サンプル「ファーム」

5 神への道程、道半ば。(中村直樹)

 デオキシリボ核酸。それは生物の設計図である。その設計図に何が書いてあるか分かり、書き換えることさえできると判明した時、人の前に神となれる道が現れたのである。

 サンプルの第15回公演「ファーム」は、東京芸術劇場のシアターウエストで2014年9月19日から9月28日まで計10回、九州芸術劇場小劇場で2014年10月11日から12日の計3回上演された作品だ。私はそのうちの9月28日の14時の回を観劇した。

 劇場に入ると、胸の高さぐらいある正方形の舞台が目に入る。席に座ると少し見上げる格好になる高さだ。四隅には右奥から時計回りに掃除機、ミキサー、扇風機、冷蔵庫が置かれている。そしてそれらの家電が置かれている四隅は天井まで紐か棒で繋がっており、それらに人造の蔦のようなものが絡まっている。
 舞台上にはL字のテーブルが置かれていて、そのテーブルの裏には蛍光灯のような電飾がある。そのテーブルにも人造の蔦のようなものが絡まっている。そのような舞台を緑色のライトが照らしているのだ。まるで手術室のような清潔感。いや、もっと神々しい。まるでエデンの園のような神話の世界を感じさせる。

 そこに男(古屋隆太)と女(町田マリー)が現れた。仲が良さそうに話しているけれど、女がバッグから一枚の紙を出すと空気が一変する。それは離婚届。別れたい女と別れたくない男。その間にオレンジ(奥田洋平)が現れる。両親と同じような年齢に見えるが、息子なのだ。オレンジはデザイナーベビー。遺伝子を弄られて生まれた子供である。我が子にガンというリスクを与えたくないという親心から遺伝子を弄ったが、成長が速く、あっという間に老化していくという副作用がでてしまった。(この後は男を父、女を母と表記する)

 オレンジは再生医療のために生み出された目などのパーツを、自らの体で培養する「ファーム」という役割を担っている。オレンジを特別な存在であるという父は、オレンジの為に研究に没頭して家族を顧みなくなった。母と会うのも数年ぶりなのだ。オレンジを普通の子供と変わらないという母は、家庭を顧みない父に愛想を尽かし、パート先のスーパーの店長(金子岳憲、この後は男と表記)と不倫その果てに離婚という選択を父に突きつけている。結論が出そうになると、父はそこから逃げ出してうやむやにしてしまう。

 「ファーム」は頭のない、人であらざるものが担うようになってきた。そのためオレンジの「ファーム」としての仕事も、ある老婦人(羽場睦子)の息子の目を培養する仕事ぐらいしか残っていなかった。そのうえオレンジは胃ガンに罹ってしまったので、引退を考えていた。そのことを知った老婦人は自分の胃を彼に差し出そうとする。しかしオレンジは無関係だと冷たく拒否をする。

 母は父との離婚を成立させようと男とともに喫茶店に父を再び呼び出す。母と性行為があるのかという父の質問に対し、男は直接的ではないが頭の中では何度も性行為をしていると答える。そのうえその欲望を押さえきれなくなり、風俗にテレクラ、果てはSMクラブにまでに通っていると答える始末である。それにより父と母の関係だけでなく、母と男の関係も終わってしまった。

 男は産まれ変わるため、ゾーントレーナー(野津あおい)の指導のもと、産まれ変わりの儀式を行う。それは男を男の父にゾーントレーナーを男の母に見立て、両親がいかに愛し合って望まれて自分が産まれたのかを認識するための儀式だった。男はゾーントレーナーと一つになることでそのことを認識し、自信を深めていく。

 両親と離れて暮らしていたオレンジは急速に年を取っていく。いつのまにか老婦人と結婚し、二人で生活を送っていた。オレンジは誕生日に両親、そして男とゾーントレーナーを呼び出した。男はゾーントレーナーの助手になった。母はスーパーの店長になった。父は相変わらず研究者である。母はどうやらスーパーの若いバイトに手を出しているらしい。父は見たくもない母の一面を見せられてとうとう愛想を尽かす。オレンジの望む家族団らんは結局成立しなかった。

 死期が近いことを悟ったオレンジは、父に自分の遺伝子を残してほしいと懇願する。だが、意識は残さないでくれとも懇願するのである。
「死なせてくれ」
 ただそれだけを父に伝えた。そしてオレンジとゾーントレーナーだけが残ったとき、彼はゾーントレーナーに本当の望みを打ち明ける。それは実験の結果産まれ、死んでいった「弟」の骨を自分の中に突き入れてほしいということものだった。ゾーントレーナーは股間に「弟」の骨を取り付けて、オレンジの肛門に突き刺してその望みを叶えてやるのだった。

 オレンジは死に葬式となった。葬式の後、父と母は別人のようにすれ違って離れていく。老婦人はお腹の中に宿ったオレンジとの子供、レモンのために語りかけながら弁当を選り分ける。その弁当の食材には、遺伝子を弄ったものと自然から生まれたものが含まれていた。

 この作品は『遺伝子』について語られている。遺伝子を弄る技術とは何世代も重ねてようやくなされることを人の手によって一気に進めることができる技術。それはまさに禁断の技術と言えるだろう。その禁断の技術によってオレンジが産まれるのである。オレンジは禁断の実とも言えるのである。そう思うと舞台装置をエデンの園と感じたのも間違いではない。まさに神のように新たな生物を産み出したのだから。そのためシーンが切り替わるごとにくねくね動くL字型の机がどうも蛇のように見えてしょうがないのだ。死んでしまった弟とその弟に対する罪の意識を持つオレンジは、アベルとカインの関係にも見えてくる。実験により父の細胞から産まれ、死んでいった弟もアダムの肋骨からイブが産まれた逸話と考えてみてもいいかもしれない。とても神話的なイメージで溢れている。

 遺伝子を弄るという技術には、よりよい結果を得られるという期待と自然には存在しないものが産み出される恐怖の二つの側面がある。その側面はオレンジを巡る父と母に代弁させている。父と母の不和は子育ての方針の食い違い以上に、技術というものに対する食い違いを浮かび上がらせているのだ。どちらが間違っている訳ではない。どちらも正解である。だから苦悩せざるを得ないのだ。つまり禁断の技術を手に入れた人間は再び神の世界から追放されたということになってしまうのである。

 『サンプル』という劇団名には、『実験』という意味と『試供品』という意味が込められているということだ。遺伝子を弄ることについての人の考えを父と母という存在に集約させて『試供』させることには成功している。しかし、その『試供』に客観性があるかは疑問である。オレンジは「ファーム」として老婦人の息子として犬の啓太の目を宿していた。その目がオレンジの意思と関係なく動くのである。啓太の目はたまに涙を流してオレンジのシャツを濡らす。それは老婦人の生きていてほしいというエゴである。台詞だけで十分におぞましさが伝わってくる。さらにラストの葬式のシーンでは、その啓太の目とオレンジの目が入った容器が老婦人によって台の上に置かれるのだ。そのおぞましさはぞわぞわと鳥肌が立つほどだった。遺伝子を弄る技術が当然となった世界ではありふれた光景かもしれないが、現代の観客にはおぞましいものにしか見えない。遺伝子を弄る技術に対する恐怖というものが強調されているように思うのである。遺伝子を弄る技術を『試供』するのであれば、それは恣意的操作があると言わざるを得ない。

 でも、なぜ作品のタイトルは『ファーム』なのだろう。この言葉からは遺伝子をイメージすることはできない。観劇前は農場の話かなと思ったほどだ。なにか意図があるに違いないと思い『ファーム』という言葉をGoogleで検索してみた。するとなかなか面白いことが検索リストに上がってきた。

 まずは誰もが想像する『農場』が現れた。さらに面白いことに、遺伝子改良のされていない、科学的な農薬を使わない、有機的で自然なものを使って農作物を生産している農場が多く現れてきたのだ。これは新しい技術に対して得体の知れない恐怖を感じているという立場である。

 次にFIRMというものが現れた。『再生医療イノベーションフォーラム』の略称である。FIRMのページには「再生医療研究の成果を安全かつ安定的に提供できる社会体制をタイムリーに構築し、多くの患者の根治と国益の確保、国際貢献を実現することを目的とする。」との設立目的に書かれている。これは新しい技術に対して可能性を感じ明るい未来という希望を抱いている立場である。なんと『ファーム』という言葉だけで遺伝子を弄る技術に対する二つの意見を集約してしまっている。まさに父と母の考え方の違いそのものを『ファーム』という言葉のみで表現してしまった。タイトルの適切さに唸るしかない。

 だが、『ファーム』という言葉の検索結果はまだ存在している。それは『二軍』という意味である。この作品にはまともだと言えそうな人物は登場しない。まず男は離婚調停中であるにもかかわらず母と不倫をしている。そのうえ母と肉体関係を求めるがゆえ、風俗、テレクラ、SMクラブとどんどんと深みにはまっていくのである。それは願望を抱くがゆえにその願望を叶えられていない現実に絶望しているのである。だから、男はゾーントレーナーとまぐあい愛を知る。愛されて産まれた存在だと認識する。そして男は自分に自信を深めていく。登場人物の中で一番どうしようもない男が、ラストでは一番まともな存在に成長しているのである。

 母は父と出会った時、流されるままに職場の上司と不倫をしていた。父に相手にしてもらえないと、男と不倫する。母がスーパーの店長となってからは若いバイトをつまみ食いをしている。とても依存心が強いように思える。父は自分が全て正しく、自分の思う通りにならないのは相手が悪いからだと思う。だから他人の気持ちを思うことができない。老婦人も他人との境界を見誤り、他人をあたかも自分のように思ってしまう。オレンジは自分を特別な存在だと思って超然としている。だが、本質は父と母の愛情に飢えている。最終的には弟の骨を自分の体の中に突き入れるという変態行為へと及んでしまう。彼らを全て受け入れているゾーントレーナーは一見慈愛に満ちているように思えるが、彼女もまた自分の世界に人々を巻き込んでいる独善的な存在でしかないのである。松井周は遺伝子を弄る技術を『試供』して炙り出された『人間』そのものを『標本』として表現したのだ。それはとても見事にできていたというしかない。

 デオキシリボ核酸。それは生物の設計図である。その設計図に何が書いてあるか分かり、書き換えることさえできると判明した時、人の前に神となれる道が現れたのである。しかし人であるがゆえ、希望を抱き、恐怖を抱く。いくら技術というハードが進んでも、心というソフトはいつまでも変わらない。現世という『ファーム』であがき続けている。人は神の『二軍』でしかない。完璧である『一軍』になれない永遠の『二軍』なのである。
(2014年9月28日観劇)

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください