◎さまよう目がたどりつく「グスコーブドリ」
廣澤梓
その上演は遠く、焦点が定まらずに目がふらふらして輪郭がぼやける。つまりは、よく「見えない」。視界を遮るものはなかったし、見るのに遠すぎたわけでもない。SPAC『グスコーブドリの伝記』を鑑賞したのちに残ったこの感覚は、観劇において見えるということがどういうことなのかを教えてくれる。見ることとは、はっきりと近くに全体を通して、ということだ。近くに、というのは物理的な距離だけでなく、心理的な隔たりでもある。また見えなさは目に宿る、見たいという欲望にも気づかせてくれる。満たされることなくさまよい続ける目は、わたしを「考え続ける」ことへと導く。
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