦し、そのたびに白眉の出来を見せてきた。彼の系譜を辿れば久保田万太郎や岸田國士から別役実、つかこうへいまで、本当に多くの作家による良質の作品を上演しつづけている。水谷龍二の筆による『踏台』は、2000年に初演され好評を博した『缶詰』の後日譚。キャストはほぼ変わらず、渡辺徹が加わり花を添える。いや、添えるどころではなかったけれど。ともあれ、歌ありドタバタあり、そしてシンミリさせる。文学座流の風俗喜劇である。

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三条会 『女の平和』

 古のアテナイの地に戦争の雨が降る。どうにも止まぬに業を煮やした女たちが緊急に会議を開く。リーダーたるリュシストラテは各地から同志を招集、議題は「如何に戦争をやめさせるか」。アリストパネスの『女の平和』とは、男たちのつづ … “三条会 『女の平和』” の続きを読む

 古のアテナイの地に戦争の雨が降る。どうにも止まぬに業を煮やした女たちが緊急に会議を開く。リーダーたるリュシストラテは各地から同志を招集、議題は「如何に戦争をやめさせるか」。アリストパネスの『女の平和』とは、男たちのつづける戦争に女たちが性のストライキによって終止符を打たんとするギリシア喜劇である。戯曲、演出、俳優という三条の光柱が舞台に会す。演劇にとって当り前と云えば当り前の、しかしその圧倒的な力強さと魅力で他の追随を許さない三条会が挑んだ最古典劇は、関美能留の演出が炸裂し、本当に「演劇を観た」という手応えを実感できる刺激的な一夜だった。

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チェーホフ記念モスクワ芸術座 『リア王』(演出:鈴木忠志)

 1984年、「利賀山房」における劇団SCOTの初演以来、世界中で絶賛されてきた鈴木忠志の代表作『リア王』を、ロシアリアリズム演劇の総本山であるモスクワ芸術座が上演する。今10月末のモスクワ芸術座公演に先駆けての静岡初演 … “チェーホフ記念モスクワ芸術座 『リア王』(演出:鈴木忠志)” の続きを読む

 1984年、「利賀山房」における劇団SCOTの初演以来、世界中で絶賛されてきた鈴木忠志の代表作『リア王』を、ロシアリアリズム演劇の総本山であるモスクワ芸術座が上演する。今10月末のモスクワ芸術座公演に先駆けての静岡初演である。鈴木忠志と芸術座は水と油ではないか、などと素人考えに杞憂してしまったが、起用された劇団の若手俳優たちは馴染みのない演技と身体表現の要求にもかかわらず、流石の力量を見せつけた。日本語字幕はあるものの、ロシア語で語られる台詞に言葉自体の意味伝達性は弱かったけれど、そこは台詞回しで聴かせ、また物語を十分に届け得る身体演技の美しさは刮目に価する。

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