◎正当な「権利」と、失われたものの復活
水牛健太郎
日曜日の神戸はちょっと戸惑うぐらいの秋晴れだった。新長田駅を降りるとすぐ、きれいな広場があり、そこでは巨大な鉄人28号のモニュメントがこぶしを空に突き上げている。鉄人の前で屈託なく記念写真を撮る家族連れや恋人たち。備え付けのパンフレットによれば鉄人は16年前の阪神淡路大震災からの「復興のシンボル」だ。神戸出身の作者・横山光輝は長田の町づくりに全面協力しており,もう一つの代表作「三国志」にちなんだイベントも行われていた。
震災で見渡す限りの焼け野原と化した新長田駅前は、いま商店街と中高層マンションで構成される町となっている。大型商業施設と地元商店街が違和感なく同居し、ほどよい「庶民の町」の風情と買い回りの便利さを両立させている。「ジェントリフィケーション(gentrification)」といった言葉も頭をよぎるものの、当時の被害の深刻さを思い起こしながら、楽しげな人々で賑わう今の様子を見れば、復興はまずは成功と言えるだろう。
鉄人広場に面したマンションのパステルカラーのエントランス。その階段にお年寄りが数人、腰をかけて鉄人を見上げていた。彼らが青春を刻み、家庭を営んだ町は灰となった。その後に、明るく楽しいこの町ができ、そして鉄人がやってきた。幅の広い階段に座った彼らは、ちょっとシュールな展開に戸惑っているようにも見える。
あなたの目は何を見たのですか。あなたは今、幸せですか。穏やかなその姿に無言の問いを投げかけても、答えは、鉄人の頭の上に浮かぶ白い雲のかなたに吸い込まれていく気がした。
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