#11 相馬千秋(フェスティバル/トーキョー プログラム・ディレクター)

現代口語演劇の立ち位置

-平田オリザさんの存在や、現代口語演劇というものは、相馬さんにとってどのようなものですか。今のお話だとある種の基準になっているのかな、と感じますが。

相馬千秋さん相馬 日本の演劇の潮流というのが、いくつかあるわけじゃないですか。平田さんがつくった現代口語演劇という流れはやはり、今の同時代のお客さんにとって非常に近しい、演劇をある種、地続きに感じさせる、もっとも成功した流れだと思うんですね。
 で、平田さんは、自分の創作だけではなくて、それを普及したり深めたりする環境をつくられて、人が集まり、若い作家・演出家が作品を生み出したりする場を確立された。その成果が、今、確実に出ているじゃないですか。次々とこまばアゴラ劇場から若い才能が生まれてきている。そのことを私は非常に素晴らしいと思っています。F/Tもその恩恵も与る部分は多くて、たとえば松井周さんのような才能は、間違いなくアゴラ劇場から出てきたわけですからね。そういった世代の人たちが、これからの日本の演劇を担っていくことは間違いない。
 今、海外のマーケットで評価され、どんどん出ていこうとする日本の演劇の作り手、例えば、岡田利規さん、三浦大輔さん、タニノクロウさんとか、松井さんもそうなると思いますけれど、ごくごくざっくりと言えば、現代口語演劇の流れから出てきた人たちが、いま海外マーケットでは高い評価を受けている。一方で、それとはまた違った形で演劇を問い続ける松田正隆さんや三浦基さんがいらっしゃる。
 一方で、日本にはそれ以外の流れももちろんある。
 私はそういった異なるものがあるのが、今の日本の演劇の一つの図だよ、ということを示すのがF/Tの役割ですが、ただ、その示し方にもいろいろなやり方がある。例えばそこに新劇が入っていないとかというのは当然ある種の態度の表明ですが、やはりその現代口語演劇と、ある種のポストドラマの系譜と、そうしたものを対比させて拮抗させていくことで、演劇というメディアそのものに負荷をかけていきたいということですね。

アジアのプラットフォームを

-海外に対する見本市的な役割ということでは、成果は上がっているのでしょうか。

相馬 ええ、F/Tが日本、そして東京を代表するアジアの中核的なフェスティバルであるということは、ヨーロッパを中心とする世界のマーケットの中では、周知の事実になっていると思います。海外からのゲストもたくさんきますしね。そこで見ていただいて、実際に作品が買われたり、あるいは新しい企画が生まれることも、すでにたくさん事例としてあるので、そこはさっきの世界のスタンダードということとまったく同様にある程度は達成できたと私は思っています。言うまでもなく、フェスティバルというのは日本の今を世界に伝えるインターフェイスの役割を当然担っているので、それができていなかったら、そもそもダメという話なんですけれど。
 私が目指したいのはそこから先なんですよね。今は最低限のスタートラインに立った段階に過ぎなくて、今までできなかったことの方がおかしい。できるのはあたり前で、そこから先、じゃあ逆に、海外に容易に買われてしまわないような、もう日本でしかできないことをやりたいなとか、そういうふうに発想を転換していきたい。
 これもいろいろなところで言っていることですけれど、今のパフォーミングアーツ、特にF/Tが呼んでいるような作家性の強い作品のマーケットの中心は当然ヨーロッパにあって、しかも、いくつかの劇場、いくつかのフェスティバル、そして何人かの力のあるプロデューサーによって、だいたいその傾向とか流れが決まってきてしまうんですね。そういうマーケットが歴然としてある。それに対してF/Tという、ヨーロッパから遠く離れた極東のフェスティバルがどういう位置を担い、どのような新しい価値を提示できるのか。
 もちろん日本の今を象徴するような作品を創って「買ってもらう」ことはいくらでもできると思うんですね。でも、それをやり続けることに、どれだけの意味があるのだろうかと。劇団の外貨を稼ぐとか、ツアーで見知らぬ土地へ行って見聞を広めるという程度のよさはあると思うのですけれど。むしろ、やっぱり私達が直面している、東京とか日本とかあるいはアジアという現実が、ヨーロッパがつくった文脈とはまったく違う形で成立することもあり得ると、私は思うんですね。
 あり得ることを証明するために、まずは向こうが作った基準に合わせたルールでスタートラインに立った。ここから、それを崩すなり、変容させるなりっていうステージに入ってくるなと思っているんです。それで今回、公募プログラムを実施するにあたり、アジアを対象地域にして、アジアなりのプラットフォームをつくっていこうとしているんですね。

-アジアといっても、例えば中東の方からも応募があるのでしょうか。それともやはり、東南アジアや、中国、韓国などがメインターゲットになるのでしょうか。

相馬 今回募集を締め切ったところ、国内から67件、アジアから81件応募がありました。81件の内訳は、多くが中国、韓国、台湾です。あとはシンガポールやタイ、東南アジア。遠くはインドからもあります。 アジアといったとき、歴然としているのは、地理的に近いということと、もちろんそれゆえに、歴史的にあるいは文化的に共有してきたこともある、という事実だと思うんですね。あとは気候風土などによって規定される条件性も当然あると。しかしだからといって、アジア諸地域の演劇が同時代の感覚を共有していると言えば、そんなことは決してない。
 私は例えば、中国の演劇を見たときに、まったく共有できているとは思えないんですよ。でもドイツの演劇を見ると、わりと共有できているなとか。だから、例えば中国の京劇的なものが、もちろんオリエンタルという大きな枠で見ると、日本の伝統芸能との共通点があるということがあるかもしれないですけれども、でもそれが同時代の共感を生むかというと、まったくそういうことはないわけです。アジアを語るときの難しさって、本当にそういうことで、近いけど遠い、遠いけど近いという、すごくアンビバレントな中で引き裂かれてしまうんですね。
 それが今まで演劇の中でどうだったかと言うと、まずは日本が侵略したという歴史的な負の認識の上に立って、アジア地域で演出家や俳優を集めて共同製作しましょうとか、そういう企画が非常に多かったと思うし、もちろんそれでいい成果が出てきたものもあると思うんですけれども、F/Tはもうその次に行こうと考えています。
 対象は今の20代、30代で、もう歴史的な負の部分の共有というものが、自分を含めてあまりない世代。共有できているものがあるとすれば、むしろ、日本のポップカルチャー、J-POP、マンガ、アニメというサブカルチャー的なものや、村上春樹とかですよね。そういうものの上に、何となく形成される共通の時代感があって、それでもやっぱり、地域によって演劇人が向き合っている現実は、それぞれ個々に違うわけじゃないですか。だから、とる方法論も違ってくるだろうし。そういうプラットフォームはあるけれども、個々に違うものが公募に集まってきて、違いが際立つような形にできたらなと思っています。

公的助成の方針

-F/T10のパンフレットに、市村さんが「すでに『資金』については、次回のフェスティバルへの取り組みが中心にはなっているけれども、ますます混迷をふかめている。文化庁はどんな方針をうちだすのだろうか? 東京都は?そもそも芸術に関する方針などこの国にはあったのだろうか」と、こういうところに載せるにしては、すごいインパクトのあることを書かれていますね。

相馬 これは意味深で、わざと言っています(笑)。もう過ぎ去った明らかな事実なので言ってしまうと、F/Tへの文化庁の助成が第1回、2回はそれぞれ1億円ずつ出ていましたが、第3回目では、何と不採択になってしまったんですね。3億のうちの1億ですから、当然、ないとできないよという話です。
 なぜ不採択になったかは、私たちにはまったく分からないんですけれども、おそらく昨年は、あいちトリエンナーレ、瀬戸内国際芸術祭、KYOTO EXPERIMENTと、いろんなフェスティバルが乱立する中で、分配しましょうということだったと思うんです。結局、不採択になってしまったということは覆せない現実だったので、文化庁が作った別の助成金の枠組みで再申請をして、何とか6900万円はいただくことができました。
 ただ本来的には3月に決まるはずだった助成金が、7月まで決まらなかったので、そこに3、4か月のタイムラグができてしまったんですね。しかもその間も、違う枠組みで助成申請するので、東京芸術劇場さんとか一緒に組んでいる劇場を巻き込んで、膨大な申請書を書かなくてはいけないというのは、かなり組織にも負荷がかかりました。
 結局助成金である以上、先に申し上げたように、とれたりとれなかったりするんですよ。でもそれだと、1年、2年前から計画していることを、安定的に実行していくことはできないので、じゃあどうすりゃいいの?という気持ちが市村の文章からは、にじみ出ているというわけです。

-今のお話は2010年度のことですよね。2011年度分については、順調に進んでいるんでしょうか。

相馬 東京都からの補助金は例年通りということで、一応お約束いただいております。文化庁は申請中なので、まったく分からないですね。
 ですから難しいのは、こういった行政の公的な助成金でやらせていただくフェスティバルの場合、チケット収入は10~15%で、そもそも赤字なわけですよ。フェスティバルを豊かに大きくしていきたい、もっとたくさんの人に来てもらえるように成長させていきたいと思っても、限界があって、その基本的な構造というか資金的枠組みが変わらない限り無理なんです。だから、このままやっていって、内容面の深みや先鋭性は増していくとしても、いきなり爆発的に動員数が増えるかというと、それは無理だと思いますね。

表現内容に制約は

-助成金の関連で、すごく素朴な疑問ですが、先鋭的な作品というのは、時には非常に強い実験性や政治性、性的な表現とかを含んでいると思うんですけれども、そういうプログラムを、助成金によってフェスティバルで上演するというときに、例えば東京都に対して、ちょっとこの表現はまずいかなとか、そういうことはないんですか。去年のタニノさんの作品などでも、これは都主催でも問題ないのかなと思ったりしたんですけれども。

相馬 あらゆることは問題にしようと思えば問題になると思うんですね。それはF/Tの参加作品に限らずすべてそうだと思うんです。児童の労働とか、障害者の問題とか、差別の問題とか、現実にいくらでもあって、それをどういうスタンスでどう掘り下げるかで、明らかになるかならないかの差ぐらいしかない。
 F/Tでやっている演目もまったく同じで、突っ込もうと思えばいくらでも突っ込めるわけです。だからタニノさんの作品を見て、あれは女性蔑視だと言おうと思えば、言えてしまうわけですし、カステルッチの舞台だって、動物虐待だと言われれば、そうなっちゃうわけです。ただ、それを表現の自由という規定で守っているし、それは守られるべきだし、守られるべき前提としてのフェスティバルだと思うんですね。
 行政の方々はそれをよく分かってくださっていて、私が選んでくる作品の内容に関しては一切口を出さないです。とは言っても、こちらもプロですから、基本的に自主検閲はしたくないけれども、でもある程度、そのようなリスクを意識しておいた方が、他に迷惑をかけたりアーティストがより不利な立場になったりすることを避けられる場合には、最初からおうかがいを立てたりということはありますね。

-行政の担当の方々との信頼関係というのは、やっていく中で深まっていったということはありますか。

相馬 多分にありますね。正直申し上げて、最初は向こうもこちらも、ひやひやというか。行政の方にしてみれば、別に舞台芸術を専門にしているわけでもないですし、その価値をとくに理解した上でというわけでもないですからね。ロメオ・カステルッチと言われても、そんなの知らないよ!という世界で、ビデオで見ても犬が出てきて吠えていたりしていて、何だこりゃ?みたいに思われるのは当然だと思います(笑)。
 ただ、そういうものが今のアートの最先端なんだよとか、それによって日本のお客さんにはこういう反響があって、これだけ評価されたということが、実績として積み重なっていけば、彼らもそういうものかと分かってくれましたし、こちらも期待に応えるように動員や波及効果も含めてがんばってきたので、そういう積み重ねで信頼関係はできていると思いますね。
 実際、上演すると決めるまで、私しか見ていない演目って、たくさんあるわけなんですよ。それはF/Tのスタッフと共有することすら難しいこともあって、そうなるともう、向こうとしては、相馬さんを信じるしかない…みたいな状況ですよね。それはそれで、非常に高度なことを要求しているなと自分でも思うんですけれど。まあ、それなりに信じてもらえるような感じになりました。
 最初は「もう少し有名で、分かりやすいものをやってください」とか、「説明してください」とか、そういうことはたびたび言われましたけれども、何事もやっていくうちにご理解いただけるものですね。

他のフェスティバルとの連携は

-先ほどいくつか名前が出た国内のフェスの中でも、今年はKYOTO EXPERIMENTが始まって、そちらとは演目がかなり協力関係にあるようですが、そのあたりの位置付けや関係についてお話ししていただけますか。

相馬 そうですね。都市のフェスティバルが担っている役割は、それぞれに違うと思います。それは東京という街が担っている役割と、京都という街が担っている役割が違うことの反映ですよね。
 京都のフェスティバルに関して言うと、京都は、松田正隆さんとか三浦基さんとか、非常に才能と実績のある作り手がいらして、彼らが本拠地にしている場所です。彼らがそこで作ったものを京都で発表するのは、当然の流れだと思います。それを東京にもお招きしたいというのは、やはりそれが今の日本の演劇を語る上で重要な作品であり、彼らが重要なアーティストだからということですよね。
 それで今回は、KYOTO EXPERIMENTが誕生したので、そちらのフェスティバルで上演して、京都で初演を開けたものを東京でもやって頂きたいと京都のプログラム・ディレクターの橋本裕介さんと当初から話し合って決めてきました。
 それから、ジゼル・ヴィエンヌというフランスの作家の作品も、京都で上演されています。彼女は、元々私と長い付き合いのある人で、急な坂にレジデントしてもらったこともあるのですが、今回上演した作品は、かなりお金もかかる大規模な作品だったので、私としては日本に呼んだら地方にも回したいと思ったんですね。それで橋本さんにも声をかけたところ、興味を持ってくださって。
 そういうことで、いくつかのフェスティバルが協力関係をとることによって、具体的にはコストダウンというメリットがあると思います。そういった制作的なことで、協力し合うのはよくあることで、それはそれでいいかなと。ただお互い気をつけなくてはいけないのは、プログラムが似てしまうことですね。それによって、それぞれの個性を、逆に出しづらくなってしまう危険性もあるわけですよね。それは、各プロデューサーが、さじ加減をうまく判断していかなくてはいけないことだと思いますけれども。

-やっぱり財政的な力というものはF/Tが一番あるから、テレビ局じゃないけれども、系列みたいなことになると。場合によったら、それによって安くすまそうという小さいフェスができたりということが、これからあるでしょうか。

相馬 うーん、どうでしょうねえ。今後、劇場法ができたとして、地方に特色のある様々な劇場ができていった場合でも、事業予算がそんなに潤沢にあることも想像し難いので、F/Tを一つのハブとして、そこで作品を売り買いできるような形にしましょうという話になる可能性もなくはないし、お金のかかる海外作品など一部分ではそれありかなとは思っています。ただ、そういうみんなが共有するものと、自前で自分のところだけでやるものと、うまく特色が出せていければいいと思うんですね。(続く>>)

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