#7 生田萬(キラリ☆ふじみ芸術監督)

演劇がオモシロくなりそうだ

生田萬さん-ここで少し話の向きを変えて、生田さんの活動を振り返ってみたいと思いますが、ブリキの自発団の代表作は「ナンシー・トマトの三つの聖痕」や「夜の子供」などフィリップ・K・ディックの影響が濃厚に感じられる作品が印象に残ります。主演の銀粉蝶、片桐はいり、山下千景さんらその後テレビや映画で活躍する女優が舞台に立っていました。その後劇団は活動を停止しましたが、演出活動では読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞(96年)しています。またTBSの長寿番組「世界の遺産」の構成を手掛けていますね。ほかには…。

生田 受賞した作品も、下北沢のザ・スズナリ15周年記念公演の演出を頼まれたという形でした。劇団活動はそのころ休眠状態でしたから。あと演劇関係では、関西のOMS戯曲賞の選考委員をしたり、子どもたちの演劇ワークショップをやるぐらいでしょうか。

-劇団活動が休止中とは寂しいですね。走り出すには何が欠けているとお考えだったんですか。

生田 果たして今日の世界は演劇によって再現できるか、なんて独りで煮詰まっていたのがちょうどベルリンの壁の崩壊前後のこと。そんなときに新生チェコの最初の大統領にハベルさんなんて人がなった。彼は、イヨネスコやベケットの影響を受けた不条理演劇の劇作家ですよね。だいたい東欧からバルカンの国々の歴史は、ぼくのような素人にはほんとうに目が回る。とにかく支配と被支配がめまぐるしく交替する。チェコのことを考えるときに、いつもカフカを思い出すんですが、生まれたのがオーストリア・ハンガリー二重帝国の時代のチェコ。いきなりこみいってる(笑)。で、プラハというチェコ人の町でドイツ語で小説を書くユダヤ人ときてる。チェコの人々は、長くドイツ語を公用語として強いられた歴史があって、そんななかで自分たちの問題を自分たちの言葉で考え表現する、その中心に演劇があった。そういう伝統が、ハベルのような人を大統領にする背景にあるのではないかと思うにつけ、翻って日本人はどうなんだと。「精神生活の中心に演劇がある」なんて言い切れる事態が日本にあったか。ところが実は、ぼくにはあったんですね、個人史のレベルでは。60年代から70年代にかけて演劇はまさしく時代の中心にあったと、少なくともぼくは思った。わかりやすく個人名をあげると、寺山修司、唐十郎、鈴木忠志、佐藤信さんたちがマストのてっぺんで叫んでた、「オーイ、陸が見えたぞ!」ってね。甲板から彼らを見上げて、自分もあのマストにのぼりたいと激しく思った。劇場がまるでブラックホールのようにその時代のあらゆるものを吸い寄せ、メルティング・ポットになった、そんな時代があったんです。そういう「小劇場運動」と呼ばれたりもした演劇が、80年代になって「運動」の二文字が抜け落ち「小劇場ブーム」なんてのが下北沢を中心に騒がれるようになった。ブームが終わると無関心。それが3年周期ぐらいでくりかえされるその只中にぼくもいたわけですけど、だんだん「時代の鏡」としての演劇が曇ってきたような、それを自分ではどうにもできないみたいな苛立ちを抑えられなくて、そうした文脈から遠く離れたところで根を張りたいと考えだしていたのかもしれませんね(注3)。

-80-90年代、演劇が様変わりする渦中にいながら、当事者として感じたこと考えていたことをもう少し話していただけますか。

生田 いちばん変わったと思ったのは、演劇が演劇の言葉で語られるのではなく、マーケティングの言葉で、あるいは広告宣伝の言葉で語られるようになってきて、それに対する違和感をぼくを含めて演劇人があまり持たないまま、互いにスピードを競って脇目もふらず突っ走った。そんな印象です。そのツケを90年代以降の演劇は、ずっと負ってきたとも言えるかもしれませんね。そうしたなかで、演劇を演劇の言葉で語ろうとした数少ない例外のひとりが平田オリザさんだし、平田さんがアゴラを拠点に展開したのは小劇場から抜け落ちた「運動」の復活だともいえると思います。その流れは、確実に現在実を結びつつあるんじゃないですか。演劇がオモシロくなりそうだという期待と予感を漠然ですけどぼくなんかでさえ抱くようになった。そのことも、ぼくがここに来た理由のひとつでもあるんです。

-劇団の活動を休止してからも芝居はご覧になっていたんですか。

生田 芝居は好きですね、やっぱり。ひきこもってからはつきあいで劇場に行く必要もなくなったし、観たいと思う芝居だけを選りすぐってワクワクと夢見心地で客席に座って開演を待ってた。でも、その時間がいちばん愉しかった、なんて体験がくりかされて。芝居が始まって俳優が登場し一言セリフをしゃべった瞬間、なんであんなつくった声をしかも不自然に張りあげて語るんだろうって、スーッと夢から醒めてしまう。それが何度もあった。ところが、そんなぼくの不満をブッ飛ばす舞台に最近出会いました。チェルフィッチュです。演劇っぽい発声や芝居臭い演技を見事に排除して、一見、限りなく写実的なようでとんでもなくシュール。ものすごく緻密に創られたリアルだと思って興奮しました。

-ほかに新しい芽、可能性を感じている動きはありますか。

生田 昨年度の「キラリ☆ふじみで作る芝居」は、乞局の下西啓正さんの作・演出でした。ぼくは名前しか知らなかった劇団で、作品を読ませてもらったら「ワーッ、こりゃあ下品だなあ」(笑)。と思ってプロフィールをみたら「後味の悪さがウリです」みたいなことが書いてある(笑)。その乞局の公演があるというので劇場でチラシをもらったら「何だこりゃ。センスのカケラもねえぞ」(笑)。でもね、芝居を見たらすっごくオモシロかったんですよ(笑)。どんどん引き込まれて観てしまった。何、このリアル感、という感じなんですね。それで、どうしても知りたくて終わってから下西さんに「チェルフィッチュをどう思う」と尋ねたら、同行した職員がさっと説明してくれて「下西さんはチェルフィッチュの芝居にずっと出演していますから」(笑)。あらためてあの演技のスタイルにやられてしまった。演劇に対する固定観念を捨てる知的操作さえできれば、だれにもできて、だれもがリアル。魔法みたいですね。あのスタイルを踏み絵として、これから何年かのうちに演劇シーンはハッキリ色分けされるんじゃないか。そんな気にすらなりました。

-フランチャイズ候補の劇団はめどがついているのですか。

生田 具体的にはまだなんですが、キラリ☆ふじみのフランチャイズ劇団になることがキャリアアップにつながる、ひとつのステイタスになるような、そんな環境をきちんとつくっていかなければならないと思っています。>>

注3
生田萬「過去はいつも新しく、未来は不思議に懐かしい」(扇田昭彦編『劇談-現代演劇の源流』所載、小学館、2001年)