アムリタ「廻天遊魚」

◎構造の結晶と不死者の悲劇を
 梅田径

「廻天遊魚」公演チラシ
「廻天遊魚」公演チラシ

アムリタを見よ!
 アムリタの前々作、第二回公演『n+1、線分AB上を移動する点pとその夢について』を見て、感心したような不安になったような不思議な感慨に捉えられたことを覚えている。
 アムリタは、演出家の荻原永璃、ドラマトゥルクの吉田恭大、俳優の河合恵理子、藤原未歩の四人による劇団である。メンバーは二十代前半、不死の霊薬を意味する劇団名だ。

 アムリタが旗揚げされる前に、荻原の演出、吉田の脚本による尾崎翠原作『第七官界彷徨』を見たことがあった。以来、多分二年ぶりぐらいに見た彼らの演劇は端的にいって「すごくよく」なっていた。その構造はほとんど柴幸男『あゆみ』の類想ではあったけれど(とはいえ、作演の荻原は『あゆみ』を見たことがなかったそうだ)、終盤に至って俳優がそれぞれにアドリブで演技を始めた時、舞台上で蠢く彼らの「夢」のまっすぐさが、若々しく純粋で、そしてちょっとユーモラスでケレン味もある。すごく羨ましくなった。舞台の上を「うらやましいなぁ」と思ったのは初めてだった。
“アムリタ「廻天遊魚」” の続きを読む

東京芸術劇場「God save the Queen」

◎新しい女性性を巡って(鼎談)
 落雅季子+藤原央登 +前田愛実

 2011年に大きな話題を集めた芸劇eyes番外編「20年安泰。」。ジエン社、バナナ学園純情乙女組、範宙遊泳、マームとジプシー、ロロの五団体が、20分の作品をショーケース形式で見せる公演でした。それに次いで今年9月に上演されたのが、第二弾「God save the Queen」です。今回の五劇団を率いるのは、同じく若手でも女性ばかり。そのことにも着目しながら、この舞台について三人の方に語っていただきました。(編集部)
“東京芸術劇場「God save the Queen」” の続きを読む

忘れられない一冊、伝えたい一冊 第33回

◎「如月小春のフィールドノート」(如月小春著 而立書房)
 オノマリコ

370_book_01

 如月小春が生きていたら、と思うことがある。彼女がいれば、いまの日本の演劇はもう少し広かったんじゃないか。
 わたしは如月小春に会ったことはない。彼女が演出している舞台を見たこともない。ただ戯曲や演劇についての論集を読んだことがあるというだけ。(それも数冊しか読んでない。)1980年代の演劇についての知識もいびつだ。そんな頼りのない頭からの推論なのだが、1980年代から彼女が急逝した2000年までの間、演劇に関わる多くの人たちの中で如月小春だけが注目し、耕していたものがあったのではないだろうか。
“忘れられない一冊、伝えたい一冊 第33回” の続きを読む

AI・HALL「寿歌Ⅳ〜火の粉のごとく星に生まれよ〜」

◎劇場と観客を祓い、喜びを寿ぐ
 岡野宏文

369_hogiuta_chirashi

 AI・HALLで北村想作・演出「寿歌Ⅳ」を見ました。
 「寿歌」は「ホギウタ」と読みます。「ジュカ」とか読むと、「本当にあった怖い話 呪歌」になってしまうのでよろしくありません。呪いの歌よりもむしろ寿歌は「寿ぐ歌」ですから佳き時、祝うべき時に歌う、あるいは歌われる歌ということになります。なにが寿がれるのかはまだちょっと後に書きましょう。
“AI・HALL「寿歌Ⅳ〜火の粉のごとく星に生まれよ〜」” の続きを読む

劇団鹿殺し「無休電車」

◎泣き顔の青春グラフィティ
 岡野宏文

 しょっちゅう尊敬しているものだからまるで無分別のように見えなくもないが、わたしの畏敬する歌手・中島みゆきは、「ファイト!」という素敵な青春応援歌の中でだいたいこんなようなことを歌っている。正確な歌詞を書き写せないさる陰険な事情のあることはお察しいただきたい。

 −闘う君を闘わないものが笑うだろう。だけど、ファイト!  君はつらさの中をのぼっていけ

 今から書く劇評において、批評される舞台は「闘うものたち」の作り上げたそれであった。そして私は、嗤っていはしないものの、少なくとも「闘わないもの」なのだった。まったく、この業界において私ほど闘わないものは珍しいといわねばならない。へこたれることにかけて私はかなり卓越している。朝目が覚めたといってはへこたれ、部屋から玄関までが遠すぎるといってはへこたれ、なんのかんのといってはへこたれてばかりいる。

 そこで、「闘うもの」と「闘わないもの」はセーヌの左岸と右岸にたたずむ二人の人に似ていることになる。いや、別に善福寺川でもいいのだけれど。とにかく、両岸にそれぞれ向かい合って立つ二人にとっては、流れが逆方向なのである。同じ右へスタートを切ったとて、わたしはヘナチョコにあえなく水に流されていくだけだ。踏ん張って流れをさかのぼっていく方の裳裾にも触れる暇がない。その遠近法を手元に以下をお読みいただきたい。
“劇団鹿殺し「無休電車」” の続きを読む

世田谷パブリックシアター+コンプリシテ「春琴 Shun-kin」

◎「春琴」とサイモン・マクバーニーの「旅」
 今井克佳

「春琴 Shun-kin」公演チラシ
「春琴 Shun-kin」公演チラシ

 「春琴」の旅が終わる。「最終ツアー」だそうである。2008年2月の東京初演、翌2009年初頭のロンドン公演、そして2010年暮れの東京公演(この年はツアーでロンドン、パリ、台北公演も行われた。)を見てきて、初演ロンドン再演についてはこの「ワンダーランド」にレポートを掲載した。

 その「春琴」が今夏、ニューヨーク、神戸、東京、シンガポール、そしてミシガン州アナーバーとロサンジェルスを回り、幕を閉じるのだそうだ。最終公演のロサンジェルスは9月末ということでこの文章が掲載される頃、「春琴」は最終地で上演されていることになる。私としては、舞台としての「春琴」は2010年の再々演版でほぼ完成された感があり、今夏の東京上演は確認のため、という程度で足を運んだが、いざ一度見るとついつい引き込まれて、立ち見当日券でもう一度見てしまった。
“世田谷パブリックシアター+コンプリシテ「春琴 Shun-kin」” の続きを読む

東京デスロック「シンポジウム」

◎「対話」をめぐる響宴-繰り返される期待と裏切り
  落雅季子

 東京デスロックの演劇は、少し私を警戒させる。どこかへ連れて行かれるような気がして、安穏と観てはいられない。それがどこかはわからないのに、思案しながら自分の足でそこまで歩くことになるような予感を抱えて、私は彼らの公演に訪れる。2012年の『モラトリアム』、『リハビリテーション』の頃から、彼らは舞台と客席の境界を曖昧にしていくなど、観客との関係性を構築し直し、作り手と観客双方のアイデンティティを問い直す試みをより先鋭化させてきた。今作『シンポジウム』は、その問題意識の線上にある一つの到達点と言える。
“東京デスロック「シンポジウム」” の続きを読む

マームとジプシー「てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。」

◎ジャンルをまたぎ、、、こっきょうをこえて、、、
 芦沢みどり

 「マームとジプシーが初の海外公演をするそうだ。その作品が横浜で上演されている」という話を聞いて、4月27日夕、勇んで横浜・吉田町まで出かけて行ったのであった。

 そもそも私が日本の演劇の海外公演に関心を抱くようになったのは、『Theatre Record』というイギリスの劇評誌を定期購読し始めた10年くらい前からだ。この雑誌はロンドンおよびイギリスの地方都市で上演された舞台の新聞評をコピペしただけ、と言っては失礼だけれど、まあ、あまり編集の手間がかかっていなさそうな紙媒体だが、網羅的なのがすごいと言えばすごい。2週間おきに発行されている。
“マームとジプシー「てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。」” の続きを読む

城山羊の会「効率の優先」

◎はたしてこれは効率を優先した結果なのか?
 大岡淳

「効率の優先」公演チラシ
「効率の優先」公演チラシ

 この芝居のタイトルが『効率の優先』と銘打たれているのは、直接的には、2件の殺人が起きてのち、緊急時の対応を先送りし犯罪を隠蔽してまでも、なお仕事を継続させようとする精神を指しているのだろう。安全対策を先送りにして「安全神話」をふりまくことにばかり専心してきた東京電力に象徴される、日本企業の無責任体質が揶揄されていることは明白である。まずはこの点を評価したい。同じテーマを扱っていても、新国立劇場『効率学のススメ』なる愚作と比べれば、はるかにこちらの方が面白かった。
“城山羊の会「効率の優先」” の続きを読む

三条会「三人姉妹」

◎女たちの『三人姉妹』
 梅田径

 去年の『ひかりごけ』が忘れられない。

 洞窟の闇から花咲く天上への大胆な場面転換。美しい舞台美術と衣装、照明、音響、一人で対立する検事と弁護士の両者を演じきった榊原穀の迫力ある演技。いったい何をどう述べればこの魅力を文章に起こせるというのか。それまでも噂や劇評では名前を聞いていたものの、初の三条会は衝撃の一言だった。僕の短い観劇経験の中で静かな衝撃と、心動かされた演劇として、記憶に強く強く残る。
 神奈川の奥地に住んでいる僕にとって、三条会のアトリエがある千葉は行きにくく、いろいろな意味で遠い場所である。旅行というには近すぎるし、他に用事がある時の「ついで」にはすこし遠すぎた。三条会の東京公演は年に一度しかやらない。その機会を逃したらまた一年間待たなければならない
 そのような狂しい思いで求めた三条会の演劇。2013年の東京公演となる今作は、チェーホフの『三人姉妹』であった。当日パンフレットによれば、演出家として長いキャリアと実績をもつ関美能留氏にとっても、今回が初のチェーホフ作品であったらしい。
“三条会「三人姉妹」” の続きを読む