ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場「ルル」

◎ルルーマニアーポピフラッシュ!!!ー
 中村直樹

 「ルーマニアの演劇はすごく面白いんですよ」
 ルーマニアの演劇を語る時、人々は同じことを口にするんです。

 一番最初の聴いたのは、さいたま芸術劇場で行われたNINAGAWAの眼。そこで野田秀樹がシビウ演劇祭で観てきたことをそれはそれは楽しそうに語っていました。

 次に聞いたのは、シアターアーツ主催で行われた公開講座。シビウに招待されている山の手事情社の安田雅弘がシビウ演劇祭についてそれはそれは楽しそうに語ってました。

 その次に聞いたのは、東京芸術劇場でのセミナー。一回目は長年ルーマニア演劇を追いかけている七字英輔が、二回目は七字英輔と扇田昭彦がシビウ演劇祭について、それはそれは楽しそうに語ってます。演劇を生業としている彼らでさえ、ルーマニア演劇を語る時は少年のように目をキラキラさせています。彼らをそれほどまでに熱狂させるルーマニア演劇とはどんなものなのか、話を聞くほどに期待感が膨らんでいきました。

 3月2日13時40分、東京芸術劇場のプレイハウスに入ると舞台上には木で出来たセットがそびえています。舞台上を覆い尽くすようなセットなのですが、壁が見えるだけでどのようなものかは分かりません。
「お席はこちらではなく舞台上になります。そのままお進みください」
案内のスタッフがそう伝えてきます。なんと舞台上のセットは客席なのです。本来の客席を縦断するように、観客の長い列ができています。列の先頭の人が舞台に上がり、セットの中へと消えていきます。

 舞台につくと、観客席はU字型しているのが分かります。そのU字が段々となって、4列の席となっています。国技館や武道館のような印象です。そのUの字に囲まれた空間に、理科室にあるようなステンレスの机が置かれています。Uの字の口の辺りには裸の女の写真が貼られた壁があり、そこには大きな鏡が設置されています。その鏡の手前にはソファーが置かれ、そのセットの上にはオーケストラピットがあります。客席以上に突飛なものは一切ありません。演劇を行われる空間はとても簡素です。

 私は3列目のUの字の底辺りの席でした。そこは舞台の正面に当たる場所。とても見やすい位置です。座席に座ってみると、ベニヤ板でザラザラします。劇場よりも後楽園ホールや武道館にいるような感覚です。そして新築の家のような匂いがします。その席から本来の観客席の方に目を向けると、プレイハウスの二階席が見えました。そこには観客は一人も座っていません。そして一階席は見えません。一階席には観客がいないのは分かっていますが、観客に観られているような感覚に襲われました。
「まるで出演者の一人のようだ」
そのように感じました。その印象は舞台上にいる実感をさらに与え、高揚感に繋がっていきます。

 劇場は暗転し、舞台上の机の上に男が現れました。舞台の奥には紙袋を被った男たちが座っています。
「虎」
「熊」
「猿」
机の上に立っている男は椅子に座る彼らをそう紹介します。そして男は一番のお気に入りである「蛇」を紹介します。別の男がビニール袋に入れられている蛇(オフィリア・ポピ)を担いで現れ、その蛇をドカッと机の上に置きました。あまりにも乱暴に置かれるその様は、即物的。人間のように扱われません。その結果、蛇自身が持つ肉体的な美しさが現れます。美人さんです。でも、傾国の美人さんではありません。そんな美人さんは先ほどの男に担がれて出て行きます。
「猛獣ショーの始まりだ!」
机の上に立つ男の宣言によって、舞台は始まります。

 写真家のシュバルツとシェーン博士が語らっているところに、ルルを伴って、ゴル博士がやってきます。彼らがやってきたのは、若い妻を使っての芸術的な写真を撮ってもらうためなのですが、どうしても芸術的とは思えない。オフィリア・ポピは舞台上を無邪気に走り回り、ドクロを持って面白いポーズをとっていきます。その姿がとてもチャーミング。先ほどまでの即物的な印象が一切感じられません。躍動感に溢れています。

 ゴル博士が外に出ていくと、シュバルツはルルを口説きにかかります。女は初めてだというのに、シュバルツはかなり積極的。ルルを組み伏して行為にまで及んでしまう。女が初めてという言葉はとても嘘くさい。演じているというより、役者自身が発する生々しさが溢れ出しています。

 そこにゴル博士が戻ってきて、行為に及んでいる二人を見咎めます。シュバルツはパニックに陥りますが、ルルは何食わぬ顔をして撮影のポーズを取ります。このシーンがとてもおかしい。ルルは情事に及んでいたと思えないほどのチャーミングさを発揮します。ゴル博士は怒りのあまり憤死してしまいます。あまりの展開に思わず笑ってしまいます。
「あはは」
 とても嘘くさいんです。

 ルルはゴル博士の死後、シュバルツと結婚してしまいます。しかし、その裏でルルはシェーン博士と不倫関係を続けています。(なんとルルが12歳ごろからの愛人関係だったのです)
 ルルと手を切りたいシェーン博士はそのことをシュバルツに告げます。
「処女だといっていた」
「前の夫とは何もなかったと言っていた」
純情というか幻想を見ていたというか、今でいうところの処女厨のようなことを言って、トイレに駆け込んでしまいます。そこにシェーン博士の息子のアルヴァが現れてフランスで革命が起きたと言うと、トイレから断末魔が。アルヴァは斧を取り出して実際にセットの扉を破壊してしまいます。そうすると、シュバルツが首を切って死んでいるのがわかります。シェーン博士はシュバルツの死を革命の起きたことを原因にしようと思い立ちます。あまりの御都合主義。ついつい笑ってしまいます。

 とうとうルルはシェーン博士をものにします。しかし博士との生活も長続きしません。奔放な生活を繰り広げるルルに対して嫉妬するシェーン博士はモルヒネを打って中毒になっていきます。そしてとうとうシェーン博士はルルに自殺するように拳銃を預けます。この揉み合いの最中、ルルによって連れ込まれた曲芸師は右往左往します。それがとてもユーモラス。そしてルルとシェーン博士が向き合い、机の周りをぐるぐる回る時、邪魔だったのか、舞台上に落ちていた緞帳をオフィリア・ポピは足で一生懸命押入れようとしています。ある回では拳銃から弾をバラバラと落としてしまったんだそうな。洗練されておらず、とても牧歌的。ルルではなくオフィリア・ポピが、シェーン博士ではなくクリスティアン・キリヤクその人が役を忘れて現れたような雰囲気です。それはルルという作品との距離感を感じさせます。

 ルルともみ合っているうち、シェーン博士は撃たれてしまいます。そして死にゆくシェーン博士は息子のアルヴァもそこにいることを知ると
「息子よ、おまえもか」
「ジュリアス・シーザーか」
なんていうものが出てきます。とても重要なシーンなのに笑い声がわき起こるのです。そのためどんなに凄惨なシーンでも観客は気楽にわははと笑うことを許しています。

 第一幕が終わると、20分の休憩となりました。銀色の机は片付けられ、代わりにバスタブが置かれます。
「トントントントン、ギュルルルルル」
 何処かで大工仕事をしている音が聞こえてきます。そのためどこか埃っぽい。そしてドリルの振動が響いてきます。
「ジョボジョボジョジョジョボ」
スタッフがバスタブに湯を張りだしました。隠されることもなく目の前で場面は転換していきます。目や耳だけでなく鼻も皮膚も刺激され、舞台上にいることを再認識させられます。

 第二幕になり、場所はフランスの売春宿になります。この幕でシェーン博士の庇護のないルルが人間性を解体されて堕落して行きます。少女の娼婦を見て、ルルは過去の自分を見付け出すなどいろいろ重要なシーンです。その合間に面白いことが起きるのです。ライトを持った女の黒人の像の胸をホテルのオーナーらしき男がなでるとライトの光量が変わります。乳首を押すとライトが消えます。ここで客席から笑いが起きます。そしてライトを持った男の黒人の像のへそを押すとライトが点いたり消えたりします。ここでまた客席から笑いが起きるのです。その滑稽さが頭に残り続けるのです。

 第三幕はルル、養父のシゴルヒ、アルヴァの3人が納屋にいるところから始まります。第二幕と同じようにバスタブが置かれていますが、その周りは藁が敷き詰められています。藁が発する匂いが鼻に届きます。そこを役者達が歩くことで埃が舞い、さらに強い匂いが会場を漂います。それがとても生々しい。「臨場感」をさらに強くします。とうとう娼婦に成り果てたルルはいろんな男を連れ込んでくるのですが、うまく行きません。そして最後に連れ込んできた男は、なんと切り裂きジャックなのです。ルルは切り裂きジャックに殺されて、子宮を取り出されてしまいます。
「ルルは寂しさのあまり男を求めすぎたので、切り裂きジャックに子宮を奪われてしまいました。死んだ~、死んだ~、死んだ~」
ショックヘッドピーターで聴いたような歌が頭の中から聞こえてきます。悲惨で凄惨なシーンであるはずなのに、とても滑稽なのです。まるで童話のよう。

 プルカレーテの世界は官能的で退廃的と言われます。確かにその通りです。観てはいけないと親に言いつけられたものをこっそりと覗いてしまったような感覚に近いのです。そして冷徹にまで客観的。笑ってしまうような世界観に観客は没頭することができません。そのためルルに渦巻く世界との間に心理的な溝が出来上がります。その溝があるので観客は「安心して」ルルという作品と向き合うことができます。ルルと共感することがあっても「他人事」でしかありません。そのうえで観客は五感などを刺激され、自分自身の存在感を「実感」させられます。
 その結果、解剖学教室のような席に座る観客は舞台上の存在が解剖される様子を楽しむ存在に成り果てます。プルカレーテは悪意を取り出そうとしているようです。プルカレーテの手のひらの上で、舞台上にいる人々は、演者も観客も等しく解体されるのです。

 解剖ショーを楽しむ役を与えられた私は、「ルル」以上に「オフィリア・ポピ」の発する生々しさに熱中することになりました。オフィリア・ポピは、ルルでは一人の女が立場の変化で変わっていく多様な表情を見せました。ファウストでは悪魔メフィストフェレスとなって男や女を演じていたとか。ガリバー旅行記では妊婦やらなんやら多くの役を演じていたとか。
「あるときは男たちを虜にするファムファタール、あるときはファウスト博士を堕落させるメフィストフェレス。しかしてその実態は、オフィリア・ポピさ!」
と言わんばかりの七変化ぶりです。
「ポピ、私の天使」
と言いたくなるほど、オフィリア・ポピは魅力に溢れています。ルルという作品は、オフィリア・ポピを解剖するように細かく紹介するために選ばれたのではと思うほどなのです。

 オフィリア・ポピはなんて素敵な女優なのでしょう。プルカレーテはなんて素敵な演出家なのでしょう。初めて観たルーマニア演劇は、新鮮な衝撃に溢れていました。まだ言葉にできていない、そして観てもいない魅力というものがまだまだありそうです。

 「ルーマニア演劇はすごく面白いんですよ」
ルーマニアの演劇を語る時、私も同じことを口にするしかないようです。

(2013年3月2日マチネ観劇)

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