#12 想田和弘(映画「演劇1」 「演劇2」監督)

「素」と「演技」と「グレーゾーン」

-『演劇1・2』は、パッとできるというのとはちょっと違う取り組み方でしたね。撮影期間は長いですし、出来上がりは一部と二部に分かれているし、内容的に重複するところもある。その辺は、これまでと異なる感じがあったんですか。それとも、これまでの観察という方法で、うまく演劇をまとめることができたという感じなんですか。

想田 人間の営みのひとつとして演劇を見るという視点で、最初から青年団を見ていたと思います。そういう意味では、観察という方法は、普通に正常に機能しました。ただ、非常に難しい部分もあって、その難しさゆえに307時間もカメラを回してしまったんです。
 ひとつには、青年団の世界観や作品の世界がすごく完結している。その完結しているものに対してカメラで切り込んでいく、自分の気持ちがそういうふうになっていくまでに、ものすごく時間がかかった。
 最初のころ、稽古風景を撮るのがうまくいかなかった。撮影を始めて3週間分くらいはほとんど使えない。なぜかというと、青年団の演劇って、同時多発で舞台のいろんなところでいろんな人がしゃべるじゃないですか。しかもどの人物が重要で、どの人物が重要でないということがない。だから、それを全部撮ろうとしちゃうんですね。すると当然、なるべく広い絵でパンしながら撮るんですけど、そうするとつまんない絵になるんです。これが続いてしまって、参ったな、どうしようかと。
 あるとき、クローズアップで撮ってみようと思い直しました。逆に視点を思い切って狭めて切り取ってやれ、と思って撮ったのが、『東京ノート』の稽古。3人の女性がお父さんの話をしているシーンです。あの日は、最初からクローズアップで撮るぞと決めてた。で、実際にやってみると、おもしろい絵が撮れるし、平田さんや俳優さんの方法論や技術が、かえってよく分かる。それでようやく、対等に作品世界に対峙することができはじめた。
 それまでは、負けてるというと変なんですけど、何か遠慮しちゃってた。『東京ノート』のそのシーンでは、僕も舞台に上がりカメラが向こう側に回って平田さんを捉えたり、あるいは俳優さんを逆側から、舞台奥から撮ったりしている。ああいうのも、それまでやれなかった。あれをやり始めて、結構スカッとしましたね。

-なるほど。『演劇1・2』を撮ってみて、新たに想田さん自身の方法論として得られたことはありますか。

想田 方法論というよりも、ドキュメンタリー観が変わった部分はあります。僕は、被写体の「演じている顔」ではなく「素の表情」を捉えたいというふうに、どこか二項対立で考えてたところがあったなと思うんですね。でも、今回撮っていたら、何だか分かんなくなってくるんです。撮れてるのが素なんだか演技なんだか。
 平田さんも俳優さんも、カメラを回してても回してなくても全然変わんないんですよ。でも、平田さんや俳優さんがカメラを忘れてるわけがない。だけどすごく自然。これは何だろう? という疑問ですね。

映画「演劇1」から。
【写真は、映画「演劇1」から。© 2012 Laboratory X, Inc. 禁無断転載】

-やっぱり、夕食のおかずのことを考えてるとはちっとも思えない(笑)。でも、ちゃんと自然にその場で演技に集中してる…。

想田 そうですね。稽古以外の普段の生活を撮ってても同じです。平田さんは、人間とは演じる生きものだとおっしゃるじゃないですか。やっぱり平田さんは平田オリザという役を、ずっとカメラの前でも演じておられるんだと思うんですよね。そう考えたときに、じゃあ、これはドキュメンタリーじゃないのか? とかいろいろ思ったんです。だけど、それでもいいんだと、実は今まで撮ったものものそうだったんじゃないかと、逆に思った。
 つまり『選挙』や『精神』や『Peace』を撮ってたときに、「あ、今この人の素が出た」というところを捉えられたと―「素」のことを「人間の心の柔らかい部分」というふうに僕は表現してるんですけど―「撮れたぞ」と思ったとしても、それはもしかしたら、素を出すということをその人が演技したのかもしれない。そうでないとは言い切れないわけです。そう考えると、結局ドキュメンタリーとは表層を映すことしかできない、という当たり前の事実に行き当たる。
 でも、その表層を映すことによって、被写体の心の中を垣間見たような気になったり、全然見られないような気がしたりする。それは実は、普段のコミュニケーションでも一緒で、僕らは心そのものを見るという能力を与えられてないので、表情とか振る舞いとか表面的なものを入口に、相手の気持ちなり何なりを慮ることしかできないわけです。そのことを改めて認識させられたというか、はっきりと言語化させられたというような経験ではありました。
 だから、何か今までドキュメンタリーというと、仮面を引っぺがして、その人の本当の部分を撮るのがゴールだというイメージがどこかにあったんですけど、今はもっと、その人の振る舞いのバリエーションを多角的に撮るもの、あるいは表層をじっくりと見ることによってその人の内部を伺う、慮る、想像するものというふうに、自分自身のイメージが変わってきています。

-想田さんの著書『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)の中で、二項対立ではなくて、グレーゾーンにフォーカスしたいというのが、今のようなとらえ方ということですね。

想田 おっしゃる通りです。僕の中での二項対立が、ひとつ消えたという感じがあります。地続きというんでしょうか、今こういうふうに話してても、自分の話しぶりにどの程度演技が入っていて、どの程度素なのか、僕自身もよく分かんないところがあるわけです。でも、もともと人間とはそういうものだし、それでよいのだ、ということです。
 『精神』に関連して言えば、病むことといわゆる健常であることが世の中での二項対立。世間では「この人は患者さん」「この人は健常者」と分けてるわけですけど、でも、見れば見るほどその境目というのは曖昧だったり地続きだったりグレーだったりするわけですよね。それと同じようなことが今回起きたのだと思います。

-ただ、なかなか難しいんですけど、黒だと言われてる部分も実際に観察すると白があちこちに残っていて、白の部分にも灰色だったり黒がまだらにあって、それらが入り交じっていて、でも距離をおくと結果的に白や黒、灰色に見えるということもあり得る。演劇のおもしろい作品というのは、黒・グレー・白という分け方ではなく、入り乱れてまだらになってるところがうまく舞台上に乗ると、生き生きして僕らが動かされるような気になることがあります。そういうところが、観察映画の方法論を書かれた中でおもしろく出ているなと思いました。現代口語演劇と想田さんの観察映画というのは、重なるなと思ったんですよね。

ガキ大将っぽくて男っぽい



-想田さんの場合は、映画を作って本を書くというパターンがずっと続いてるんですが、今回も本を書かれたのですか。

想田 はい、岩波書店から刊行されます。『演劇 vs. 映画―ドキュメンタリーは「虚構」を映せるか』というタイトルです。

-おそらく、今日、話していただいたようなことが書かれているのかなという気がしますが。

想田 おっしゃる通りです。

-よっぽどゲラを見せてほしいと頼もうかと思ったんですが、それを読むと聞くことがなくなって困るなあと思って(笑)。実際にカメラを回したのは、半年くらいの間なんですか。

想田 2008年の7月~9月と11月・12月、2009年の2月・3月だから、1年近い期間ですね。

-平田オリザ+青年団にずっと付き合ってみて、改めて印象深い点はどういうところなんでしょうか。本を読んだり、事前に芝居を見たりして予想されたことが覆されたとか、想定の範囲外だったということはありましたか。

想田 ああ、それはいっぱいありましたね。例えば平田さんって、書かれたものを読んだりすると、何だかもっとフェミニンなイメージがあったんですけど、すごくガキ大将っぽい男っぽさ、変な男っぽさがあってですね。あれが結構、リーダーシップの源泉みたいな感じがしたんですが、ちょっと意外でした。

-青年団っていうのは体育会系のようなところのある集団だと平田さんは言ってますけど、そうですか。どういうところに、それを感じましたか。

想田 じゃあ、ご自身でもやっぱりそういうふうに思われてるんですね。いわゆる先輩後輩の厳しさは全然ないし、非常に民主的な組織で風通しがいい。だから全然、体育会系じゃないと思うんですけど、ただ平田さんは、体育会のしゃべり方や振る舞いをされたりするんですよね。まあ、演技でしょうね(笑)。でもそれが、何かおもしろいバランスを作ってるんですよ。実際は体育会系じゃないのに、体育会系の雰囲気なんですね。

-僕らがインタビューした時は、天皇制社会主義っていう言い方でした。

想田 おもしろいことをおっしゃいますね。そんな感じですよね。だから平田さんだけ上にいるんです。一人で全部、決めているから。だけど、劇団員の中にはヒエラルキーはなくて、みんな横並びですよね。で、普通は、あのくらいの規模になると、中間管理職みたいな人がいないとちょっとしんどいと思うんですけど、そこは、平田さんが超人的なマネージメント能力を発揮している。飛行機のチケットとか、もう細かいことまで全部、決裁されるじゃないですか。それを見ながら、本当にこの人の頭の切り替えはすごいなと思いました。

-あんなに忙しいのに、僕らが仕事上の打ち合わせでメール出すと即答ですからね。返事は短いですけどね。

想田 ものすごく短いけど、でもとりあえず返事があるから物事が進んでいくんですよね。

-行動を進めるための具体的な情報は、確実に出しますね。

想田 そうなんですよね。僕自身も、編集ですごく煮詰まってるときには参考にしてます。何ていうのかな、平田さんの働き方ですね。妄想は大事だとか言いながら、あんまり妄想しない人なんですよ。例えば何か大変な仕事を前にした時に、「ああ、めんどうだな、これやるとすごい疲れるだろうな」とか、そういうふうに無駄な妄想はしない。即やっちゃえ、なんですよね。

-思うとは思うんですけど、それでもやっちゃえなんじゃないですか。そういう話を伺うと、森田療法に通じるところを感じますね。ご存知ないですか。

想田 いや、知らないです。何でしょう、森田療法って。

-森田正馬という、精神科医が発案したものですが、今も「生活発見の会」という民間団体が実践活動しています。くよくよ思い悩んでいい。その悩みを持ったまま、ともかく今、必要なことを動いてやりましょうと。行動だけは進めるっていう考え方で、悩みやなんかを何となく引きずるけれど、引きずっていくのが日常だというような、「あるがまま」を重んじる日本独特のおもしろい精神療法として割に広がってるようです。

想田 ああ、なるほど。それにしても、平田さんの働き方はすごく参考になったなあ。例えば作家なんかでも、創作するときにはその気分になるためにいろいろ積み重ねて、すごく集中できる時間を作って、そうでないと書けないっていう人がいますけど、平田さんは真逆。何かやってて、じゃあ5分休憩って時に、みんなは休憩してるのにノートパソコンを開ける。何書いてんのかなって思って撮ってると、新作の戯曲だったりするわけですよ。で、本当に5分くらいの単位で書いてたりする。それであの多作ぶりでしょう。だから逆に、細切れの時間を使う方が生産的っていうか、実は創作にとっていいんじゃないかとか、いろんなことを、自分に引きつけて考えちゃいました。

-あのスタイルだからできるってこともあるんでしょうね。長ぜりふをいっぱい感情込めて言うような芝居だと、5分で、じゃあちょっと続きを、とは、とてもいかない気がするんですけど。

想田 なるほど、なるほど。>>

「#12 想田和弘(映画「演劇1」 「演劇2」監督)」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 休むに似たり。

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