東京芸術劇場「ストリッパー物語」(作:つかこうへい 構成・演出:三浦大輔)

 60~70年代の名戯曲が若手演出家によって舞台に甦る。東京芸術劇場の新企画Roots第一弾はつかこうへいの「ストリッパー物語」だ。演出はポツドール主宰の三浦大輔、となると見所はどこにあるだろう。興味を覚えたのは、この二人には共通するところより違っているところのほうが多いからだ。

 二人とも男女の性や愛憎をテーマの軸にしている。でもその描き方は、つかが浪花節的な暖かさや切なさで泣き笑いの世界を作るのに対して、三浦の作品はドライで退廃、享楽、怠惰、逃避、衝動といった負の側面をこれでもかというくらいに見せつけるので、強烈なインパクトはあるが後味が悪い。

 こんなにスタイルが違うのに、という例を挙げてみると、つかは舞台にほとんど何も置かないが(当初はお金がなかったということもあったらしいけれど)、三浦は舞台セットを作り込んでリアルな場面を視覚的に見せている。
音楽や照明では、つかがダンスや流行の歌謡曲を取り入れたり、決め台詞で揃いのポーズをとらせたり、エンターテイメント性があるのに対して、三浦は効果音に曲を利用したりスポットライトを使うことはあっても、リアルな状況設定にこだわり芝居がかったところがない。
会話の作り方では、つかがたたみかける早口の台詞でスピード感を出し、役者が汗だくになるほどの過剰な熱量の演出をするのに対し、三浦は台詞を削ぎ落とすことによって心の暗部を浮き立たせているように感じる。三浦が直近に演出した「夢の城-Castle of Dreams」(2012年)では、誰もしゃべらず80分間で、アパートの一室をシェアする若者たちの虚無的な生態を描いていた。

 役者の身体表現を駆使し、言葉を尽くして心の内面を見せようとしたつかの作品を、三浦がリアルな場面作りを通してどんなふうに見せてくれるのか、言葉の力と映像のどちらが勝つのか、なんて、そんなところも楽しめる要素だったと思う。

 幕が下りたまま、座長(でんでん)が上手から出てきて前説をする。明美(渡辺真起子)が音楽に合わせて張り出し舞台で踊り始める。赤のシースルードレスに黒の下着だ。ドレスを落とすと、ブラジャーの下からみぞおちまである大きな傷痕が、ミミズ腫れのように肌の上に浮き上がっている。
幕が上がると場末のストリップ劇場の楽屋。最終日のショーが終わり、上手のカーテンを抜けてストリッパーたちが楽屋に戻ってくる。カーテンの脇には黄ばんでシミのついた紙で、「ステージでは笑顔を絶やさないこと、着替えは早めに、場内でのサイン禁止」の注意書きが貼ってある。姿見の縁は手垢で汚れている。ソファの奥には赤やピンクのパンティが干してある。下手側には、上がりかまちの18畳ほどの畳の空間に、化粧台や積み上げられた布団があり、ステージ衣装が何着もぶら下がっている。

 このあと、シゲさん(リリー・フランキー)の思い出語りがある。町会議員に明美を貸し、ホテルから出てきた明美が泣いていたことを照明係の正輝(米村亮太朗)から聞いて、以前ホテルの出口でイリュージョンのセックスを満喫したことを話すのだ。この長い語りが、情感たっぷりで、現実かと思わせるようなイメージを伴って、一幕の見せ場になっていた。

 「明美の両の足ふんづかまえてポーンと三メートルぐらい放り投げてやる。落っこちてきた明美を下で受けて、ズキン!絶頂よ。…愛に火がつくと止まんないからね。『明美いけ!』ポーンと十五メートル放しといて、お互いにバーと走り寄ってくの。『明美、カモンセックス!』『あんた、セックス!』バーンとぶつかってズキーンって快感よ。もう一度セックス、セックス。スーパーセックスよ。こぶなんかできて鼻血もでるけど、五、六回ぶちあたってると、決まるのね。県会議員はもうあっけにとられて、ぶちあたるとき飛ぶ火の粉よけるのに必死って感じよ」

 この語りには、聞いている観客たちも笑いが絶えなかった。十五メートルとか、火の粉とか、あり得ないから。これほどに誇張された記憶は、二人の関係が幸せの高みにあることを感じさせる。
でも、実はこの場面、ストリッパーとヒモの屈折した愛情をも表していた。直前に県会議員に抱かれていたとき、明美は窓の外のシゲさんとずっと目を合わせていたというのだ。シゲさんが見ていてくれるから、どこまででも落ちてゆける。シゲさんはそれをしっかりと受け止めて、一緒に地獄を見る。そして、信頼や愛情とは別次元の、往きつくところまでいくのだ。
一人では堪えきれない地獄の痛みでも、それを共有することが、二人の絆を誰も入り込めない特別なものに昇華する。傷口を舐め合うだけでは足りない。溜めこんだ痛みを発散するために、お互いを必要としているのだ。

 夜が白み始め、早朝の商店街で警官に声をかけられる。シゲさんはこう呟く。「俺らの幸せがうらやましいんだろうね。でも、俺らみたいな幸せは無理なんだよね。だって、俺らには生活はなくて、愛だけだもんね」

 傷つくことを前向きに求めていく愛。地獄の中に救いを見出す愛。この二人にしかできない愛の形だった。その生き方に筋を通すために、シゲさんは、ヒモはこうあるべきという「ヒモ道」を自らに課した。
でも、町の有力者に明美を抱くように誘いかけるのは、捨ててきた女房に申し訳ないという気持ちの裏返しではないだろうか。客や一座の若者に明美と結婚するように唆すのは、行く先の不安から自分を解放するためではなかっただろうか。明美に殴られているうちは、そんな勝手な自分も許せていたことだろう。誠実なヒモでもいられただろう。

 ターニングポイントがいつだったかはわからないが、劇中の明美はシゲさんを殴りはしない。妊娠中の盲腸で子どもを堕ろさなければならなかったときからだろうか。手術で脇腹に大きな傷が残ってしまったときからだろうか。それとも、ストリップの客から化け物と言われたときだろうか。今では、惚れているのだ。
その時、「ヒモ道」は道を失い、流されるまんまになってしまった。シゲさんの気持ちも離れていった。回想の語りの頃とは違って、今ではヒモの生活にうんざりし始めている。ホテルを出てきたとき明美が泣いたのは、そこにいてほしいシゲさんがいなかったからだし、明美のまな板ショーの時、下を向いて目を合わせずに、明美に寂しい思いをさせたのもそのためだろう。

 でもラストシーンで、梅毒で気がふれた明美を前にしてシゲさんが思い出語りをするときには、二人の関係は後戻りのできない深みにはまっていた。明美の股ぐらに県会議員の尻を押し、黒背広のヤクザたちに「ワッセ、ワッセ」言わせているとき流れ落ちる涙。何で泣くんだろう、何が哀しいんだろうと、何度も自分に問いかけながら、答えが見つけられないシゲさん。ヤクザには不憫に思われ、県会議員には感心されながら、こんなつながり方があるのかと自問するシゲさん。もう取り返しがつかない、後悔もできないと、覚悟を決めた二人が哀れだ。理解も共感もはねつける、シゲさんの傷心の層の厚さに息を呑んだ。

 明美もまた自分が破滅する方向に決心をする。シゲさんに娘の美智子(門脇麦)がいたことを知ってショックを受けるが、一緒にダンスを踊り、心が通じ合うと感じるやニューヨーク留学の仕送りを決める。産み落とせなかった自分の娘に重ね合わせているのだ。美智子を見送った後、照明の正輝に言った言葉が心に染みる。
「きょうの明かり、ブルーでとって。あの子の制服の色…」
そうか、ミュージカルに出演したかったという自分の夢も託しているんだと、ハッとする。美智子はかつて輝いていた自分と同じなのだ。新しい夢を見つけた明美のさばさばとした表情が忘れられない。

 さて、三浦が演出してこの作品はどうなっただろう。つか演出の「ストリッパー物語」は観ていないが、現実感があるところは、まったく三浦大輔の世界だった。つか戯曲の登場人物は、こんな人が本当にいるのだろうかと、疑念を感じさせることがあるが、今回はそれもなかった。過剰な演出がなく、役者の個性を活かした話し方だったからだろうか。
この戯曲の見どころの多くは、長い台詞の語りにある。その場面は下がった幕の前だったり、照明を暗くしてスポットライトの下だったり、舞台装置を必要としていなかった。そこでも、役者の語りの妙で観客を惹きつけたのだから、三浦の演出は優れていた。また、明美も美智子も対比されるのではなく、二人とも純真な心を持った同じ世界にいる人に見えるのは、戯曲の持つやさしさがにじみ出たからだろう。

 つか戯曲では、男目線で都合のよい女の描き方をしているところもあるが、こんな女の人がいたらどんな男でも惚れてしまうのにと思える、正輝の妻の奈津子のエピソードを入れてほしかった。正輝が家に戻ってからの次の場面だ。

 「どこに行くの」奈津子がビクリと身体をふるわせ目をさました。「起こしてごめん、トイレだよ」「いや、ここにいて」「だって」「ダメ。離れたくないんだもん」
「あなたがここにいるって夢じゃないのね」…寝て起きるたび奈津子は夢じゃないのかとくり返す。
「あなたってほんとに女の気持ちなんかわからないのね、言っておきますけど、あたしはあなた以外の人から、たとえ自分のお腹痛めた子だって、お乳吸われるのイヤですからね。女の子としても、あなたが仲良くしてたらあたし嫉妬で気が狂っちゃうわ」

 これは無精子症で子どもができない正輝へのいたわりの言葉でもあるけれど、奈津子の一途さが伝わってくる。自分のせいで子どもができないことを話せずに家を出て、奈津子には新しい男を見つけて幸せな家庭を作ってほしいと願っていた正輝。正輝がいなくなったショックで、ご飯ものどを通らずやせ細っていく奈津子。
奈津子のエピソードが入れば、ひかれ者の男女関係と対になる男女関係が生まれ、明美たちの現実がより身につまされるものに感じられたのではないだろうか。また、今回の構成だと、正輝がなぜ愛する妻の奈津子を捨てて一座と一緒にいるのか分からなかったので、この台詞を聞いてみたかった。
(2013年7月11日19:00の回、19日19:00の回観劇)

[参考資料]
・「ストリッパー物語」 つかこうへい 角川書店 1984年6月
・「定本 ヒモのはなし」 つかこうへい 角川書店 1982年8月
・シアターガイド 2013年8月号
・ストリッパー物語 劇場パンフレット


12.夢破れた後も山谷あり(中村直樹)

「東京芸術劇場「ストリッパー物語」(作:つかこうへい 構成・演出:三浦大輔)」への2件のフィードバック

    1. 早い話が、
      チケットを
      Getするには‼️
      どうしたら
      良い、
      ので、しょうか?
      ちなみにポストを、
      足蹴にした
      ポスターでした。
      が、
      間違いないですか?
      以上。

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