#12 想田和弘(映画「演劇1」 「演劇2」監督)

映画と演劇の違い

想田和弘監督
【写真は、想田和弘監督 撮影=ワンダーランド 禁無断転載】

-平田さんの映画を作った後、芝居をご覧になっていますか。

想田 まあ、そんなにはないですけど、時々、拝見してます。

-映画を作って、いやあ、もう芝居は当分いいわっていう感じにはなりませんか。

想田 いやいや、逆に見る機会は増えてます。おもしろいですよ、最近の演劇。後は、日常の演劇性にものすごく目がいくようになってしまって。僕の日常生活が演劇性に侵食されてます。

-お二人の方法論が割に親和性があるっていう話を伺い、『演劇vs.映画』というタイトルの本が出ることもお聞きしましたが、やっぱり映画と演劇は違いますよね。

想田 そりゃ、違いますね。まあ、いろいろ違いはありますけど。映画って触れないんですよ、物質じゃないんです。演劇ってそこに人やモノが存在するわけじゃないですか。ここがすごく違う気がするんですよね。

-演劇はアナログで再現性がない、一回性が特徴だ、俳優の身体が目の前にあるのが演劇のポイントだとよく言われますけどね。映画は劇場で見る場合もありますけど、DVDになってると誰でも後からいつでも繰り返し見ることが可能ですね。

想田 そうですね。で、映画の場合は、そこに映っていることはやっぱり、どうしても過去なんですよね。でも演劇は今しかできない。今、演じてるから時制が必ず今ですよね。映画の時制は、今見てるんだけど、必ず過去を見てる。タイムマシンなんですね。

-特に現代口語演劇の場合は、そういう方法論からくる「いま」が、非常に強烈に表に出てる。『ソウル市民』5部作では、そういう方法論を自覚的に展開していったんじゃないでしょうか。1909年、19年、29年、39年と、10年ごとの「いま」を重ねる。そうすると時制が、時の推移が生まれますね。確かに各作品はそのとき、そのときなんだけれども、ぱらぱらマンガじゃないですけど、10年刻みで舞台が移り変わると、歴史が動いてきたっていうのがちゃんと分かる。『ソウル市民』を通しで見ると8時間くらいかかるのでとっても辛いんですが、でも何十年間かが確かに経過したのがよく伝わります。平田演劇が「いま」を捕まえて成り立つだけでなく、歳月を重ねる手法で歴史描写をうまく処理したと思います。(注:この点は、中西理さんが3部作上演時に的確に指摘している)。想田さんにも、「いま」を観察映画で切り取りつつ、また重ねると歴史が分かるような作品をぜひ、考えていただきたいです。
(編注)中西理「共時的構造を重ねて『歴史』を提示する 平田版「桜の園」の予感も」(週刊「マガジン・ワンダーランド」第24号、ワンダーランド2007年1月12日掲載)。

想田 そうですね。観察映画シリーズは、ひとつひとつは独立した作品でありながら、全部で1本というふうにも見えるところがある。例えば『選挙』で描いた政治の世界が、今回の『演劇』、特に『演劇2』には顔を出したりする。あるいは『Peace』っていう作品の中で、僕の義理の母が車を運転しながら、駐車料金が払えないとかそういう文句を言ってるときに、偶然、当時の鳩山首相の演説がラジオから聞こえてくる。その演説はたぶん、平田オリザが書いたんだろうとか(笑)、相互に関連が出てくる。
 あるいは『精神』で描いた世界と、『演劇2』の中でメンタルヘルスの会合で平田さんが演説をするところとかもつながる。また、ロボット演劇では、心の問題でニートになったロボットが主人公であるとか、つながっているわけです。

-ロボット演劇に関連してひとつだけ。ロボット演劇は、映画の中で平田さんが説いているペルソナ論と表裏一体ではないか、と思っているんです。ロボットはバッテリーが切れたらただの機械ですから、ペルソナ(人格)はないでしょう。でも人間は関係の中で生活している。人間は古典的に「社会的諸関係の総体(アンサンブル)」と定義した方が実際に近いと思っています。だから機械が舞台に立っても人間が役柄を演じても、どちらでも物語が進行していくのは、実は舞台上での演技作用よりも、観客がみずからの「社会的諸関係」から物語を紡ぎ出すからではないですか。ペルソナ論に引きつけると、ロボットが自分にペルソナ(仮面)を付けるのではなくて、見る側がロボットに仮面を与えるわけです。観客側の「共同幻想」が発現するからですよね。だからそこで必要なのは演技演出論よりも、観客論だろうと思い込んでいるわけです。映画も似ているのではないかと思いますが、もう時間です。
 この辺は想田さんに解いていただきたいし、今後、想田和弘論を書く批評家や学生たちにも追求してもらいたいですね(笑)。今日はいろいろ話を聞かせてもらい、ありがとうございました。
(2012年10月1日、東京・新宿の映画配給会社「東風」で)
(テキスト作成:栗原弓枝、三輪久美子、都留由子、大泉尚子 構成:北嶋孝)

【略歴】
想田和弘(そうだ・かずひろ)
 映画監督。ニューヨーク在住。1970年栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒。ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアルアーツ映画学科卒。NHKなどのドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーション、BGMなどを排した「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱。その第1弾『選挙 』(2007年)は世界200カ国近くでTV放映され、米国でピーボディ賞を受賞。ベルリン国際映画祭へ正式招待されたほか、ベオグラード国際ドキュメンタリー映画祭でグランプリを受賞した。第2弾『精神 』(08年)、番外編の『Peace 』 (10年)も世界各地の映画祭で上映され、受賞多数。最新作『演劇1』『演劇2』は2012年10月20日より全国順次公開。
 著書に『精神病とモザイク』(中央法規出版)『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか 』(講談社現代新書)。最新作『演劇1』『演劇2』の劇場公開に合わせて、岩波書店から『演劇 vs. 映画―ドキュメンタリーは「虚構」を映せるか』を刊行。

◆映画「演劇1」「演劇2」の公開日程
東京 シアター・イメージフォーラムにてロードショー(2012年10月20日-11月23日)
全国順次公開(大阪、京都、神戸、岡山、広島、松山、福岡、札幌、ほか)
詳しい予定は、次の公式HPをご覧ください。
>> http://engeki12.com

インタビューを終えて

想田和弘監督
想田和弘監督

 インタビュアーの北嶋孝さんは、平田オリザの作品を欠かさず見ておられる青年団通であり、演劇通でもある。インタビュー前に、僕の過去の作品や著書も丹念に研究して来られた。しかもインタビューに2時間欲しいとリクエストされてきた。ううう、怖い方だ。彼がインタビューの序盤で、「きっかけにこだわるようですが、かつて青年団の芝居を見ていたということと、知り合いが青年団に入ったということの二つからでは、そのまますぐに『映画を撮る』ってことにはなりにくいですよね」と突っ込んでこられたときに、キラリと北嶋さんの目が鋭く光ったように思えた。こちとら、蛇に睨まれたカエルのような心境だ。だからか、インタビューを読み返すと、僕の頭の中がキュルキュルと回転したのだろう、それまで考えたこともなかったような答えをひねり出している。インタビュー中にはちょっと焦ったけど、思わぬ考えを引き出していただけて、映画作家としてはありがたい。つくづく、インタビューも聞く者と答える者の関係性から生まれるのだと、実感させられる。北嶋さん、ありがとうございました。(想田和弘)

「#12 想田和弘(映画「演劇1」 「演劇2」監督)」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 休むに似たり。

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