◎椅子取りゲームで「マクベス」 でもWALTZは止まらない
小畑明日香(慶応大生)
微熱があって、関節痛がする折に見に行った。
熱を吹き飛ばしてくれる芝居かもしんない、東京デスロックだし、と思っていた。今回がこの劇団初見だった。
当日パンフを読まないでいたら、前説のときに演出の多田さんが素舞台に上がってきて、『マクベス』の粗筋を説明してくれる。
へー、説明しちゃうんだ。わかったほうが面白い芝居なんだ。粗筋入りの当日パンフは開演前に読まないので、演目の一部みたいな感じで前説を聞いていた。
多田さんは至極ふつうにマイク持ってしゃべっている。「別にチェルフィッチュのまねをしているわけではありません」とのことだ。
プロレスのリングみたいな舞台だ、と少し思う。マイクを握った人間が中心に立つと板張りの、敷居のない舞台は本当にがらんとして見えた。
淡々と多田さんが舞台を降りて少しして、爆音でハイロウズ「不死身のエレキマン」。
明かりが入る直前の歌詞がマクベスとリンクした。
「♪ああ 自分が自分の人生の主人公になりたかった」
しゅっと音が消えて明かりがついて、中央に、一人座っている着物の男。
音が途絶えた中に、着物を着た男女がそれぞれ赤い布張りの椅子を一つずつ持って現れる。椅子を適当な所に置いては、椅子の横に立ったり椅子の前に座ったり、椅子の下に寝転がったりする。
けっこう長い時間がかかる。
舞台設置をしているというよりはなんとなく、椅子は置かれる。持ってきた椅子に座る人がほとんどいない、のはいいが皆なんでそんなに自信なさげなんだろう。絶えず所在なさげにお互いを窺い、椅子をおずおずと持ち上げては移動させ、おずおずと立って後ずさりする。
見ていてだんだんイライラしてくる。逍遥訳のマクベスを演出、という触れ込みなんである。早く「マクベスどんは」とか「ござらっしゃる」とかを聞きたいじゃないか。
身じろぎすると肩が軋んだ。舞台に音が響いた、ような気がしてしまった、と思った。
圧倒してくれる芝居じゃなかった。ここにいる全員が100年前の台詞を聞きたがっていて、それが特異な音響効果を生み出していた。咳も、誰かがうっかり鳴らしてしまったケータイのバイブも全部「舞台上の音」として耳に届く。
舞台上の役者が互いに椅子を譲り合いはじめた。何人もが座っては立つことを繰り返すと、状況の見え方が変わってくる。
椅子が役者より一つ足りない。
あっちこっち移動させていた椅子がだんだん円になる。譲り合いが徐々になくなる。爆音でPerfume。100年前の恰好の役者たちが歓声を上げて椅子の周りをぐるぐる回りだした。椅子の輪から弾き飛ばされた男がマクベスになり、笑い合う人達の中から魔女の台詞が飛んでくる。
「WALTZ MACBETH」の台詞に100年前のにおいは感じられない。音で逍遥を消臭している感じがする。役者も明治の人間には到底見えない。明治の衣装をまとった役者本人、と見えるほど椅子取りゲームに熱狂している彼らが言い合うから、シェークスピアも逍遥も今の言葉に聞こえる。
椅子取りゲームだけでマクベス全部を表現してるってだけでも特筆に価する。
王を殺害したマクベス夫妻の上に、王宮音楽の「ワルツ:春の声」がゴージャスに降り注ぐ。椅子8脚はそのままに夫妻しかいない舞台でマクベスと妻がきゃあきゃあ言いながら椅子とりをしている。
選曲もやたらかっこいいよね、マクベスが友人殺害後にもう一度魔女たちに話を聞きに行くシーンなんかU2「Desire」で椅子とリだもんね。U2っすよ。そして椅子取りっすよ。
曲も含めたこの演出が、一貫して引き出すのが王の幼児性である。庶民たる観客に近い感覚って言っちゃえば聞こえがいいが民のこととかほんとーにどーでもいー、とデスロックのマクベスは言っている。幼稚さゆえに王位への執着もはっきりとわかる。「森が動かない限り地位は安泰だ!」と言われて「♪Desire!」っすよ。骨の軋む熱狂だ。
また、このU2直前の曲は中島みゆきだ。マクベス夫人が「時代」に乗せて一人でワルツを踊り、動線そのままにただただぐるぐる回転しはじめる。目が回って、倒れながら喋る夫人もどっか幼児的である。子どもってこういう遊びをする。大人の目から見ると狂ってるように見えるときがある。多田さんって子ども好きなのかなあ。ちっちゃい子に全力で体当たりされそうな人だ、そう言えば。
舞台の四隅には赤ワインの入ったグラスが置かれている。
友人バンクォーにマクベスの妻がこれを差し出すと、一口含んだバンクォーはそれを噴き出して倒れる。血糊である。戦のシーンでは夫妻以外の役者が次々と血を噴いては倒れる。
これねー、ラストシーンでも使ってほしかったなー。あ、ラストシーンの話をまずします。(※今回は別にチェルフィッチュのまねをしているわけではありません)
子どもの遊びは終わりが無い。「WALTZ MACBETH」のラストは曲が止まらない椅子取りゲームで終わる。
役者はミラーボールの中で何度も何度も絶叫する。しかしいくら踊りながら回ってもPerfume「GAME」は一時停止すらしないでいる。ついに役者が疲れ果てて止まり、座り込む人が出ても止まらない。やがて音が止まったとき、疲れすぎて半笑いになっている役者が取り残される。
これ、最後は最初と同じ、「きれいは汚い。汚いはきれい」という台詞で終わる。疲れていた役者たちが立ち上がって再度椅子取りゲームを始める所で照明が落ち、「再生」劇評で高木さんが書いていたように「現実だが虚構」の仕組みをおぼろげに感じた。
でもね、あたしはねー、最後はマクベスに赤ワイン噴き出して死んでみせてほしかったの。
疲れきって座り込み、周りの人と顔を見合わせながら薄笑いするマクベスが、「もう、死んでいい?」と言っているように私には見えた。椅子取りゲームじゃなくってもそうだ、子どもの遊びってそうやって、誰かが「いち抜けた」で初めて終わる。個人的には椅子取りゲームを再開する前に、「マクベス」を一度終わらせてほしかったんである。そこが今回唯一心残りだった。あの、「もう死んでいい?」って感じ、すげぇよかったのになあ。
悪寒や関節痛はかえってひどくなっていたが、満足して劇場を後にした。
東京デスロックに体育会系的な健康さ求めたほうが間違いなんである。多田さんは人当たりいいくせに作品で徹底的に裏切る。この大人め。惚れそう。
(劇中使用曲目提供・東京デスロック)
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド 第95号、2008年5月21日発行。購読は登録ページから)
【筆者略歴】
小畑明日香(おばた・あすか)
1987年横浜市生。慶応大文学部在学中、国文学専攻。売文屋、役者。『中学校創作脚本集 (2)』(晩成書房)に脚本収録。2007年10月Uフィールド+テアトルフォンテ主催『孤独な老婦人に気をつけて-砂漠・愛・国境-』(マテイ・ヴィスニユック作)に出演。wonderland執筆メンバー。
・wonderland掲載劇評一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ta/takagi-noboru/
【上演記録】
東京デスロック unlock#LAST/REBIRH#1 『WALTZ MACBETH』
-第15回ガーディアン・ガーデン演劇フェスティバルin吉祥寺シアター参加
吉祥寺シアター(2008年5月8日-11日、4月29日プレビュー&プロセス公開)
作・シェークスピア 訳・坪内逍遥
構成/演出・多田淳之介
出演 夏目慎也 佐山和泉 永井秀樹 石橋亜希子 山本雅幸 佐藤誠 寺内亜矢子 羽場睦子
トークショー ゲスト
5/9 本広克行 (映画監督)
5/10 堤広志 (編集者 演劇・舞踊ジャーナリスト)
■スタッフ 照明 岩城保 音響 泉田雄太 舞台美術 濱崎賢二 舞台監督 中西隆雄 宣伝美術 宇野モンド 制作 野村政之 服部悦子
■主催 東京死錠 ガーディアン・ガーデン 財団法人武蔵野文化事業団
■提携 (有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
■協力 にしすがも創造舎 青年団 渡辺源四郎商店 舞台美術研究工房六尺堂