◎彼はたったひとりで選択を山積みする
ハセガワアユム
作家が物語を紡ぐ際、自分の人生をどれくらい切り売りするのか。物語を書き発表し続けていると、人生のどの断面が面白くなるのか、どの部分をどれほど混ぜればちょうどいい濃度になるのかコントロールするようになる。でないと人生に対して創作が追いつかなくなってしまうからだ。小西耕一は作家ではなく俳優である。それ故にか、本作は尋常じゃない人生の濃度が満ちていた。当日パンフレットの文章に記載されていたのは、「何故自分がこんなにも女性に対して傷つける言葉を吐いてしまうのか」という探求。また幼少期における両親の離婚、別れた父親への小さな言及、去ってしまった人間関係は取り戻せないこと、などが並ぶ。これはこれから始まる芝居の答えになってしまう可能性があると、僕はそっと閉じた。危ない危ない。たいてい普通のパンフレットは作家の超どうでもいい挨拶が多いのだけれど、いくら作家じゃないからって、もうなんなんだよ、いきなりこの濃さは、と苦笑していると幕が開いた。
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