遊戯ヱペチカトランデ「マドモアゼル・ギロティーヌ」

◎ギロチンの見る夢
 水牛健太郎

「マドモアゼル・ギロティーヌ」公演チラシ
「マドモアゼル・ギロティーヌ」
公演チラシ

 遊戯ヱペチカトランデの「マドモアゼル・ギロティーヌ」はフランス革命を舞台にしたミュージカル劇である。というと宝塚歌劇の代名詞的な存在「ベルサイユのばら」を連想する。だが、似たところはほとんどない。むしろ「ベルサイユのばら」の「裏」バージョンとして作られているのではないかと思うほどだ。
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三木美智代 in 風蝕異人街「桜の園」

◎「変な金持ち」に教えられたこと
  水牛健太郎

 私はこれまでの人生のほとんどをカネがない人間として過ごしてきたため、「金持ちはちょっと変」という気持ちが強い。そんな私にとって、「桜の園」のラネーフスカヤ夫人は「変な金持ち」の代表みたいなものである。恋にうつつを抜かし、乱脈な生活の結果、先祖からの領地を失いかけているのに、現実を見ようともしない。

 特に不思議なところは、幼い頃夫人に可愛がられ、今や立派な商人となったロパーヒンが、領地の中の桜の園を別荘地に貸しだしさえすれば、十分な収入が得られ、全く安泰である、と至極真っ当な話を何度も持ちかけているのに、耳を傾けさえしないことだ。私はいつもロパーヒンがかわいそうでならず、最後にロパーヒンが、魔が差したように領地を落札してしまい、それでもなおラネーフスカヤ夫人を「どうして私の言うことを聞かなかったんですか」と責めながら泣いてしまう場面では、もらい泣きをしそうになるぐらいである。
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セロリの会「遠くへ行くことは許されない」

◎善良な人たちの陥った運命
 水牛健太郎

「遠くへ行くことは許されない」公演チラシ
「遠くへ行くことは許されない」公演チラシ

 民家の居間でちゃぶ台を囲み、朝食を食べている二十代から三十代の男女五人。うち何人かはきょうだいのようだが、はっきりとは分からない。活発に会話を交わし、表情も明るく、いわゆる「和気あいあい」の範囲に納まる雰囲気のはずなのだが、見ているうちに何となく落ち着かない気持ちになってくる。
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shelf 「班女/弱法師」

◎「なるほど」がある演出
 水牛健太郎

公演チラシ
「班女/弱法師」公演チラシ

 三島由紀夫は言わずと知れた大作家だが、演劇にも大変な情熱を注いだ人だ。自己演出に凝ったり人をかついだりと、存在自体演劇的だったし、書いた戯曲の数も小説に匹敵するぐらいあった。ひょっとして演劇の方が小説より好きだったんじゃ、と思うほどにもかかわらず、「そもそも三島の戯曲ってどうよ?」とか言われてしまうのは、天才にして思うに任せないもんだ世の中は、ねえ三島君、と急になれなれしく呼びかけてみる。
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ロロ「ミーツ」

◎未完の成熟
 水牛健太郎

 ロロの作品を決して多く見てきたわけではないが、今回の作品「ミーツ」は画期になったのではないかと感じた。その大きな理由の一つは、この作品の中に「成長」のテーマが繰り返し現れてくるからだろう。これまでのロロの作品はむしろ少年期の感性のみずみずしさを強調するものだったため、大きな変化と感じられるのだと思う。
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範宙遊泳「さよなら日本 瞑想のまま眠りたい」

◎忘れられたものの回帰と日本の終わり
  水牛健太郎

「さよなら日本」公演チラシ
「さよなら日本」公演チラシ

 範宙遊泳は以前短めの作品も含めて3本(「労働です」「うさ子のいえ」「ガニメデからの刺客」)見たが、今回、作風が変化していて驚いた。しかし考えてみれば1年以上間を空けているので、これほど若い作り手であれば大きく変わっても全然不思議ではないのかもしれない。以前見たときの印象は、劇中で物語の進行にルールを課したり、ゲームの要素を盛り込んだりすることで、軽やかな感じを出しているということだった。だが、それほど面白いとは思わなかった。
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想田和弘監督「演劇1」「演劇2」

◎平田オリザの孤独と冒険
  水牛健太郎

映画「演劇1」「演劇2」のチラシ
映画「演劇1」「演劇2」のチラシ

 「演劇1」が始まって間もなく、平田オリザがホワイトボードに「イメージの共有」という言葉を書く場面があるのだが、私の記憶が確かなら、「メ」の字を書くときに平田はいきなり短い棒から書いて、私を驚かせた。続いて「共」では、上の横棒を書いてから縦棒を二本書くのが正しい書き順だが、平田は縦二本を先に書いたのだったか、横二本を続けて書いたのだったか。「有」の字は一番上の横棒を最初に書いて、本来最初に書くはずのはらいを次に書いた。
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バナナ学園純情乙女組「-THE FINAL-バナナ学園大大大大大卒業式 〜サヨナラ♥バナナ〜」

◎「ありがとうバナナ」と叫びたい
  水牛健太郎

バナナ学園純情乙女組公演チラシ

 「伝説」という言葉があって、もともと自然にできるものだった、と思う。自然、と言ってもしょせんは人の世のものだから、人為的に作られることもしばしばだったが、それはあくまで暗いところで語られる裏話。声高に「自分が伝説を作っている」と言い募る性格のものでなかった。
 それがいつの間にか、伝説はおおっぴらに作るものになった。事前に「伝説になる」とうたってるイベントなど、むしろありきたり。参加者や観客の方でも「伝説」のできるその瞬間を見届けようと、意気揚々とその場にやってくる。
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ポツドール「夢の城」
ASA-CHANG&巡礼「新・アオイロ劇場」

◎みやこに雨のふるごとく―KYOTO EXPERIMENT2012報告(最終回)
 水牛健太郎

 ポツドールの「夢の城」の、2006年の初上演は見ていない。マンションの一室を外から見る舞台。冒頭は窓枠もはまっており、ガラスを通して(実際はアクリル板だろうが)、まさに覗く形。時間は深夜二時、近くにあるらしい高速道路から車の走行音が絶え間なく響いており、中の音は聞こえない、という設定である。この窓枠は二幕目から外れるのだが、やはりセリフはない。つまりこの作品は最後まで一切セリフのない無言劇だが、導入で違和感のないよう工夫をしているわけだ。
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Baobab「~飛来・着陸・オードブル~」
ぐうたららばい「観光裸(かんこーら)」
高嶺格「ジャパン・シンドローム ~step2. “球の内側”」

◎京都、東京、それ以外全部―KYOTO EXPERIMENT2012報告(第5回)
 水牛健太郎

 Baobabは去年のKYOTO EXPERIMENTにも出ていて、一年ぶりに見た。ポップというか、最大公約数的な意味のダンスの楽しさ、格好よさを大切にしているカンパニーで、その印象は変わらなかったが、その上での表現という部分で相当な深化があった。前回はやはりナイーブというしかない面があり、「それじゃコカコーラのCMだ」と書いたけれど、もはやそうは言えない。一年でここまで成長するかと驚かされた。
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ぐうたららばい「観光裸(かんこーら)」
高嶺格「ジャパン・シンドローム ~step2. “球の内側”」” の
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