劇評を書くセミナー KYOTO EXPERIMENT 2014編 報告と課題劇評

7 ルイス・ガレー「マネリエス」
◎ひとつの見本、なんであれかまわないもの(小泉うめ)

 ルイス・ガレーはブエノスアイレスを拠点とするコロンビア人の振付家であり、「マネリエス」は彼の振付によるソロ・ダンスの作品である。既に世界の各地で上演され多くの観客を驚かせてきた本作の日本初上演は今回のKYOTO EXPERIMENTの大きな目玉の一つだったと言えるだろう。

 会場に入ると既に舞台下手にダンサーのフロレンシア・ベシーノとミュージシャンのマウロ・パンジッロが待機しており、続々と入場してくる観客を眺めていた。観客が席に着き終えると、すぐに暗転しそれが機材の事故かと思うほど長い時間持続する。しかしやがて刹那に感じることができないほどゆっくりと照明が灯り始めると、暗闇の中央にベシーノが立っていた。彼女は黒いセパレートのフィットネスウェアを着ており、細身ながらも鍛え上げられた身体がぼんやりと浮かび上がる。
 電子的なスクラッチノイズが短い間隔で一定のリズムを刻み続ける。最初ベシーノはそこを動かず、バランスを崩さないことに集中していた。腕は両脇に垂らしていたが、次第にそれを知覚できないほどの微小な動きで左右対称をキープしながら、顔にかざすくらいの高さまで持ち上げていく。

 ここまでで全体70分のうちのおおよそ15分が費やされる。思わず瞬きをすると、次に目を開いた時、その前の光景からの微細な動きを感知することができた。さらに音響のリズムに合わせて素早く瞬きを繰り返すと、コマ送り映像かパラパラ漫画のようにその動きが分解される。優れた作品に対して、よく「瞬きもせずに見よ」というが、瞬きも使いようである。

 やがて舞台の中央を最初はゆっくりと、そして次第にスピードの緩急を付けながら前後に繰り返して歩き始める。音のテンポは次第に速くなり、ベシーノはポワントしながら小刻みに縦に横に、そして浮いているかのように跳ねながら舞台上を素早く動き回った。スポーツシューズを履いているので、つま先への負担はかなり厳しいものがあるだろう。バレエでトウシューズがなかった時代には、バレリーナをワイヤーで宙吊りにする技術が使われたことがあると聞くが、まるでそのような動きにも見えるほどだった。
 そのような動きをさりげなく見せていたが、それはベシーノの身体能力が極めて高いことを物語っていた。また静止場面の安定感と動作する際の潔さから、それらの全てが振付によって定められたことを忠実に再現しているものであることが見て取れた。

 後半に入るとベシーノは服を脱ぎ、シューズだけの姿になって演技をする。最初の動きとは異なり、身体の使い方はどんどん柔らかくなっていく。ロボットのような動きが、精巧なアンドロイドのように変化する。その身体の美しさを誇示するかのようにポージングしては、それを崩していく。赤ん坊のように四つん這いをして、それから立ち上がり通常の歩行を見せて、そして老いるように腰を曲げていく。
 また腹部にネズミのような線画を描いたりもする。洋の東西を問わず嫌われがちな生物であるが、同時にそれは生命力の象徴でもあり、この躍動の発生を象徴しているように見えた。ウェアを脱ぐ際に仕込んだ固形物を客席に向って口から吹き出すようなこともした。

 そして、再びウェアを身に着けてフィナーレのシーンを踊る。ここでの音響は刻まれるリズムにメロディが加わり、きちんとした音楽の体裁になる。ダンスはパントマイムのような細かい手の動きが加わったもの。単純に楽しいというのではなく、緊張は最後まで緩まないが、ある意味見慣れたダンスらしい自由な動きになった。
 マウロ・パンジッロの微細な個々の音がリズムを構成して最終的にはメロディを携える音楽も振付の構成を良く反映したものだった。残念ながらクライマックスの重低音は今回の会場では割れてしまっていたので、またの機会があれば音響設備の良いスタジオで体験してみたい。

 タイトルの「マネリエス(Maneries)」は、ジョルジョ・アガンベンの「到来する共同体」の一節に由来しているそうだが、だとすればそれは「manre(発する)」という言葉から派生しているということになる。
 アガンベンはその過程で、「manere(とどまりつづける)」や「manus(手)」という言葉にも検討を加えたうえで、それらを否定している。序盤の全く動かない表現から徐々に手をかざしてその手を確認するような動きはそれに当たるものだろうか。

 この振付によって表現しようとしていることは、何かの本質や実存ではなく、発生の様式そのものなのであろう。それは自分自身の下にとどまり続けているのではない存在であり、隠れた本質として自らに前提されていない存在である。
 中盤からの動きは身体の可動性、またはベシーノの身体特性そのものを確認するようで、機械的で反復する動きが数多く試みられる。スピードも次第に速くなり、大きく腕を振ったり、足を高く上げたり、ダッシュを繰り返したり、その能力の限界を提示するような動きも繰り広げられる。ベシーノも息を切らし叫び声を上げながら、与えられた厳しく緻密な振付に応えていた。

 余すところなくあるがままの姿をしている存在、それが個の様式の中から不断に産み出されることを表現することを試みている。裸になってからクライマックスへの動きはまさしくそれであり、最初の動きとは打って変わったとても柔らかく変化に富んだもので、ベシーノの身体を介してそれが溢れ出していた。
 彼女は鍛えられたとても美しい身体をしていたが、表現において重視されていたのはそのものの美しさではなく、そこからの生まれ来るものの様式美であり、だからこそこれはダンスとして表現されるべきものだったのであろう。
(2014年10月4日16:00の回観劇)

【上演記録】
ルイス・ガレー「マネリエス
京都芸術センター フリースペース(2014年10月4日‐5日)

演出 ルイス・ガレー

出演 フロレンシア・べシーノ
ライブミュージシャン マウロ・パンジッロ
照明デザイン エドアルド・マッジオーロ

共同製作 Internationalle Musikfesttage Martinu B. CH. Subsidy of Prodanza
助成 Porto a Solo(ポルトガル)

チケット料金
一般 前売 ¥2,500/当日 ¥3,000
ユース・学生 前売 ¥2,000/当日 ¥2,500
シニア 前売 ¥2,000/当日 ¥2,500
高校生以下 前売 ¥1,000/当日 ¥1,000
ペア ¥4,000(前売のみ)
※ユースは25歳以下、シニアは65歳以上
※16歳未満入場不可。

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