◎濃密で軽やかな会話劇
片山幹生
大阪を中心に活躍する劇作家、横山拓也の作品を見るのはこれが三本目だ。「エダニク」、「目頭を押さえた」、そして今回の「流れんな」。いずれもシンプルで短いタイトルではあるが、「いったいどんな作品なのだろう?」とこちらの意識に妙なひっかかりを残す。どこか演劇作品のタイトルらしく感じられない。「エダニク」、「目頭を押さえた」のタイトルは、実際に舞台を見ると腑に落ちた。「なるほど」と思わずうなる仕掛けがタイトルにも施されている。
「流れんな」というタイトルを目にしたとき、いくつかの疑問が思い浮かんだ。この言葉はいったいどのようなイントネーションで発音されるのだろうか? 命令調の強い調子で「流れんな!」だろうか? あるいは命令ではあるけれども、「流れて欲しくない」という悲鳴だろうか? あきらめあるいは苛立ちのこもった「流れんなぁ」だろうか? またこの「流れんな」の主語はいったい何なのだろうか?
終幕時に「流れんな」というタイトルは、私が思い浮かべていたあらゆるイントネーションで発話されうることがわかった。そしてこの動詞にかかる主語はひとつではない。「流れんな」に重なる複数のイメージがもたらす豊かな余韻が、じわじわと私の心に広がっていった。
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