(編集部)(初出:マガジン・ワンダーランド第171号、2009年12月23日発行[まぐまぐ!, melma!]。購読は登録ページから)
カトリ ヒデトシ (エムマッティーナ主宰、「地下鉄道に乗って」)
- 滑川五郎×鈴木シロー「図南の翼」(那須・なぱふぇす2009-水際たつ-)
- KUNIO06「エンジェルス.イン.アメリカ-第1部 至福千年紀が近づく」(京都)
- 第七劇場「班女/葵上」(北海道・紋別)
柿喰う客×三重県文化会館 スポーツ演劇「すこやか息子」
「いまここ」こそがライブの魅力だが、「その時そこ」へ体を運ばせる「期待」という原動力がなければ観客は足を運ばない。サッカーやアイドルに負けない力が「演劇」にはあるだろうか。膨大な劇場があり、星の数ほどの作品が上演されている「東京」が演劇の中心と思われがちだが、「優れた演劇」はどこにでもある。東京外演劇にこだわり、「新幹線や飛行機に乗る時から、演劇は始まっている」と期待で 胸が熱くなる舞台を求めて、西へ東へ奔走した1年だった。そういう観客がいてもいいだろう。4本とも今どうしても立ち会わなくてはと足を運ばせ、観劇後今までの演劇観が覆され、ショックで熱を出し寝込んでしまうような作品であった。
年間観劇本数 450本(11月まで)。
高木登 (演劇ユニット鵺的主宰・脚本家)
- THE SHAMPOO HAT 「沼袋十人斬り」
- tsumazuki no ishi「トランスフォーム、ゴーホーム」
- studio salt「あの日僕だけが見られなかった夜光虫について」
今年も例によって数をこなせなかった。お恥ずかしいかぎりだが、そのなかでも珠玉の三本を選んだ。
1.はただ「すごい」としか言いようのない傑作である。不慮の公演休止によって観劇の機会を失った方々のためにも早々の再演を期待する。
2.は感動的なまでのわけのわからなさに打たれた。語れない、語りようがないのに面白いというのは、もうそれだけで賞賛に値すると思う。
3.は端正な演出もさることながら、戯曲の力こそが作品の源であることを再認識させてくれた逸品である。見終えて猛然と執筆意欲をかき立てられた。これすなわち秀作の証である。
年間観劇本数 約50本。
柳沢望 (白鳥のめがね)
- 劇団どくんご「ただちに犬 Deluxe」
- キレなかった 14才りたーんず
- ジエン社「コンプレックスドラゴンズ」
劇団どくんごの舞台は無条件ですばらしかった。どくんごをこそ演劇の基準とすべきだ。良心ある観客は、最低限どくんごだけは見逃さないようにしておけばそれで十分だろう。あとは趣味の問題だ。りたーんずは個々の作品でなくフェスティバルの全体をひとつの演劇作品として評価したい。演劇史的な画期となりえるイベントだった。その趣旨はワンダーランドに書いた。ジエン社は、現代口語演劇のENDをその限界の内で示したことが、ある時代の驥尾を飾ったということを、ここに演劇史的に印付けておきたい。その未熟さも含めて、あえてここに名前を晒しておこう。だが、期待すべきことは何もない。あとの優劣は解きがたい趣味の問題だ。
年間観劇本数 約50本。
藤原央登 (『現在形の批評』主宰)
- 地点「あたしちゃん、行く先を言って-太田省吾全テクストより-行程1」
- 青年団リンク ままごと「わが星」
- 唐組「盲動犬」
容易には手の届かぬところへ。どこまでも遠くへ。そのために身の丈以上のものを常に志向する。だがまずは、自らの立ち位置を冷静に見つめ、受容することから始めなければならない。そうでないと、次なる一歩を踏み出す先が分からないばかりか、その累積が生み出す思わぬ飛躍など望むべくもないからだ。受苦的積極性。どこまでも飛躍せんがため、地に足の着いた現実的思考を踏まえた作品を中心に選んだ。
故太田省吾の孤高の実践を引き継ごうとする地点。いつくかの試作を踏まえていよいよ東京公演だ。地球と惑星の途方もない距離を人と人の間のアナロジーに見立てた青年団リンクままごとは、現代のファンタジーとして秀逸だった。73年初演の『盲導犬』は、全盲の人間と盲導犬の関係が行き先不明の我々の似姿として突き刺さる。作品の色あせない強度を存分に感じさせた。年間観劇数88本。
矢野靖人 (Theate Company shelf 代表、演出家・プロデューサー、個人ブログ)
- SPAC 、静岡県文化財団 オペラ『椿姫』(飯森範親/指揮、鈴木忠志/演出、振付/金森穣)
- SPAC「転校生」(平田オリザ/作、飴屋法水/演出
- SCOT Summer Season 2009、アティス・シアター 『アイアス』 (作/ソフォクレス、演出/テオドロス・テルゾプロス)
1.には小劇場作品ではないが、どうしても鈴木忠志演出の新作オペラ『椿姫』を挙げたい。最高の観劇体験だった。“総合芸術”とはこういうことをいうのだ。鈴木演出は今や演劇よりもオペラのほうがハマっているのではないかとさえ思った。2.3.は同位。2.には、飴屋法水の復活という“事件”に立ち会うことの出来たSPAC『転校生』の、二度とあり得ないであろう奇跡的な再演を。3.は、同じく再演でありながらこちらは再演の度に新たな発見をさせてくれるテオドロスの『アイアス』を。徹底して無駄が削ぎ落とされたストイックでミニマルな装置と演出でありながら、その圧倒的な演劇的強度。利賀の野外の闇の深さが忘れられない。
年間観劇本数 69本。
詩森ろば (風琴工房)
素晴らしい作品に多く出会った2009年でした。3つ選ぶのが難しいのは幸福なことです。多くの方が挙げるでしょうが、見たこともない新しい感性で、普遍を鮮やかに切り取った「わが星」を素直に筆頭に挙げたいです。そして、こんなにも曖昧な命を私もまた必死で生きているのだということを叩きつけられた「転校生」。エロスとタナトスという使い古された言葉が俳優の身体を通じて立ち上り、こんなにもそれに飢えていた、と気づかせてくれた「昏睡」。どれも劇場を出たあとも家に辿り着いたあとさえも、そして今これを書いているときも、鮮やかに輝きつづける観劇体験でした。その他にはまた新しい扉を開いたTHESHAMPOO HAT 「沼袋十人切り」、丁寧な劇作に好感をもったサスペンデッズ「夜と霧のミュンヒハウゼン」、俳優ふたりの演技に釘付けだった燐光群「BUG」、リミニプロトコルの春と秋の2本が印象に残りました。
年間観劇本数 85本。
谷賢一 (DULL-COLORED POP主宰、新宿タイニイアリスプロデューサー、個人ブログPLAYNOTE)
- パスカル・ランベール作・演出「演劇という芸術」「自分のこの手で」
- サンプル「あの人の世界」
- 該当作なし
自分の脳味噌が衰弱しているのか現代演劇がマンネリ化しているのか、過去の手法の焼き直しが目立ち、目ん玉飛び出るエクスタシーが感じられなかった一年。
そんな中でアゴラが招聘したフランス人演出家パスカル・ランベールの2作品はテキストの詩情性といいセクシーで危うい身体表現の美しさといい出色。サンプル作品は『伝記』『通過』『あの人の世界』いずれも素晴らしく、松井周という異才の美学とフェチズムがもはや安定感すら漂わせる昇華を見せた一年。
次点は柿喰う客『悪趣味』、五反田団『生きているものか』、青☆組『午后はすっかり雪』、イキウメ『関数ドミノ』、チェリーブロッサムハイスクール『愛妻は荒野を目指す』。いずれもここまでのキャリアを総括する完成度を持った作品群でビートルズで言えば『Help!』に当たる傑作だが、新たな革新を予感させる『Rubber Soul』や『Revolver』、『Sgt. Peppr’s~』ではなかったため次点とした。
年間観劇本数 120本前後。
因幡屋きよ子 (因幡屋通信/因幡屋ぶろぐ主宰)
- elePHANTMoon 「成れの果て」(マキタカズオミ作・演出)
- ミナモザ 「エモーショナルレイバー」(瀬戸山美咲作・演出)
- こまつ座&ホリプロ 「組曲虐殺」(井上ひさし作 栗山民也演出 小曽根真音楽)
心に残った舞台は以上の作品です(上演順)。
後味最悪の結末が逆に快感になった『成れの果て』、微妙だが着実な作者の歩みが嬉しかった『エモーショナルレイバー』、絶望から希望につながる道を開いてくれた『組曲虐殺』に出会えた幸運に感謝する。反面、とても丁寧に作られているのに、どうしてこの題材を選んだのか、何を描こうとしたのかが伝わってこないものが少なからずあった。何かが足らない、どうにも違う。そういうときこそ自分の心の奥底の声に耳を澄ませ、ひとことでもいい、言葉にしたい。みているのは目の前の舞台だけではなく、過去に理解できなかった舞台を読み説く思いがけない手がかりや、これから出会う舞台への備えを与えられる可能性があるのだから。
年間観劇本数 12月27日までに99本(予定)。
高野しのぶ (現代演劇ウォッチャー/「しのぶの演劇レビュー」主宰)
- サスペンデッズ「片手の鳴る音」(作・演出:早船聡)
- モモンガ・コンプレックス「初めまして、おひさしぶり。」(構成・振付・演出:白神ももこ)
- 渡辺源四郎商店「ココロとカラダで考える差別といじめ-7日で作る『河童』」(作・演出:畑澤聖悟)(上演順)
シアタートラム・ネクストジェネレーション、F/T09春&秋、キレなかった14才 りたーんず、SPAC春の芸術祭、東京芸術劇場・芸劇eyes(開催順)など、フェスティバル形式で若手および先鋭作品を紹介する企画が充実していた。今年の3本は敢えてそれら以外から選出。ストレート・プレイ、ダンス、ワークショップ発表会と多彩になったのは、作り手と観客との関わり方がより自由で幅広くなったのを実感したからだと思う。
2009年は『四色の色鉛筆があれば』『わが星』を作・演出した柴幸男(ままごと)の活躍なしには語れない。来年も新世代のアーティストが、舞台芸術と社会との新しいつながり方を示してくれる気がする。
(注)今年の3本は客席数300席以下の小劇場公演から選出。3作品の並びは上演順。年間観劇本数 289本の予定(2009/12/18時点)。
谷杉精一 (グラフィック・デザイナー)
って、気がつけばF/Tのプログラムばかり。
1と2は極めて私的な物語から普遍的な場所を照射することに成功した作品。1は「痛み」としか表現できないサラ・ケインのけっしていい出来とは思えない戯曲を飴屋が多様なイメージ・解釈を想起させる作品に。これは本当に驚いた。3と4は政治的な場所から「私」の場所を見つけることに成功した作品。出来自体はビミョーだが可能性を感じる。
4本に共通して感じるのは難解な事をやっているかに見えながらちゃんと大向こう受けを狙ってるギリギリの下世話具合。その匙加減の絶妙さ。泣いたり笑ったりする良くできた演劇にはもう興味はない。と、はっきり自覚でき意味のある2009年だった。2010年はモアベターよっ!(と、しておく)
年間観劇本数 95本。
* 初出:週刊「マガジン・ワンダーランド」第170号(2009年12月30日発行)の「年末回顧特集2009」から。
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