劇団ナカゴー「パイナップルの食べすぎ」

◎ナカゴーに荒事の髄を見る
 カトリヒデトシ

 ナカゴー「パイナップルの食べすぎ」を見て、「助六」だなぁ。という感想をもった。たまたま他の劇場で一緒になった事務局の大泉、都留両氏にその話をもらしたところ、それでレビューを書いてくれと依頼を受けた。このところの「クロスレビュー挑戦編」などで、これは演劇だとは思わない、というようなことを放言している。それは3月に大病をし、以前とやや演劇観が変わってきた個人的事情もあるのだが、自分がなにを演劇だと感じているか、何に演劇性を強く感じるかがよりはっきりしてきたからなのである。そのことについて書いておくのはいい機会だと思い、書かせてもらうことにした。
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ままごと「わが星」

◎『わが星』、ことばと音によるノスタルジア
 片山幹生

 「わが星」公演チラシ作品の概要
 柴幸男作・演出の『わが星』は作者が主宰するままごとによる第一回上演作品として2009年10月に今回の東京公演と同じ三鷹市芸術文化センター星のホールで上演され、好評を博した。作品はこの初演のあと、2010年2月に第54回岸田戯曲賞を受賞している。
 『わが星』というタイトルから明らかであるように、この作品はソーントン・ワイルダーの『わが町』に触発されて生まれた作品であり、平凡な日常のかけがえのなさを「死」を対比させることで浮かび上がらせるという点に両作品の共通点がある。作品の世界観には『わが町』の影響は明瞭ではあるが、ラップ・ミュージックとダンスとことばを融合させた複合的な表現を用いて宇宙の100億年の歩みを団地に住むある女の子の生涯に重ねて描き出すという構図によって『わが星』はきわめて独創的で斬新な劇世界を作り出している。
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三条会「失われた時を求めて~第7のコース『見出された時』~」

◎忘れえぬ「時」が来て「作品」を生きる 公演史・劇団史・個人史の交点で
 -三条会版「失われた時を求めて」の解説にかえて
 後藤隆基

 そしてある日、すべてが変わる――。

 三条会の「失われた時を求めて~第7のコース『見出された時』~」は、こんな言葉で幕をあけた。公演からひと月が経った今なお、この一言のはらむ〈意味〉が、これほど重く感じられるとは予想もしなかった。もちろんその〈意味〉とは、原作小説の解釈などではなく、舞台をみている自分が勝手に付与していたものなのだけれど、この「ある日、すべてが変わ」ってしまうということは、三条会アトリエにいた誰もが共有しえた感覚だったのではないだろうか。もしかするとそれは、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』とはまったく関わりのない価値観である。けれども、三条会の「失われた時を求めて」にとっては、欠くべからざる価値観であったようにも思われる。とすると、それは同時に、三条会を媒介として、私たちがプルーストとつながりうる瞬間であったかもしれないのだ。
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青年団若手自主企画「不機嫌な子猫ちゃん」

◎見えるものは「男の性」 「母と娘」の世界の中に
 金塚さくら

「不機嫌な子猫ちゃん」公演チラシ 状況はひどくありふれているのだった。
 愛情という名の呪縛で娘を支配する母親と、それに反発しながらも結局のところ依存している娘。母と娘という、この永遠の確執。
 いい年をして働きにも出ず、実家で母・愛子と暮らしている市子。彼女と母親との関係は、いわゆる「友達母娘」だ。名前で呼び合い、一緒に買い物に行き、同じ服を共有する。過剰なくらいべたべたと仲良く遊ぶその一方で、しかし彼女たちは互いに互いを恨みあってもいる。娘は母親の誤った「愛情」が自分を束縛し、人生における選択の自由を奪ってきたのだと責める。母は娘が自分の愛情を理解してくれないと嘆き、同等の思いやりを返してくれないことをなじる。
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KUNIO08「椅子」

◎舞台の中心で「婦人」は怒る
 鴨下易子

「椅子」公演チラシ ある20代の演出家が韓国の劇団を紹介して「僕を含めて、日本で芝居にかかわっている人は楽しいからやっているけれど、韓国では伝えたいことがあって芝居をしている。」と書いていた。(それは書き手の周囲の人たちだけだと思いたいけれど)もしそうなら小劇場の担い手の多くは仲間内で楽しく芝居をしているだけで、大学のサークルと変わらない。そんな彼らと、今も社会との関係で芝居をつくり続けている上の世代の演劇人とは、芝居に対する意識が本当に離れてしまっているのだろう。実際、若い芝居関係の知人からは「おもしろいから見に来てください」というのは少なくて、「頑張っているから来て」と誘われることの方が多い。頑張っているのを喜ぶのは身内だけでしょう。私は身内ではなく観客、客のことを考えない公演には行く気にならない。
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「喜劇一幕 虹艶聖夜」(作・演出 藤田俊太郎)

◎蜷川をどう「継承」するか
 木俣冬

「喜劇一幕 虹艶聖夜」公演チラシ 劇場の中へ入り席につく。そこは新宿ゴールデン街劇場。小さな舞台には天井から床、壁面までモノクロ写真が整然と貼られていた。ところ狭しと本棚やテーブル、椅子、ランプなどが置いてある。どうやら誰かの部屋のようだ。
 開演までまだ10分くらい時間がある。ふと隣席を見ると、女性客がビデオを取り出し舞台に向けた。
「撮影はご遠慮ください」とやんわりとスタッフが声をかける。
 そのうち、劇場入り口から俳優たちが行列を作り始めた。ライブを見に来た客という設定らしい。
 ライブがはじまった。
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震災で考えることできること

 北嶋孝(ワンダーランド代表)

 東日本大震災が3月11日に起きてから1週間あまりが経ちました。死者行方不明が2万人に近づいています。それでもまだ被災、被害の全貌が見えていません。東京電力の福島第一原発も依然として危機レベルにあります。
 小劇場関係者にももちろん影響が出ています。その一端でも伝えたいと願ってワンダーランドは3月13日から小劇場を中心とした「演劇震災関連情報」ページを立ち上げ、安否情報を含む関係者の状況を刻々掲載してきました。
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「初日レビュー」を中止しました

 3月の初日レビューは3月16日に青山円形劇場で開演したカンパニーデラシネラ「あらかじめ」を取り上げる予定でしたが、計画停電に伴う交通の途絶などを考慮して中止しました。この公演については劇評として取り上げる予定です。ご期待ください。
 初日レビューは言うまでもありませんが、必ず初日公演を見ることで成立します。つまり特定の日時、会場に、限られた評者が集まることを前提にした企画です。それだけに、鉄道の運休など不確定要素の多い状況では、あらかじめお願いした評者の出席が難しくなります。それに加えて帰途の安全も確保されなければなりません。残念ながら今回は見送らざるを得ないと判断しました。4月以降も今後の状況をみて続行できるかどうか検討します。(ワンダーランド代表・北嶋孝)

震災関連のお願いと特別ページ

 東北地方を中心とする東日本大震災の被害状況は日が経つにつれ拡大し、胸の痛む状況が明らかになっています。亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、残された被災者、被災地のみなさんの今後に、私たちも微力ながらできるだけ協力したいと思います。
 ワンダーランドは小劇場レビューマガジンなので、東北を拠点に活動している演劇関係者の方々の消息、情報をまとめたいと考えました。
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国分寺大人倶楽部「ホテルロンドン」

◎退廃と欺瞞のむこうがわにある風景
 片山幹生(早稲田大学非常勤講師)

「ホテルロンドン」公演チラシ 劇場に入った瞬間から不穏な雰囲気に胸が騒いだ。ちらしの文字が読めないほど暗く照明が落とされた場内ではブランキー・ジェット・シティの音楽が大音量で流れている。舞台は対面式ではなく、三台のダブルベッドが劇場空間の三方の離れた場所に置かれていた。これが演技が行われる舞台となる。ベッドを中心にラブホテル内の三室が暗い会場内でぼんやりと照らし出されている。客席はこの三つの舞台の合間に設置されている。見上げるとミラーボールが光り、天井一面には女性の服や下着などが無秩序にぶら下がっている。BGMの音量がさらに上がり、ほとんど耳をつんざくような大音響になると暗転。芝居が始まる。
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