イキウメ「新しい祝日」

5.明快な謎解きと、得体の知れない“空気”と(酒井はる奈)

 主人公のパンイチが勢いよくステージの外へと歩き出し、芝居が終わったとき、これって他人事で片づけてはいけないよね、と思った。

 そういえばむかし、今日見た景色とよくにた場面があったような。すっかり忘れていたけれど、たしか同じような空気の中にいたことがあるような。そして自分は、主人公のパンイチでもあったし、そのほかすべての登場人物でもあったような。過去の記憶として遠くに置いてきたけれど、そういえば、あった。私はたしかに、あんなふうな同調圧力のなかにいた。
 その異臭にふと気づいて、顔をしかめたりすることはあったけれど、じきに慣れたり、すこし距離をおいて忘れてしまったり、ときには異臭すら感じず自分からど真ん中に飛び込んで、きれいに溶け込んだりしていたような、気がする。
 そういえばあのとき…いや、今はどうなんだろう。今は同じような場面に遭遇してないと、私は言えるのか…?

 終演後の帰り道で、そんなふうに、いろんな記憶と感触をたぐりよせてしまう作品だった。

 舞台は男性(浜田信也)がひとり、部長席とおぼしき立派なデスクで残業をしているシーンから始まる。整然と並べられた段ボールにはたくさんの机や椅子の絵が描かれ、ここが大勢の人々が働くオフィスであることがわかる。
 そこにとつぜん白い道化の衣装をまとった謎の男(安井順平)が親しげな様子で現れ、たくさんのデスクはからっぽの段ボール箱の山へと変わってしまう。驚く男性。男性は道化のことを知らないが、道化は男性のことをよく知っている様子。しばらく噛みあわない会話を続けた後で、男性は「パンイチ」という名前を与えられ、そのままパンツ一丁の姿で、謎の夫婦の家へと送られてしまう。

 道化はいったい誰なのか? ここはどこなのか?
 いきなりの展開に、パンイチとともに観客である私も戸惑ってしまう。周囲の様子から、どうやら彼は赤ん坊として扱われているらしいと気づく。つかず離れずパンイチのそばにいる道化だけが、“本来のパンイチ”を知っているようだ。そして道化は、謎の小学校(?)でのバスケットボール的な球あそび、次は謎の高校(?)でのウォームアップ目的の部活と、さまざまな場面へと彼を誘導し、「さあお前はこの世界で、どう行動する?」と問いかけてくる。
 そのたびにパンイチは、自分を取り巻く人々が強制してくる“空気”に疑問を感じ、ときに自分を疑い、なんとか適応しようとジタバタする。球あそびのときは、道化とともに空気を無視することを選ぶが、部活では逡巡の末、空気と同調する道をえらび、道化と決別してしまう。

 …と書くと、いかにもテンポよくつぎつぎと場面が展開しているようだが、球あそびと部活のシーンは、すこし冗長な印象も受けた。
 どちらのシーンも、周囲の空気を読んで、「ちょっとヘンかも?」と思いつつ、抵抗したり、同調したり、揺れるパンイチの姿が描かれるのだが、似たような関係性のなかで似たような出来事が何回も何回も、繰り返ししつこく続くので、だんだん飽きてしまうのだ。
 要は世の中、どこへ行ってもそんなことの連続ですよー、我々がやたらと気にしているのはそんな空気ばかりなんですよー、ということを確実に伝えるためのしつこさなのかなぁ、とは考えるものの、役者の演技も、段ボール箱を効果的に使った場面転換も、観客の注意をそらさない絶妙なテンポと間でつづいていくものだから、その心地よいリズム感が、両シーンの冗長さによって損なわれているように感じられたことは、ちょっと残念だった。

 そして場面は、冒頭でパンイチが働いていたオフィスによく似た場所へと転換する。ここでは皆がひたすら折り紙を折っている。折り紙を折る目的は、わからない。
 パンイチが連れてこられた世界は、そもそも組織の皆がめざす目的がわからない場所なのだ。球あそびも、部活も、パンイチには(そして観客である私たちにも)目的がわからなかった。だからこそ彼は今まで悩み、揺れていた。
 だがこの会社に就職したらしいパンイチは、子ども時代とはうって変わり、まったく迷いを見せない。没頭して熱烈に働き、新しい形や効率の良い折り方などを次々と提案し、平社員、主任、副部長と出世コースを駆け上る。そしてとうとう、部長の地位を手に入れる。

 ちなみにこの部長を演じた役者(盛隆二)は、ほかの場面ではパンイチの父や部活動の顧問を演じている。常にパンイチを支配するポジションの役を演じているわけだ。
 終演後、会場で配られたパンフレットを見返すと、盛の役名は“権威”と書いてあった。そのほかの出演者の役名も“慈愛”“敵意”“公正”といった役割のみが記載されており、パンイチ(パンフレットでの表記は“汎一”)と道化以外の登場人物には、名前らしい呼び名が与えられていない。場面と役は変わっても、それぞれのコミュニティにおけるポジショニング(パンイチから見た関係性)は変わらないので、名前はつけずにその人物の役割のみを記しておく、ということだ。

 めまぐるしく時代設定や場所が変わっても、観客がキャラクター同士の関係性を素早く把握できるのと同時に、芝居が進むほど、組織というものの類型性や硬直性みたいなものが浮き彫りになってくる。面白い演出だと思った。

 そんなわけで、パンイチが一心不乱で働き、常に支配されていた“権威”である部長をとうとう乗り越えたとき、とつぜん道化がパンイチの息子として現れる。道化の挑発により、パンイチがこの会社や家族をおかしいと感じ、それに気づかないフリをしつづけていることが明るみに出てしまう。同僚と家族は彼に非難の目を向け、積み上げてきた信頼は地に落ちる。気づけば、廃墟のようなオフィスで道化と二人きりに戻っていた。
 ごく自然な様子で空の箱を手にとり、球あそびをしていた頃のようにキャッチボール(箱?)をはじめ、和解する2人。「もう大丈夫だな」という言葉を残して道化は去っていき、パンイチはひとり残される。

 道化はけっきょく誰だったのだろう?
 はじめは彼の過去をよく知る友人や家族だろうか? と、“謎とき”シーンを待ちながら観ていたが、ラストシーンでパンイチがひとり取り残されたところで、道化はもう一人のパンイチだったのだと悟った。彼がじわじわと抑圧し、決別し、いつしかその存在すら忘れてしまったもう一人の自分が、道化だったのだ。

 そして冒頭の整然としたオフィスのシーンも、彼の妄想だったことを知る。このグチャグチャに荒れ果てた、まるで倒産したオフィスのような場所が、パンイチの現実なのだ。勤め先がつぶれたのか、あるいは所属部門の廃止でクビになったのか、とにかく、彼が拠り所にしていた居場所は崩壊してしまった。失意のどん底に落ちた男が、決別したはずのもう一人の自分に連れられ、自分の心の中を旅する冒険に、私は立ち会っていたのだ。

 エンディングでその構造が鮮やかに見えてきて、推理小説のよくできたオチを読んだときのようにスカッとした気持ちになった。

 ずっと封印していた数々の後悔の記憶を噛みしめて、パンイチはもう一人の自分、「それはおかしい」とまっすぐ言える自分と和解することができた。職場をなくし、同時にアイデンティティも失ってしまったパンイチは、もう一人の自分に連れられて自分の半生を旅することで、生まれ直し、“空気”に流されて見失っていたもの、いや、気づいていたのに目を背けていた何かを見つめ直すことができた。
 現実の社会や会社はきっと、明日も見えない“空気”の圧力でパンイチを押し流そうとするだろう。でも、これからの彼は、今までの彼とは違う。見えないつもり、気づかぬつもりで押し流されるだけの自分は、もういない。その晴れやかな表情とともにオフィスを後にし、未来へと歩み出した今日こそ、彼にとって新しい祝日になる。

 バッドエンディングだったり、不可解なままの結末だったりで、悶々とした頭を抱えたまま劇場を立ち去るのも観劇の醍醐味だが、こんなふうにスッキリした気分で帰れるお芝居も、たまには楽しい。

 正解がわからない、先が見えない不透明な時代を私たちは生きている。誰にも見えないけれど、たしかにそこにある“空気”に、世の中のルールはガッチリと固められている。どんなにそれが意味不明で理不尽で目的がわからなくても、ぶち壊してしまいたくても、じゃあ、代わりに何を頼ればいいのか、何を新しく生み出せばいいのか、誰も知らない。どうしようもない。世の中、そんな無力感に満ちている。
 だから、そこから逃げるのでも、壊すのでも、屈するのでもなく、自分という軸を見つけ直して、改めて一人で世界と向き合おうとするパンイチの明るい表情に、私はとても共感したし、ホッとした気持ちになれた。

 スッキリして、ホッとさせられながらも、やがて自分の過去を振り返ったり、あんなふうに場を支配する空気って一体なんなんだろう? 空気に異論をはさみにくい状況って、この国で育った人間特有の感覚だったりするのだろうか、と思いついたり。ネットでの言論とか、今の政治情勢で言うと…? と、徐々に具体的な現象に重ねながら、いま自分が所属している組織なり社会を動かしている“空気”のことを考えはじめてしまう、重たいテーマだった。

 テーマがわかりやすく提示されているぶん、深みに欠けてあっけなく感じる側面がないとは言えない。でも、そのわかりやすいテーマのど真ん中について、ひねくれないで素直に考えたくなる。そんな前向きな作品だったなと思う。
(2014年12月9日19:00の回観劇)

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