「100人の活動を2億円で支える アゴラ劇場と青年団の26年」
-ワンダーランドのインタビューは時間をたっぷり取って、演劇に関係するテーマをじっくり掘り下げようという趣旨で進めてきました。聞き手の側は詳細に尋ねたいと思いますが、尋ねられる側は根掘り葉掘りそこまで聞くか、と感じることがあるかもしれません。そこは私たちのインタビューの趣旨をくみ取っていただき、ご理解いただきたいと思います。
平田さんは現代口語演劇の提唱者であり、優れた作品をいくつも上演して内外で高く評価されています。ですから現代口語演劇という演劇方法論やその作品、舞台に関するインタビューはとても多いのですが、平田さんは同時にこまばアゴラ劇場の支配人・経営者であり、青年団という劇団を20数年維持・運営、活動してきた主宰者です。私たちは現代口語演劇論や青年団の公演にも強い関心はありますが、本日は劇場の活動やあり方、劇団の組織や運営の実際について主にお尋ねしたいと思います。(聞き手=北嶋孝+水牛健太郎)
アゴラ劇場、青年団、アゴラ企画
-平田さんは『都市に祝祭はいらない』という本に収録した文章(注1)で、青年団の活動を検証しながら劇団運営の実践と戦略を具体的に示しています。この文章が執筆されたのは1996年6月ですから、もう10年以上経ちました。その後の経過、経験を踏まえて、劇団と劇場に関する体験と意見を現時点でどう考えているのでしょうか。まずは組織関連から入ります。
アゴラ劇場や青年団のチラシやプログラムなどには、(有)アゴラ企画、こまばアゴラ劇場、青年団という三つの組織・団体名が書かれている場合が多いようです。少なくともいま挙げた団体がそれぞれ二つ組み合わさって表記されているケースがほとんどです。この三団体の関係、成り立ちをまず、教えていただけますか。
平田 私はよく戦略的だとか先見の明があると言っていただくんですが、実はその三つの組織の名称を見ても、そんなことはないと分かっていただけると思います。そうとう場当たり的にやってきたんですね(笑)。ご承知のように、アゴラ劇場は私の父が1983年に建て、84年に開業しました。建物ができてから消防署にいろいろ言われて、半年遅れの開業でした。85年に有限会社にしました。そのころはNPO法(特定非営利活動法人促進法)もなかったので。
青年団はそれとはまったく別に、当時ICU(国際基督教大学)の学生劇団として結成されました。ですから当初はまったく別会計で、青年団もお金を払ってアゴラ劇場を借りていました。88年ぐらいまでそうしてましたね。
アゴラの売り上げは、貸し館にするとせいぜい年間3000万円ぐらい。90年前後までは、青年団の年間売り上げと当時はほぼ同じでした。例えば3000円のチケットを年間1万枚売れば3000万円じゃないですか。売り上げがほぼ同じ時期が続いて、青年団とアゴラ劇場を別会社にする選択肢もあったと思いますが、面倒なんで一緒の会計にした。それが、90年代の半ばから、青年団の方に非常に大きな額の助成金が入ってくるようになり、今世紀になって芸術拠点形成事業で、今度は劇場側に助成金が下りるようになって、結局は一体化していたことがよかったことになりました。いまは(有)アゴラ企画がこまばアゴラ劇場と青年団を運営している、結果的にはそういう形になります。
-(有)アゴラ企画の役員はどなたですか。
平田 もともとは母が社長で、その後ぼくが社長になりましたが、国立大学の教員と有限会社の代表取締役は兼任できないので、大阪大学に移ってからは妻が代表取締役に就いています。役員は3人。母はいまも役員なので家族経営ですね(笑)。
-一体化している利点はどこにありますか。欠点や難点を感じたことはないでしょうか。
平田 欠点はそんなにないです。しいてあげれば、外から分かりにくいということぐらいですかね。『芸術立国論』(注2)に書いてきたように、これからは劇場への助成が必要だと言い続けてきました。ですからアーツ・プランという制度で劇団に助成を受けていたときも、文化庁と交渉して、正式の採択名は「こまばアゴラ劇場・青年団」になっています。当時は俳優座劇場がアーツ・プランで助成対象になっていましたので、前例がないわけではありませんが、私たちは劇場と劇団が一体化して、劇場には小屋付きの劇団があるべきだし、それが一体となって助成を受けるべきだと主張していました。対役所では、こういう文言の実績を積み重ねていくことは重要です。まぁ、うちはいつも後付けなんですけど、理念としては間違っていなかったと思います。
-有限会社にしたのは、特別の理由があったんですか。
平田 いやいや、両親がそうしたんです。特別の理由はないと思います。当時の状況では有限会社がいちばんよかったんじゃないですか。NPO法ができたとき、NPOにするかどうか考えましたが、NPOにすると銀行がお金を貸してくれない。いまでも、NPOと言っただけで地元の信用金庫は嫌な顔をします(笑)。
-平田さんは金融機関に関して詳しいといろんなところでおっしゃっていましたね(笑)。
平田 小劇場の世界では、一番詳しいと思います(笑)。
(注1)「劇団に運営戦略はあり得るか 青年団の軌跡を通じて」。初出:セゾン文化財団ニュースレター「view point」No.1 1996年10月。『都市に祝祭はいらない』(晩聲社、1997年)収録。
(注2)平田オリザ著『芸術立国論』(集英新書、2001年)
借金は「現象」である-小劇場の台所
-劇団にとって劇場がある利点は分かりますが、劇場にとって劇団を持つ利点は何でしょうか。
平田 基本的に劇場は、創作活動をしていないと死んでいくと思っているので、死なないために何が必要で何が要らないかを知ったり、あるいは劇場の新しい可能性を切り開いていくには、芝居を作っていないと分からない。いま野田秀樹さんが東京芸術劇場の芸術監督になって大変ご苦労されていると(副館長の)高萩さんからも聞いています。東京芸術劇場はこれまで20年あまり貸し館だけで運営してきました。貸し館だとどうしても「管理の思想」が働きます。管理している方が楽ですから。それできめ細かいところに注意が行き届かない。だから職員の意識改革が必要になります。
うちの場合には、ぼくが大学を卒業した86年に小屋番をしながら、同時に劇団活動もしていましたから、劇場には何が必要かずっと考えてきたし、考えざるを得なかった。当時で言えば、音響や照明の設備はあるけれど、輪転機のようなソフトを備えたところは公共ホールにもなかった。でも公演の準備には、チラシやアンケートを印刷する必要があるから輪転機を備えたし、あと広報・宣伝に劇場や劇団など、必要な相手先の名簿も作りました。そういったものはどこの劇団も使うわけだから、劇場が揃えて当然だと考えた。当時は、私自身も劇場の公共性という言葉さえも知りませんでしたが、みんなが共通して使うものは備えておこうという伝統は、劇場がものを作っているからこそ出てきた発想ですね。
-ほかの劇団も使いやすい劇場、ということですね。
平田 そうですね。ほかの劇団の立場に立っても使いやすい劇場です。使う側の立場に立って作られているし運営されています。特にアトリエ春風舎は、現状復帰さえきちんとしてくれれば何をしてもいい空間になっています。ただそれは演出家にとっては言い訳がきかないことにもなりますね。とは言ってもアゴラは、本当に劇場として使いやすいかというといろんな制約があります。例えばアゴラは、何時までいてもいいけど、夜の9時半になると音を出せません。その制約の中で一緒に作っていくしかない。
-隣近所の問題ですね。クレームがあるんですか。
平田 うーん。そこは難しいんですけどね。昔から近隣と協定みたいなものがあって音を出すのは9時半までにしてきました。それが25年も続いてますからニューカマーの方が来て文句を言っても、これは昔からのご近所との決め事で午後9時半で終わりにしていますから、と言っています。ぼくはここで生まれ育った商店街の子ですから、ほかの方からもそれでご支援をいただいていますので。地元の幼稚園、小学校、中学校、高校、すべて私の母校で、今も時々ワークショップなどを行って、地元の地域対策をしています。
-そういう近隣との付き合いの中劇場を運営してきたことが、経営面でもプラスになっていますか。
平田 いやあ、それはないでしょう(笑)。劇場は単体では経営できるものではなくて、特に小劇場は公的な支援がどうしても必要だと思っていて、劇団にサービスしようと思えば思うほど赤字になるんです。
-あちこちで話しておられますが、アゴラ劇場は多額の借金を負っていたけれど、きれいに返したそうですね。私の記憶だと、借金の額は2億円とか。
平田 そんなにはないですよ(笑)。会社の借金と個人の借金があるのでちょっと難しいですけど、小屋の借金は1億2000万円ぐらいありました。はい。
-劇場の分は劇場の収入で、個人の分は個人の稼ぎで返したんですか。
平田 いや、全部は返さないんですけどね(笑)。
-えっ、完済したんじゃないですか。
平田 返してませんよ(笑)。借金というのは、内田百閒の名言にあるように、現実ではなくて「現象」なんです。幻ですから実態があるわけではありません。だって、1億円なんて、見たことないでしょう。
中小企業はどこでもそうなんですが、例えば1億円借りるとすると毎年利息を含めて1000万円ぐらい返さないといけない。実際はもうちょっと多くなりますが、分かりやすくするために1000万円としましょう。でもそんなの全部は返せません。元金500万、利息500万円とすると、まず元金のうち100万円を返済できればいい。そうすると借金が100万円減り、総額が9900万円になります。残りの900万円の返済はどうするかというと、どこかからまた借りてくる。こうやって短期の借り換えを繰り返して、4、5年したらまた一本化して長期のものに組み替える。こういう資金繰りが中小企業経営者にとって最も重要な操作なんです。ぼくは23歳の時から25年ぐらいずーっとこれをやってきたので、銀行関係は随分強くなりました。
そのことが意外なことに役に立った。助成金を得るときに役に立ちました。銀行から金を借りるのと助成金を得るのは似たところがある。まだいまほど助成制度が整備されてないころの話ですが、「どうやって助成を得るんですか」と若手に言われて、「それは書類を書けば取れるよ」と言ってきたんだけど(笑)、まぁ自分で努力しろよということですが、もちろんまず作品がよくなければいけない。それからアートマネジメントというか、自分のやっていることの公共性をきちんと説明する能力がなければいけない。でも、もう一つ重要なポイントは、最初から威張っていないといけないということです。会社の経営が苦しいと言っているだけでは、銀行はお金を貸してはくれません。「会社経営は非常に順調にいっている。順調なんだけど、今度新しいジャンルを開拓しようとしている、新しい企画を実行しようとしているので、そこにあなた方が投資すれば利益があがりますよ」と、こういう言い方をしない限り銀行はお金を貸してくれません。それは助成金も一緒です。貧乏だから出してくれ、というのが新劇の理屈だった。「おれたちはこんなに貧しいんだ」と新劇は言い続けてきた。俳優の平均年収がいくらいくらとかね。でも、そんなの、行政、あるいは一般の国民の側からすれば関係ないですから。それでは福祉政策ではないですか。そうではなくて、私たちは誇りと情熱を持って劇作活動を展開していて、自治体も国家の助けもホントは要らないけれど、活動の公共性を認めるなら、助成をもらってさらに新しい活動、社会的な活動ができますよ、ということを伝える。多分そこが、ほかの劇団といちばん違うところだったと思います。そういうことを考えた演出家は、少なかった。ぼくは、それを銀行との付き合いで学びました。
-資金を提供しても、その団体が潰れてしまっては元も子もありません。成長の見込めるところに支援しようとするのは当然ですよね。
平田 はい。そこが大事なんです。ひところ、どうして小劇場に助成金が来ないのかという議論がありました。でも、それは当たり前ではないか。大人から見れば、どうみたって明日演劇をやめるかもしれない人に公的なお金は出せない。例えばセゾン文化財団が劇団猫ニャーに助成したけれど、途中で弁当屋になってしまったケースがありましたね(注3)。セゾンは民間とはいえ、公的性格の強い助成を、弁当屋には出せないでしょう。劇団活動に助成しているんだから。途中で弁当屋になるのは、演劇界全体の信頼を損ねることになります。
もちろん、お弁当屋になるのはいいんです。でも、だったら最初から申請するなよ、ということですね。自分の楽しみは自分で楽しめばいいのであって、そこに公的な支援を求めるべきではないと思います。
劇団が弁当屋になるというインスタレーション的な芸術性も、もちろん私は理解しているつもりです。ただ、それならば、それをきちんと説明できる言葉を持たなければならない。
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平田オリザ(ひらた・おりざ)
1962年、東京生まれ。劇作家、演出家、大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授。国際基督教大学(ICU)在学中の1983年「青年団」旗揚げ。95年に「東京ノート」で岸田國士戯曲賞を受賞。「現代口語演劇」によって演劇理論と演出方法に大きな影響を与え、こまばアゴラ劇場を拠点に劇場システムの変革にも取り組む。ワークショップ方法論が教科書に採用されるなど、演劇教育にも取り組んでいる。主な著書は「現代口語演劇のために」「都市に祝祭はいらない」「芸術立国論」など。2009年10月、内閣官房参与。
- こまばアゴラ劇場:http://www.seinendan.org/
- 青年団:http://www.komaba-agora.com/
北嶋孝(きたじま・たかし)
ワンダーランド(小劇場演劇とダンスのレビューマガジン)代表。共同通信文化部、経営企画室などを経て2004年独立。編集制作集団ノースアイランド舎代表。日本印刷技術協会客員研究員。演劇、音楽記事を新聞、雑誌に寄稿。2007-2008年東京メトロポリタンテレビ(MX)のニュース情報番組にレギュラー出演。2008年MXの小劇場コーナー「東京舞台通信」案内役。
水牛健太郎(みずうし・けんたろう)
1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。大学卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005 年、村上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデビュー。演劇評論は2007年から。そのほか村上龍主宰の「ジャパン・メール・メディア(JMM)」などで経済評論も手がけている。2009年10月からワンダーランド編集長。