いわき総合高校演劇部「Final Fantasy for XI. III. MMXI」

◎正当な「権利」と、失われたものの復活
 水牛健太郎

 日曜日の神戸はちょっと戸惑うぐらいの秋晴れだった。新長田駅を降りるとすぐ、きれいな広場があり、そこでは巨大な鉄人28号のモニュメントがこぶしを空に突き上げている。鉄人の前で屈託なく記念写真を撮る家族連れや恋人たち。備え付けのパンフレットによれば鉄人は16年前の阪神淡路大震災からの「復興のシンボル」だ。神戸出身の作者・横山光輝は長田の町づくりに全面協力しており,もう一つの代表作「三国志」にちなんだイベントも行われていた。
 震災で見渡す限りの焼け野原と化した新長田駅前は、いま商店街と中高層マンションで構成される町となっている。大型商業施設と地元商店街が違和感なく同居し、ほどよい「庶民の町」の風情と買い回りの便利さを両立させている。「ジェントリフィケーション(gentrification)」といった言葉も頭をよぎるものの、当時の被害の深刻さを思い起こしながら、楽しげな人々で賑わう今の様子を見れば、復興はまずは成功と言えるだろう。
 鉄人広場に面したマンションのパステルカラーのエントランス。その階段にお年寄りが数人、腰をかけて鉄人を見上げていた。彼らが青春を刻み、家庭を営んだ町は灰となった。その後に、明るく楽しいこの町ができ、そして鉄人がやってきた。幅の広い階段に座った彼らは、ちょっとシュールな展開に戸惑っているようにも見える。
 あなたの目は何を見たのですか。あなたは今、幸せですか。穏やかなその姿に無言の問いを投げかけても、答えは、鉄人の頭の上に浮かぶ白い雲のかなたに吸い込まれていく気がした。
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三浦基/地点「かもめ」、Baobab「Relax★」、ヤニス・マンダリス/ファブリス・マズリア「P.A.D」

◎そして祭は終わる-KYOTO EXPERIMENT 報告 最終回
 水牛健太郎

 秋分の日(9月23日(金))から始まった京都国際舞台芸術祭(KYOTO EXPERIMENT)は10月16日(日)、全日程を終了した。したがってこのリポートも4回目の今回が最終回となる。13日(木)以降に見た作品について報告したい。

 三浦基/地点の『かもめ』を13日に三条通のART COMPLEX1928で見た。もとは新聞社の建物だったといい、上演が行われたのはそのうち、奥に小さな演壇のある講堂である。演壇には丸い額縁のようなものがついている。この部分を含め、壁から天井にかけての左官屋さんの仕事が丁寧で美しい。1928とは昭和3年の意味であろう。昭和初期の京都の職人の技術の素晴らしさ、それを支えた京都の豊かさがしのばれる。
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岡崎藝術座「街などない」
マルセロ・エヴェリン他「マタドウロ(屠場)」
モモンガ・コンプレックス「とりあえず、あなたまかせ。」
笠井叡「血は特別のジュースだ。」
KIKIKIKIKIKI「ちっさいのん、おっきいのん、ふっといのん」

◎ニッポンのからだ―KYOTO EXPERIMENT2011報告(第3回)
 水牛健太郎

 三回目の今回は、5日から10日までの間に見た公式プログラム3本と、フリンジ2本を取り上げる。

岡崎藝術座「街などない」公演チラシ
岡崎藝術座「街などない」公演チラシ

 まずはフリンジの1本、岡崎藝術座の「街などない」。元・立誠小学校の一室の大きな本棚の前に4人の若い女性が、光る生地を使った衣装を着て座っている。そのうちの1人が、かなり露骨なセックスに関する話を他の女性に対して仕掛け、渋々ながら話に乗ってくる人がいたり、黙っている人がいたりと様々だが、最後近くまで延々と続く この「ぶっちゃけガールズトーク」が作品の基調を成す。
“岡崎藝術座「街などない」
マルセロ・エヴェリン他「マタドウロ(屠場)」
モモンガ・コンプレックス「とりあえず、あなたまかせ。」
笠井叡「血は特別のジュースだ。」
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平田オリザ+石黒浩研究室「アンドロイド演劇《さようなら》」
白井剛/京都芸術センター「静物画‐still life」

◎人と人ならざるもの-KYOTO EXPERIMENT 2011報告(第2回)
  水牛健太郎

 KYOTO EXPERIMENT二回目の週末の出しものは、平田オリザ+石黒浩研究室の「アンドロイド演劇《さようなら》」と白井剛/京都芸術センター「演劇計画2009」のダンス作品「静物画‐still life」であった。

 アンドロイド演劇は通常の演劇の枠を超えて話題となっているヒット企画である。幟(のぼり)こそ立っていないが、「あのアンドロイド演劇、京都に来(きた)る!!」という感じだ。会場は約百五十席あったが、通路にも一段ごとに人が座る盛況だった。京都の演劇公演としては相当な入りである。客層も、家族連れや高齢者など、ふだんの小劇場演劇の客とは明らかに違う人が多く含まれていた。
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KUNIO「エンジェルス・イン・アメリカ」
ザカリー・オバザン「Your brother. Remember?」

◎アメリカ! アメリカ!-KYOTO EXPERIMENT 2011報告(第1回)
  水牛健太郎

※以下の報告で取り上げるKUNIO「エンジェルス・イン・アメリカ」はフェスティバル・トーキョー(F/T)での上演が予定されています(10月20日-23日、池袋・自由学園明日館講堂)。

 9月23日から京都国際舞台芸術祭(KYOTO EXPERIMENT 2011)が始まった。23日~25日の三連休はKUNIOの「エンジェルス・イン・アメリカ」第1部と第2部、それにアメリカのアーティスト・ザカリー・オバザンによる「Your brother. Remember?」の上演があった。要するにどっちもアメリカもの、ということだ。

 24日に「Your brother. Remember?」を見ようと会場のART COMPLEX 1928に向かったところ、この日はたまたまオバザンの体調が悪く、公演は中止になった。もっとも公演の主要部分である映像だけは無料で上映された。係員の説明によれば、これで上演のあらましはつかめる、ということであった。なるほど映像はそれだけで十分に完結した作品になっており、内容も素晴らしかった。
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劇団しようよ「茶摘み」

◎方言と人形と閉塞感
 水牛健太郎

「茶摘み」公演チラシ 腿ぐらいの高さで、幅1.5メートルぐらいの細長い舞台。両側を客席に挟まれ、その背後の壁に一枚ずつ白いシーツが、スクリーン代わりに垂れ下がっている。役者が一人出てきてビデオカメラを構えると、スクリーンに映るのは田舎の風景。見渡す限り茶畑が広がる。カメラがある家の居間に入っていくと、夫婦とその娘らしい三人が四角いちゃぶ台に座ってざるそばをすすっている。ちゃぶ台のもう一辺にも一人前ざるそばが置いてあって、どうやらそれが撮影者の分なのだ。すると、舞台の上で、ビデオ画面同様にちゃぶ台を囲んで座っている家族の中の母親が、ビデオを構えた俳優に「はよ、食べてしまいなさいよ。もう、そんな撮ってんと」と声を掛けてくる。うまい導入だ。
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G.com 「実験都市」

◎天才になれなかったぼくたちのために-文芸部員としての最終リポート
 水牛健太郎

「実験都市」公演チラシ
チラシデザイン=栃木香織
イラスト=池田盛人

 七月三十日、土曜日の夜の回を見終わった後、主宰の三浦剛にG.comからの脱退を申し出た。二〇〇九年の一月から二年半、わたしはG.comの文芸部員だった。舞台化された作品は遂になかったし、実態はご意見番+雑用要員のようなものだったけど、内部の人間であったことは間違いない。しかし今年の三月下旬に京都に引っ越して、今回の公演は全くかかわることができなかった。
 今回の作品はなかなかよいと思った時、ワンダーランドに評を書こうと思いついた。それだけの価値がある公演だった。内部関係者が劇評を書いても信用されないから、けじめとしてG.comは辞めることにした。それでも、もちろん、ふつうの劇評とはかなり違ったものになるだろう。いい置き土産になればと思う。
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東京芸術劇場「20年安泰。」(芸劇eyes番外編)

◎二十分と二日間と
 水牛健太郎

「20年安泰。」公演チラシ
「20年安泰。」公演チラシ

 そう言や水天宮ってどんな神社だろう。東京に住んでいた時には考えたこともなかったそんなことが気にかかり、劇場に行く前に立ち寄ってみれば、妊婦さんや、無事に生まれた赤ん坊を連れたお礼参りの家族の姿、折からの雨にけぶっていた。水天宮はつまり安産の神社で、祭神は安徳帝。「なみのそこにもみやこがさぶらふぞ」。なるほど水天宮とは水底の宮城の意味に違いあるまい。にしても壇ノ浦、祖母に抱かれて海中に没した悲劇の幼帝が安産の神様とは。
 きらきらおべべの六歳児が、サンゴきらめく海の中、赤ん坊の手を引き引き泳ぐ様子が目に浮かぶ。母の内なる羊水の海を、あの世からこの世へ赤ん坊を引率する。頼りになるお兄ちゃんぶり。「こんな骨折り仕事を千年も続けちゃ、さすがのおれっちも肩が凝る」と言ったとか言わぬとか。紛れもない惨劇の被害者に安産をお願いする人間の図々しさ、いや強さ。
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劇団ヘルベチカスタンダード「星降る夜」

◎古くて新しい、そして贅沢なお芝居
 水牛健太郎

「星降る夜」公演チラシ
「星降る夜」公演チラシ

 その日、京都市内で朝から二つも芝居を見て疲れていた。あと一つ予約があるけどどうしようか。チケット代千円の学生劇団。はっきり言って期待値は低い。帰って小説を読んでもいい。
 しかし根がマジメにできてる私は、京都大学構内での演劇公演の雰囲気を知るのも悪くないと心を奮い立たせ、会場へと向かった。探し当てた西部講堂は文化財級の見事な瓦屋根。テンションが高まるも、上演時間百三十分と聞き、見る前からげんなりもした。そんな長丁場、乗り切れるだろうか。
 しかしいざ芝居が始まると百三十分は長くなかった。それどころか、京都に来てからみた芝居の中で、(今のところ)一番の当たりだったのだ。
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震災と演劇

水牛健太郎

 その時、私は京都にいました。全く気づきませんでした。後で考えてみると、わたしはその時、駅前にある専門学校の面接が終わり、京都駅で「どこに行こうかな」と大きな観光マップを眺めていたころだと思います。そして仁和寺に行くことにし、路線バスに乗り込み、京都に住んだことのある友達に「どこに住んだらいいと思いますか?住みよくってそんなに高くないとこ」という呑気なメールを送りましたが、相手がその時、地震直後の大混乱のさなかだとは夢にも思わなかったのです。
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