東京芸術劇場「ストリッパー物語」(作:つかこうへい 構成・演出:三浦大輔)

 2013年7月20日19時の回で、東京芸術劇場企画制作の『ストリッパー物語』を観ました。会場は東京芸術劇場シアターイースト。
この作品、小説を読んだことがあっておおまかなストーリーは知っていましたが、舞台で観るのは今回が初めて。

 場内に入ると、舞台にはストリップ劇場ではよく見られる「でべそ」と呼ばれる張り出し部分が客席に向かって設えられていて。その周りに少しスペースなどもあり、開場中は脇の扉が開放されていることもあって、なにか少し殺風景な感じもする。

 やがて、開演のブザーが鳴ると、客電も落ちぬままに、賑々しい衣装を纏った座長が現れ、訛りを持った朴訥であか抜けない話し方で、適度に時事ネタなども織り込みつつ、場を少々白けさせつつ、場内を山形の場末のストリップ小屋劇場の場つなぎのコントの時間へと染め替えていきます。
そのアナウンスで登場する踊り子は赤と黒の衣装、スローなダンスに少し硬さを感じるものの、スポットライトに射抜かれたその肢体は凛として、蠱惑的で、たちまちに場を支配し、その艶やかさで観る側を圧倒していく。ミラーボールが回り、でべそ周りに埋め込まれたライトが煌き、ポーズが決まり、応援のテープが飛び、タイトルが投影されて。

 そして、一気に立ち上がったステージの高揚の向こう側に、とり散らかった楽屋の風景が現れて、舞台に満ちた華の裏側の物語が紡がれ始めます。

 タイトルシーンが終わってからのしばらくはステージからそのまま楽屋へふらりと迷い込んでしまったような感覚に捉われていました。勝気な踊り子達と弱腰なヒモ達との会話も、照明さんの仕事ぶりも、座長の言葉も、とりたてて誇張されることなく、漫然とその場に流れる時間や風景のままに置かれていきます。シゲが登場し、そのロール(役)自体からあるがごとくに醸し出されるオーラのようなもので、初めて舞台に芯が生まれ、踊り子たちとヒモたちの関係なども少しずつ観る側に解け、物語が歩み始める。

 役者達の演じ方は、シーンが重ねられても変わることなく、それぞれが保ち続ける自然な質感のままに貫かれて。たおやかなシーンでも、舞台がいらだちや怒りに満ちても、ロールのありのままの姿が舞台に置かれている感触は変わらず、山形たつみ、青森八戸、函館とそれぞれの場で切り出されていくエピソードたちも、日々の重なりから抜き取られた断片のような質感で舞台に重ねられていきます。

 でも、それでも、作品が平板なもので終わらないのは、そのキャラクターたちの質感だからこそ映える様々な表現の仕掛けが差し込まれているから。演出の手練がロールたちの重なりに様々なニュアンスを織りこみ、物語にしなやかな抑揚やメリハリを作り出し、それぞれの個性から描き出すものとは異なる舞台のありようを組み上げていくのです。

 たとえば「でべそ」、ストリップ劇場の雰囲気を醸し出すに留まらず、時として舞台上の人物たちの距離を生むためのツールとなり、あるいは、そこに立つロールに観客の視線を集めその想いのありようを際立たせていきます。山形で照明の正輝がシゲに言われて明美を地方のお偉いさんの元に送るシーンには、同じ舞台上ではなく舞台の上手と「でべそ」上の立ち位置だからこそ伝わってくる二人の想いの距離があって。また、明美が「でべそ」のセンターに立つと明美の視線での会話が生まれ、やがて正輝がその場所にあることでその想いは正輝のものに塗り替わり、二人がともにその場にある刹那に織り上がるものは想いの重なりへの俯瞰となって観る側を取り込んでいく。

 函館で美智子がシゲと再会し、また明美と初めて出会うシーンなどでも、同じように「でべそ」は舞台とともに三人の距離を紡ぎ、やがては中央に立つ三人三様の想いを浮かび上がらせ、シーンを美智子と明美の想いの重なりへと導いていきます。

 また、男たちが明美の帰りを待つ間、シゲを中心にヒモたちが話をする場面などでは、上手の壁面に映る影がしたたかに使われていました。明かりを落とした楽屋のストーブの炎に照らされ浮かぶ男達の姿。でも、ストーブの炎が作り出す大きな影はシゲのものひとつだけ。
男たちに向かって話すシゲの高揚がそのままに影の大きさとなって場を支配していきます。一旦シゲの転寝に沈んだ影は明美が戻ると再び姿を現し、二人の会話の中でのシゲの心情を同じように裏打ちしていく。そこには、台詞で綴られるニュアンスとは少し異なるシゲの思いが描き出され、物語を広げていく。

 踊り子たちのダンスやパフォーマンスから語られるものたくさんありました
みどりが踊るダンスには、あからさまに晒した妊婦の体躯に反して、観る側の目を惹き付ける切れや躍動感があって。それは、みどりの踊り子としての矜持や、ダンサーを続け舞台に客を上げようとするみどりの想いを裏打ちするにとどまらず、タイトル部分のダンスとの対比で明美のダンサーとしての衰えも観る側に暗示していきます。
咲子のヒモを巻き込んだアイデア勝負でのSMショーもどきなども、ダンサーとしてのプライドと、ステージに立ち続けなければならない事情と、客の求めるものとの乖離を自らがどうしようもないことへの苛立ちをしっかりと舞台に表して。

 そして、なにより、函館での、美智子と明美のパ・ドゥ・ドゥのシーンが圧巻でした。明美が、心を開いた美智子を憧れ続けていたミュージカル「レディー・サンフランシスコ」のステップに誘う。それに従う美智子。

 はじめは、二人の調和した軽やかな身のこなしと、同じステップを踏んで心がさらに解かれていく姿に心なごむのですが、でもステップを重ねるうちに四肢の動きの柔らかさやしなやかさなどに明美とは異なる美智子の若さと非凡な才能が垣間見えてしまう。さらに、正輝のライトが当たると、同じはずのシークエンスはダンスに縛られる明美とダンスに解き放たれ羽ばたいていく美智子に乖離していきます。
心を開きあった二人の戯れのダンスシーンは、夢の始まりと終わりが一つに束ねられた、このうえもなく美しく残酷な刹那となって観る側の心を締め付けていく。

 かくの如く、役者達がとてもナチュラルに紡ぎあげていくロールたちが醸す作品のトーンの裏側で、様々な刹那の風景や、踊り子たちの捨てきれない夢や、それらを受け止めるヒモたちの、禍々しく、切なく、純粋で、重なることはあっても一つに撚り合うことのない想いたちが切り出だされ、深く心を捉えられてしまいました。

 横須賀の劇場事務所で座長が正輝に語る顛末は、そうして削ぎだされた踊り子たちの夢の儚さを、淡々と冷徹に観る側に伝えていきます。そして、性病に冒され病床に伏せる明美の姿が物語の印象をさらに観る側に焼き付ける。

 座長とシゲと正輝が見守る中で、美智子に夢を託し、街娼のようにその身をひさぎ仕送りを続けた明美が、成功し日本に凱旋した美智子と自らを求める男の区別すらつかず、
「順番だよ!」
と言い放つ様は、思わず身を引いてしまうほど凄惨で、歪み、汚れ、痛々しく、さらに突き抜けて行き場もないほどに滑稽に思えて。一呼吸おいて風景が舞台の終わりとして溶暗していくとき、観る側には、夢に縋る明美の、そして踊り子たちのどうにも処しえない「業」のありようが深く刻まれているのです

 実をいうと小説で読んだこの物語と今回の舞台では、骨組みは同じであっても肌触りがかなり違って感じられました。そして、小説ではどこかあいまいなままに感じられたロールたちが抱くものの芯が、この舞台ではその質感とともに鮮やかに削ぎだされていて。役者たちの演技、演出の技量、美術、照明などももちろんですが、このことだけをとっても今回の『ストリッパー物語』は実に秀逸な舞台だったと思います。
(2013年7月19日19:00の回観劇)


8.ストリッパー物語(関島弥生)

「東京芸術劇場「ストリッパー物語」(作:つかこうへい 構成・演出:三浦大輔)」への2件のフィードバック

    1. 早い話が、
      チケットを
      Getするには‼️
      どうしたら
      良い、
      ので、しょうか?
      ちなみにポストを、
      足蹴にした
      ポスターでした。
      が、
      間違いないですか?
      以上。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください