忘れられない一冊、伝えたい一冊 第35回

◎「フルトヴェングラー 音楽ノート」 (白水社 芦津丈夫訳)
  山本卓卓

「フルトヴェングラー 音楽ノート」表紙
「音楽ノート」表紙

 正直、5年くらい前の僕にとってクラシック音楽は鬱陶しいだけでした。
 芝居の音選びのためにTSUTAYAで借りてきたりして「クラシック100選」的なものとかを…
 いざ聴いてみるとなんかどれも大仰な感じがしたし、交響曲とか協奏曲とか室内楽とかオペラ音楽とか種類がいっぱいあってややこしくて、それよりなによりファッションに成り得ないのです20歳そこそこの若者にとってクラシック音楽は。
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忘れられない一冊、伝えたい一冊 第31回

◎「巨匠に学ぶ構図の基本—名画はなぜ名画なのか?」(内田広由紀著 視覚デザイン研究所)
 山田宏平

「巨匠に学ぶ構図の基本」表紙
「巨匠に学ぶ構図の基本」表紙

 演じるときも、演技を指導するときも、誰かの上演を観るときも、いつも関係性について考えながら演劇に接している気がする。演劇は、時間や事件を経て変わりゆく関係性と、その中で変わってゆく人々の状態を味わうものだと、個人的に思っているからだと思う。

 関係性は、基本的に空間と身体の使い方で表わせるものだと思う。空間は言い換えると距離や配置で、身体は視線と姿勢と言い換えたくなる。
 僕は演劇に関わるとき、距離と配置と視線と姿勢の変化を楽しんだり工夫したりしているのだと思う(ここに速度と熱量、呼吸と動作を足したくなる)。
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忘れられない一冊、伝えたい一冊 第30回

◎「貧者の宝」(M.メーテルリンク著 平河出版社)
 吉植荘一郎

【「貧者の宝」表紙】
【「貧者の宝」表紙】

 韓国演劇を見ると思っていたのは「ナゼこれほど頻繁に“死者や異界との交流”が登場するのだろうか?」という事でした。というよりも韓国演劇の生ある俳優や演出家たちは、オバケや亡霊のバッコする世界(舞台)で、一体ナニと向き合っているのだろうか?と。
 私が昨年出演したジョン・ソジョン作『秋雨』もそうでしたし、この2月に東京でリーディング上演された韓国の新作戯曲『海霧』等はいずれも“死者や異界との交流”がテーマもしくはモチーフに…新国立劇場で上演された日韓合作劇『アジア温泉』(鄭義信作)もそうでしたね。
 オ・テソク作『自転車』とかソン・ギウン作『朝鮮刑事ホン・ユンシク』にはメタファーとかじゃない、もうそのものズバリの死人や亡霊、妖怪が“役として”登場して生者と対話したり相撲取ったりします。コレって何なの(笑)? 霊やオバケの登場を韓国文化に由来するものと理解するとして、じゃあ霊やオバケを演じたり、それと向き合う人間はどうやって演じたらいいのか?……それっぽく見せればいいだけかもしれないけど、何だか逆に本質からは遠ざかっていくような気がするし……。
 こんな事を考えている時に出会った本がメーテルリンク著『貧者の宝』でした。
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忘れられない一冊、伝えたい一冊 第29回

◎「ソシュール講義録注解」(フェルディナン・ド・ソシュール著 法政大学出版局)
 矢野靖人

「ソシュール講義録注解」表紙
「ソシュール講義録注解」表紙

 「一冊の本を選べ」と言われたとき、人はどのような本を選ぶのだろう。今までの人生に影響を与えた本、例えば自分の場合、演劇を、演出を始めるきっかけとなった本。あるいは演劇を作り続けて行く上で大きな励みを与えてくれた本。忘れられない一冊。大好きな本。作家。考え出すときりがなくて、例えば書評(ひいてはおおきく批評)という行為に目覚めた本として今も鮮烈な記憶が残っている一冊に、高橋源一郎氏の『文学がこんなにわかっていいかしら』(福武文庫) がある。元々自分が大学で学部を選ぶ際に文学部を選んだのも、カッコつけていえば人間という存在について探求を深めたい。という欲望があったからであって、しかしそれを求むるに適した学問が、果たして心理学なのか、哲学なのか、文学なのか。それとも他に、例えば僕の大学入学は1995年なのだけれども、そのとき流行っていた新しい学問・学部として、総合人間学部なんてものもあった。実に懐かしい。思い起こせば、あれから20年近くになる。ずいぶん遠くまで来たような気がする。一方で、今もまだ学生時代の気分のまま迷っていて、ときどき石ころに躓いては、まるで子供のようにオオゲサに泣き喚いていたりするだけのような気もする。
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AAFリージョナル・シアター2013「羅生門」

◎フレームを揺らす
 山崎健太

公演チラシ
【宣伝美術:清水俊洋】

 村川拓也が芥川龍之介の小説『羅生門』を上演するにあたって採用した方法はまさに「発明」であった。その発明はほとんどあらゆる文学作品や物語を「村川拓也の舞台作品」として上演することを可能にしてしまう。一方、あらゆる物語が上演可能であるということは同時に、あらゆる物語が上演不可能であるということをも含意する。どんな物語でも同じ方法論で上演できるということは、そこに差異を見出さないということだからだ。何を上演しても同じであるならばそれを上演することに価値を見出すことは困難となる。その意味で、村川の発明した方法論は「演出」の極北を指し示していると言ってよい。
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カトリ企画UR「紙風船文様」

◎3人によるクロスレビュー

 今回の企画は、アトリエセンティオで2013年4月4-7日に上演されたカトリ企画UR「紙風船文様」を同時に観劇した3人の方のお申し出により、それぞれの視点から批評していただいたものです。3人は昨年フェスティバル・トーキョー(通称F/T)の関連企画「Blog Camp in F/T」で知り合い、F/T終了後も不定期に集まっては、各々が観た作品を話し、議論してきたとのことです。
 それぞれ違うバックグラウンドを持つ評者が一つの作品に関して書く事で、「紙風船文様」という作品の様々な側面が浮かび上がってきたことと思います。(編集部)
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国際演劇協会「第三世代」(紛争地域から生まれた演劇4)

◎『第三世代』と「リーディング公演」との意外な相性
  横堀応彦

「第三世代」リーディング公演チラシ
「第三世代」リーディング公演チラシ

 ドイツと日本を行ったり来たりする生活を始めてから1年以上が経った。
 最近ようやく演劇やオペラの舞台上で使われるドイツ語が分かるようになってきたものの、こちらに来た当初は何のことだか全くわからず、古典ならば話の内容も分かるはずと、ベルリン・シャウビューネ劇場(以下、シャウビューネと略す)で『ヘッダ・ガブラー』を見たときのこと。上演の終盤で客席からテスマン役を演じた同劇場の主演俳優ラース・アイディンガーに対して「前回見たときより、今日のお前にはやる気が感じられない!ちゃんとやれ!」とダメ出しが飛び出したのだ。
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穂の国とよはし芸術劇場PLAT

◎舞台芸術を通じた人々の出会いと交流拠点『プラット』のオープン
  矢作勝義

 2013年4月30日開館記念式典、5月1日グランドオープンが目の前に迫ってきている、愛知県豊橋市の「穂の国とよはし芸術劇場PLAT」(以降プラットと略)について私の個人的な視点から書きたいと思います。
 2012年4月1日から、公益財団法人豊橋市文化振興財団の事業制作チーフとしてプラットの開館準備の業務に携わり始めました。それまでは、1998年4月から2012年3月までの間、東京都世田谷区の世田谷パブリックシアターに勤務していました。
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イプセンフェスティバル2012

◎イプセンフェスティバル2012に参加して-オスロレポート
 矢野靖人

【写真は、カフェ壁面の片隅にたたずむイプセン。撮影=筆者
禁無断転載】

 2012年、8月の終わりから9月初めにかけて約三週間、ノルウェーで隔年開催されているイプセンフェスティバル(注1)に参加して来ました。ブログに旅日記を記載していたので、それを元に簡単にレポートをまとめたいと思います。

 ここ数年、私が代表を務めるshelfではイプセン戯曲にこだわって繰り返し上演していて、その都度大使館から後援して頂いていたので、そのご縁もあってか若手演出家育成プログラムのような企画で渡航費を出して頂きました。

 ちなみに、大使館からは渡航費以外にも様々な配慮を頂きました。スタッフパスを頂いたので、全作品が無料で観劇できたことや、交渉すればリハも見せてもらえたこと。関係者向けの食堂であるカンティーナ(格安!)や、フェスティバル・バーが出入り自由だったことなどです。フェスティバル・バーでは、スタッフがドリンクチケットを持っていて、適宜便宜を図ってくれました。ノルウェーは物価が高いので(消費税が12~24%)とても助かりました。
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シス・カンパニー/Bunkamura「ボクの四谷怪談」

◎あの頃のボクにとっての怪談
 吉田季実子

「ボクの四谷怪談」 公演チラシ
「ボクの四谷怪談」 公演チラシ

 橋本治が処女作『桃尻娘』を書く前に執筆していた「幻の戯曲」というふれこみで『ボクの四谷怪談』は創作後40年にして日の当たる場所へと登場した。演出は蜷川幸雄、音楽は鈴木慶一が手掛けており、麻実れい、瑳川哲朗といった出演者の顔ぶれからも、これは何やら大事に違いないという期待がいやがおうにも高まってしまう。
 劇場にかかっている幕は歌舞伎の定式幕であり、舞台の上下には電光掲示板がある。タイトルに騒音歌舞伎(ロック・ミュージカル)とあるのだから、歌舞伎の『四谷怪談』を意識した作品なのだろう。歌舞伎=ミュージカルで騒音=ロックなのか、あるいはいずれの訳語も二語で一つの意味をなしているので解体することには意味などないのだろうか、などと考えているうちに幕が上がった。
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