5月のクロスレビューは、阿佐ヶ谷スパイダースの新作公演「失われた時間を求めて」を取り上げます。雑誌のインタビューで主宰の長塚圭史自らが「これまでのスパイダースファンが見たら戸惑うだろう」と語っている「不条理劇」(「シアターガイド」6月号)。「今秋から1年間日本を離れる」と話しているので、劇団の新作公演はしばらく見られないようです。作・演出は長塚圭史。出演するのは長塚のほか中山祐一朗、伊達 暁に、奥菜恵が加わります。ベニサン・ピットで5月8日から27日までのロングランでした。チケットは即日完売といいますから人気ぶりが分かります。しばしその「不条理」な舞台の多様な映り方をお確かめください。(掲載は到着順)
月: 2008年5月
大橋可也&ダンサーズ「明晰の鎖」
◎消費社会と明晰さへの抵抗 慎重かつ根底的なアプローチで
竹重伸一(舞踊批評)
1980年代以降日本の社会は資本主義の消費文化に全面的に支配されるようになったわけだが、実は消費社会が一番抑圧、管理しているのが身体である。
一つ例を挙げよう。ここ最近マスコミでは若者の凶暴化を騒ぎ立てる声が喧しいが、統計的なデータによると事実は正反対で、若者の凶悪犯罪は例えば1960年代以前と比べて明らかに減っているし、他の先進国の若者と比べても著しく少ないらしい。「日本の若者は、おそらく世界一、人を殺さない若者だ」と進化生物学の立場から殺人の研究をしている長谷川真理子・早大教授はいっている。(註)
東京デスロック「WALTZ MACBETH」
◎椅子取りゲームで「マクベス」 でもWALTZは止まらない 小畑明日香(慶応大生) 微熱があって、関節痛がする折に見に行った。 熱を吹き飛ばしてくれる芝居かもしんない、東京デスロックだし、と思っていた。今回がこの劇団初 … “東京デスロック「WALTZ MACBETH」” の続きを読む
◎椅子取りゲームで「マクベス」 でもWALTZは止まらない
小畑明日香(慶応大生)
微熱があって、関節痛がする折に見に行った。
熱を吹き飛ばしてくれる芝居かもしんない、東京デスロックだし、と思っていた。今回がこの劇団初見だった。
コンドルズ「大いなる幻影」
◎「大いなる幻影」としての「日本のコンテンポラリー・ダンス」
木村覚(ダンス批評)
最近の「エンタの神様」(日本テレビ系列のお笑い番組)はすごい。何がか、というとつまらなさにおいてすごいのである。「爆笑の60分!笑いが止まらない」と冒頭にキャプションがあらわれるのとは対照的に、圧倒的に笑えない60分。以前からそうだったともいえるが、このところ笑えない程度が極まっているように見える。お笑いブーム末期という現状を象徴的に映像化しようと目指しているのか?と勘ぐりたくなるほどに、次々と登場する芸人は、どこかでかつて見たような(そしてもはや誰もがすでに消費してしまった)ネタと形式をなぞってゆくばかりで、ネタの個性はキャラ設定以外ほぼない。笑いのマニエリスム(マンネリズム)。笑えない笑いを笑う。いや、視聴者はもう通常の意味では笑っていないだろう。それでも番組は堂々と続行している。それは大いなる謎だ。その謎において「エンタの神様」は、いま見るに値する番組である(少なくともぼくのなかで)。
桃唄309「月の砂をかむ女」
SFだった。
ダンスのワークショップなども併せて行っているようで俳優の体の動きが綺麗で、こんなにふわっと動くなら確かにここは重力の少ない天体内の基地なのかもしれないと感じる。
が、その天体が2075年の月の裏側、というのが気になる。
2075年時点の人間は本当に月にいるんだろうか。
アトリエセンティオでフェスティバル
東京豊島区にある小空間「atelier SENTIO」(アトリエセンティオ)で各地から集まる8団体による演劇フェスティバル「SENTIVAL!」が開かれています。期間は2008年5月14日から7月21日まで。トップバッターの百景社(茨城県つくば市)による「授業」公演(イヨネスコ作、志賀亮史演出)は明日18日まで。5月23日からは静岡の劇団渡辺「三島由紀夫をこころみる-近代能楽集『班女』より」公演が開かれ、31日から第七劇場「FABRICA#1『近景』」(鳴海康平演出)などが予定されています。
タカハ劇団「プール」
◎特殊な状況に内包される、現代の心の普遍
小林重幸(放送エンジニア)
開幕時から漂う、この「気味の悪さ」は何であろう。薄暗い地下の詰所、どぶさらいにでも使うようなゴムの防護服、そして「高額時給」を謳うビラ。全てが『死体洗い』のアルバイトを連想させる。何の話なのか言葉で語る前から、既に薄気味悪さ満載である。さらに舞台上に水道があって本当に水が流れたり、消毒用とおぼしき液体を霧吹きで噴いたりと、そこで行われる作業は、なんとなく湿った感じがする。その高い湿度感からか、得も言われぬいやな臭いが漂ってくるようである。ひどく気持ち悪い情景の舞台というのは間々あるが、本当には存在しない臭いが、意識の中に立ち込めてくる舞台というのは特筆に価する。
5月のクロスレビューは阿佐ヶ谷スパイダース公演
連休も終わり、また忙しい毎日が続いていると思います。 さて、5月のクロスレビューは、阿佐ヶ谷スパイダースの新作公演「失われた時間を求めて」を取り上げます。雑誌のインタビューで「これまでのスパイダースファンが見たら戸惑うだ … “5月のクロスレビューは阿佐ヶ谷スパイダース公演” の続きを読む
連休も終わり、また忙しい毎日が続いていると思います。
さて、5月のクロスレビューは、阿佐ヶ谷スパイダースの新作公演「失われた時間を求めて」を取り上げます。雑誌のインタビューで「これまでのスパイダースファンが見たら戸惑うだろう」と自ら語っている「不条理劇」だそうです(「シアターガイド」6月号)。また「今秋から1年間日本を離れる」と話しているので、劇団の新作公演はしばらく見られないようです。
作・演出は長塚圭史。出演するのは中山祐一朗、伊達 暁、長塚圭史のメンバーに、奥菜恵が加わります。ベニサン・ピットで5月8日から始まり27日までのロングランです。
ONEOR8 「莫逆の犬」
◎「羊のナイフ」-劇作家の覚悟が生まれた瞬間
徳永京子(演劇ライター)
太田省吾さんが存命中、ある年の岸田戯曲賞の審査を終えて書いた講評に「羊か狩人か」という文章がある。「作品をつくる時、観客を羊と想定するか、狩人と想定するか」という内容だが、その主旨は「戯曲を書く時、劇作家は観客の羊となるか、狩人となるか」と言い換えても差し支えないと思う。ストーリーの展開、それに付随する感情やカタルシスを、観客の望む種類のものにしていくのか、観客の予想や期待を裏切るのか。
時間堂「三人姉妹」
◎リボンをほどいて進み出る 「絶望に酔わず、希望に溺れず」の覚悟
鈴木励滋(舞台表現批評)
奥行きがあり細長い劇場の空間の両側に席が二段ずつ作られている。挟まれるように少し高くなった長方形の舞台。席と舞台の間には溝のように通路ができている。
談笑しながらひとり、またひとりと俳優が現れる。観客に視線を送り、会釈する者や言葉をかける者もある。オブジェのように組まれていた箱や棒を配置していくとテーブルと椅子、そして二つの入り口となった。各々発声をしつつ呼吸が整っていき、隊列を組み、深呼吸。踵や棒で床を鳴らしリズムを整えて行進が始まる。テーマ曲をハミングしながら暗めの照明の中、厳かな隊列は軍隊というより葬列である。