◎演劇と寄り添い合って生きる
小泉うめさん
-今回の企画は、劇場に足しげく通っている人たちのインタビューです。
小泉 登場する人たちとはきっと、どこかの劇場でお会いしていると思います(笑)。
-そうですね。観客が何を考えているのか、何を見て、何を楽しんで、何に心を動かされているのか。そういう実情を明らかにしたいと、軽い気持ちでこの企画を始めました。ところがだんだんと…。小泉さんは関西出身とのことですが、どちらですか。
小泉 和歌山県です。高校卒業まで和歌山市内で育ちました。大阪までJRか南海電車で1時間くらいのところです。
恐るべき高校生
-和歌山では、芝居に縁があったんですか。
小泉 全然ありません。高校のころ文化祭で芝居を作って上演するくらいです。もともとはむしろ音楽が嗜好の中心です。
-楽器は…。
小泉 ギターです。あとボーカルも。ソロでアコーステッィク・ギター1本でっていうのも、バンドを組んでというのも、両方やってました。80年代なので、僕のギターアイドルはエリック・クラプトンでした。
-当時クラプトンのコンサートを聞きに行った僕の同僚は、「あいつ楽屋で酔っぱらってた」と言ってましたよ(笑)。
小泉 らしいですね。ステージでも飲んでいましたし、煙草も吸ってましたからね。そういうところもカッコ良くて、憧れたでんすけどね。音楽については、改めてゆっくりお話ししたいですね。
-当時のギターキッズはクラプトン派とジェフ・ベック派といましたね。文化祭でお芝居を上演したというのは…。
小泉 クラス単位の出し物としてだったり、何かやりたい人が集まってやる、というのもありました。担任の先生が演劇部の顧問だったことも影響しているかもしれませんが、演劇部に入っていたわけでもありません。もともとお祭り好きというのがあって、芝居も音楽も含めてエンターテインメント全般が好きで、自分でもやってみたくなったんでしょうね。
-高校は進学校だったんですか。
小泉 まあ公立の進学系の学校です。大学は、社会学部で社会心理学を勉強していました。それ自体は芝居とは縁はないのですが、劇中の登場人物の心理を汲み取ったり、作品の背景となる社会情勢を考えたりする上では関係していますね。実際に大学の授業の中で映画を見て、そのようなことを考えることもしていました。なかなか信じてもらえないけど(笑)、大学時代は結構真面目に勉強していたんですよ。音楽の方は、ちょうどそのころ音楽系のFM局ができてきた時期だったので、そこでアルバイトや手伝いなんかをしてました。
-お芝居の最初のきっかけはM.O.P.だったと聞きましたが。
小泉 本格的に見始めたのは大学に入ってからで、関西の小劇場に最初に行ったのは多分そうだったと思います。ガールフレンドに誘われて付いて行ったんですけど、結果的に自分の方がどっぷりハマることになりました(笑)。80年代の半ばから関西の小劇場で中心的存在だったのは、M.O.P.、リリパットアーミー、劇団☆新感線、南河内万歳一座の4つでした。M.O.P.はもうなくなっちゃいましたけど、この辺の団体はずっと見続けていますね。
-共通点があるんですか。
小泉 路線はそれぞれに違いますよね。でも当時の小劇場ブームの中で、時代にマッチしていたのが彼らなんだろうなと思います。だから多くのファンにも受け容れられたんでしょうね。もし時代に間に合っていたら、僕はたぶん唐十郎の芝居が一番好きだったんじゃないかとずっと思っています。でも赤テントの全盛期には乗り遅れている。だから、その時代に、そのあとを受け継ぐような、アングラの雰囲気があり、群像の熱が感じられるような芝居に惹かれました。そういう意味で、南河内万歳一座は大好きだし、東京だと渡辺えりさんの劇団3○○の芝居なんかが好きでした。
-演劇を見始めたのは80年代後半ですか。
小泉 そう、80年代後半からですね。芝居は高校のときから見始めていたので、何度か和歌山から電車やバスを乗り継いで、高校生の大冒険で東京の下北沢へ行ったりしてました。本多劇場の「ゲゲゲのげ」の再演(1985年)を実は高校生のときに見てたりするんです。数年前(2011年、座・高円寺)の再々演のときに、「実は本多劇場の再演を見てるんですよ」なんて言ったら、若いキャストの皆さんから「えー?」って驚かれました。
-和歌山の県立高校生が、下北沢までやってきて本多劇場で3○○の「ゲゲゲのげ」を見るって、それは恐るべき高校生、一般的じゃないでしょう。
小泉 今思えば、尋常じゃないですね。友だちと行くでもなく、一人ですしね。面白そうな演劇を求めて日本中を回る病気(笑)はこの頃から発症していたのかもしれませんね。
-親は何も言わなかったのですか。
小泉 悪いことをするわけじゃないので、何も言わなかったですね。だから第三舞台や夢の遊眠社は、高校生の頃から東京まで何回か見に来ていました。NHKテレビの「芸術劇場」でいろんなものを見て、「なんだか面白そうだ」「東京はすごいことになってるな」と思って見に行ったということです。
-でも、演劇だけでなく、映画も見てるし、音楽もやってるでしょう。音楽、映画、芝居ってのはどういうバランスなんですか。
小泉 どうなんでしょうね。自分の中で常にあったのは音楽なんですけど。今、こんなに演劇に偏ってきているのは、演劇が総合芸術で、いろんな要素があって、美術も面白いし、音楽もあるし、身体性も話芸も、みんな入ってるのが面白いからですかねえ。
-当時は情報誌の存在が大きかったと聞きましたが。
小泉 隔週刊の関西版『ぴあ』をずっと読んでましたね。基本的にはコンサート情報が欲しかったんですが、『ぴあ』を広げると、芝居も映画も美術展も落語もみんな情報があって、時間とお金をやりくりしては、色んなものに出かけてましたね。映画試写会の情報なんかもあって、そういうものを使って、お金がないなりに効率的に回ったり。なかなか手に入らないチケットを早く手に入れたり。そういうことが若い時には大切だったと思います。限られた時間ではありましたが、いろんなことが可能だった時代です。
震災が引き金に
-演劇に傾斜するっていうか、観劇の時間が多くなってきたのはいつ頃からなんですか。
小泉 今の爆発的な見方は(笑)、2011年3月11日の東日本の震災以来です。それまでの観劇数は年間50本から100本くらい、2011年以降は200本超え(笑)。
-それはどういうことですか。
小泉 今でも演劇だけに惹かれているわけではないとは思ってるんですけど、震災をきっかけに、もっと自分のために時間を割いてもいいんじゃないかと思うようになったのが原因だと思います。40歳を過ぎて、これまで一所懸命仕事をしてきたわけで、もちろん今もしてるわけですけど、「人生の中でどんなことにどんなふうにウェイトをかけて時間を使うのが大事か」と改めて考え始めたんですね。でも、今のような観劇生活も、たぶん決してそんなに長くは続けられないと思っています。そういう意味では、可能な内にしっかり見たいと思います。
-ワンダーランドの劇評を書くセミナーに最初に参加されたのは2012年ですね。
小泉 そうです。ちょうどそんなふうに思っていた時にチラシを頂いて参加しました。
-名刺には、たしか有名会社の「××プロジェクトリーダー」とあって、こんな大企業のプロジェクトリーダーって、言ってみれば「死ぬほど働け!」って会社から言われてる職責の人が、大丈夫かなって思ったのを覚えてますが。
小泉 はい、そうですねえ(笑)。それは体を張ることと身銭を切ることで、なんとかやってきました。
-僕も会社勤めをしてたときは同じようなことがあって、言葉にはしないけど「死ぬほど働け!」と自分に言い聞かせ、後輩にも発散してたことがあったなと…。
小泉 煮詰まるときはありますね。だから今後の身の振り方についても悩みをお話ししたい(笑)。
-就職のときにはずいぶん悩んだそうですね。迷いがあったんですか。
小泉 FMの音楽番組制作という選択肢が最後まであったんです。でも「それで食べていけるか」、「それを仕事にしてしまって自分が満たされるか」ということに不安がありました。かといってフリーで好きなことばかりやれるかと言うと、そこまでの力量と根性もなかったんですね。先ずはサラリーマンの道を選んで、好きなことは自分の楽しみとして取っておこうと思ったんです。
仕事に関しては、営業の仕事、総合商社の仕事がやりたかったんです。知恵を絞って、商品に自分の付加価値をつけてビジネスをすることをやってみたいと思いました。でも総合商社は縁がなくて。それで、別の方法でそれを実現する手段として、医薬品の会社に入りました。
-仕事はそれなりに面白いんじゃないですか。アイディアも必須、やる気もやり通す根性も、それに行動力も必要だし。集団の中で、上にも下にも横にも組織化して、実績を残せば快感でしょう。プロジェクトリーダーなんてやり始めると面白くて病みつきになりますよね。普通はそれで歳月が流れて、若いときに蓄積して背負ってきた芸術的な遺産が霧散してしまう。定年を前にして気がつくと、背中が寒いなと思ったりする。そんなふうにはなりたくないと思ったのですか。
小泉 頭と体をいっぱい使って仕事をするのは面白いですよ。変な若者でしたが、僕は就職する段階から、憲法第27条* そのままに労働は日本人としての義務だという考えが強かったんです。「何らかの形でちゃんと社会に貢献して、金銭的なことだけじゃなくて、一番いい形で社会的利益を出していかなければならない」とすごく思っていました。だから仕事に関しては割り切っているところもあります。仕事は面白いですけど、これでお金をもらっているのだから、しんどい時があるのも当たり前だろうと。その分、稼いだものは有意義に使うぞとも思ってます。その、ワークライフバランスに関する気持ちは、震災のあと更に強くなったと思います。ただ会社に身を投げ出してるだけじゃなくて、もっと自分の生かし方も大事にしようと思うようになりました。
* 憲法第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
-阪神淡路大震災ではその辺はどうでしたか。
小泉 僕は学生時代を兵庫県の西宮で過ごし、その後就職して福岡に行っています。阪神淡路大震災はその2年後に起きました。地震の後、休みの日に九州から車を走らせて炊き出しに行ったりもしました。地震ということで言えば、新潟でも大きな地震がありましたけど(2004年10月の新潟県中越地震)、あれも僕は1年違いでかわしてるんですよね。
-新潟県の長岡市にいらしたんですか。
小泉 新潟の震災のときは長野で勤務していました。すごい揺れを感じたら震源は長岡でした。その翌年に長岡に転勤しましたが、家を借りるのも大変だったのを覚えています。福岡を離れた後にも沿岸に大きな地震(2005年3月福岡県西方沖地震)がありました。長野も昨年は大変でしたしね。僕が住んでお世話になったところにはことごとく地震が起きていて、家族から「お前はナマズだ」と言われてます。自分は直接大きな被害を受けたことはないんですが、自分の関係した人や土地がいっぱい被害に遭っているんです。
-2011年の3月11日の地震が転換点になったというのは、年齢的な問題が大きいんですか? それとも抱えていたいろんな問題がそこで見えてきたんでしょうか。
小泉 それは東京にいた方も、どういう状況であの地震に遭ったかで違うとは思いますが。僕の場合は、積み重なった震災経験と年齢の両方が影響しているでしょうね。あの日は、たまたま会議があって東京にいました。その帰り、新宿で高層ビルが目視できるくらい揺れるのを見て「ああ、これは死ぬぞ」と思ったんですよね。最初の揺れの時は、小田急百貨店の地下でバレンタインのお返しを物色しいた、ちょうどその時でした。「これでチョコレートを抱えて死んだら美談かな」なんて考えましたよ(笑)。そのあとは、あの甲州街道の帰宅難民の行列に身を連ねました。
-阪神淡路大震災の3ヵ月ぐらいあとに神戸に行ったら、まだ高速道路は倒れたまま。10階建てのビルも倒れてブルーシートがかけてある。壊れるものは壊れるんだ、っていう感じがしましたね。
小泉 「モノづくり」はほんとに大事だと思うんですが、同時に、「形」を作ってもその形って壊れるんだっていう経験が重なって、だからこそ、その場で消えてしまう演劇を愛しく思い、見に行っているのかもしれませんね。今回インタビューの話をもらって、いろいろ考えて、そんなことを思いました。
作品+舞台>作家+俳優
-小泉さんほど東西の芝居をひとりの観客として見ている人はそんなにはいないんじゃないでしょうか。東西の特色みたいなものを感じたことはありますか。
小泉 先ず言えるのは、東京の演劇の方が進化してるし、きれいにまとまっている。芸術系大学の教育をしっかり受けて演劇をやってる人が多くて、形はすごくしっかりしてるように思います。あくまでも全体的に見ての意見ですけどね。
-それは2000年代に入ってのことですね。
小泉 そうですね。僕は、東西両方を常に同時に見て対比してきたわけではないですけど、今回関西に戻って感じたことは、時間差があるかなってことです。数年前に東京で起きてたようなことが今関西で起こりつつある。その中で今でも一昔前にやっていたような、いい意味で暑苦しい芝居にこだわってやってる劇団もある。そういう意味では、今の関西の演劇のバリエーションは面白いですよ。
-年代的に整理すると、小泉さんは、80年代は高校・大学時代、関西にいて下北沢にも通ったりしていた。90年代の10年間くらいは、地方勤務なんかでちょっと空いて、その後2000年代からまた見はじめたのですね。
小泉 そうですね。地方にいる時も、地方公演としてやって来る作品を見たり、何かにつけて東京や大阪に出ては年間50本以上は見ていましたけどね。
-90年代というのは、バブルがはじけたこともあって、芝居が大幅に入れ代わった時代ではないかと思います。80年代的な芝居に人が集まらなくなった。いろんな人たちが出たり入ったりしながら、今あるものの原型、つまり青年団系とか大学演劇、演劇学科出身のグループが出てきた。2000年台はある意味で、一斉にいろんな劇団が出てきた現場に立ち会えたってことですね。
小泉 そうですね。逆に言うと、演劇が苦しかった、もがいてた時期に関してはちょっと関わりが薄かったっかもしれません。
-抽象的な話をしても仕方がないので、あらめて芝居を見はじめて、おお!これはすごい!と小泉さんの記憶に強烈に残ってる作品、劇団、俳優は何でしょう、だれでしょう。
小泉 劇団に関しては、そんなふうに強烈に思ってるものは、あまりないかもしれません。人気のチェルフィッチュにしてもマームとジプシーにしても、面白いと思って見続けているのですが、他方ですごくクールに見てるところもあるんです。
-80年代の芝居みたいに揺さぶられるようなわけにはいかないってことですか。
小泉 うーん、どちらが良いということではなくて、たくさん見れば見るほど、それは少なくなっているかもしれませんね。よく劇評セミナーでも話が出ますが、「これは演劇にするしかなかったという作品かどうか」がとても大切なんですよね。どんなにすごい劇作家でも、それは生涯1つか2つだと思います。そういう作品はやはりインパクトが強いし、記憶にも残っています。あとから大きな賞を受賞されたりして、ああなるほどなって思いますけれど、劇団として、あるいは作家としては、実はあまりこだわりはないのかもしれません。
-作家や俳優への興味よりも、あるひとつの作品、ひとつの舞台への興味の方が勝るってことですか。
小泉 でもまあこれだけの本数を見てますから(笑)、追っかけてるところは追っかけてるんですけど。どこかのファンというよりは、「傑作との出会いを求めて劇場を渡り歩いている」というのが実際のところかもしれません。
-年間200本くらいですか。
小泉 そうですね、200本くらい。2011年からずっとですね。そういえば、劇評を書いていて、僕は『ハイバイ』のことを引用してることが結構多いなってことに後から気づきました。たぶん岩井(秀人)さんの言葉や表現が僕の中であとあと尾を引いていて、劇評を書くときに思い出して引用するのかなと自分で分析したことはあります。
上演前の観客参加
-ワンダーランドのセミナーに出てみようと思ったのは何がきっかけですか。
小泉 チラシを見てです。毎週何十枚と演劇のチラシをもらっているので、どの公演でもらったのかわかりませんが、1枚ではなく何枚も入ってました。確かにたくさんの舞台を見てるし、他のみなさんの感想も聞いてみたいし。ツイッターではちょこちょこ感想を書いてるけど、まとまった内容のものを書いてみたいという思いと、せっかくこれだけ芝居を見てるんだから、という責任感みたいなものと。見た限りは残さなくてはいけないなっていう。
-前から劇評を書いたりしてたんですか。
小泉 ブログはやってますけど、芝居のことはそんなに書いてはいませんでした。劇評セミナーにはこれだけ通ってるんですから、ハマっちゃってますよね。劇評を書くこともですが、みなさんといろんな話をすること自体も楽しいです。おこがましいですけど、セミナーのあとカフェで話す時なんかに、自分の記憶を若い観劇者の方に伝えて、「へえーっ」て聞いてもらったりすると、なんだか「受け渡しができたかな」って思います。
-セミナー前とセミナー後で、何か違ってることはありますか。
小泉 セミナーの課題になってると、やっぱり観劇時の緊張感が違いますね。
-緊張して集中して見ると、違って見えますか。
小泉 そうでなければ、もっと部分的に見ていたかもしれません。課題でなければ、特定の役者ばかり見てるとか、あるいは、あるエピソードだけにこだわって見るとか。大劇場の商業作品なんかだと、アンサンブルだけじーっと見てるような時もありますね。自分でも変な観劇スタイルだと思いますが。必ずしもいつも筋を追って見ているばかりではないんです。でも、劇評を書く時には、ちゃんと筋も追うように意識していますね。
-今は、劇場が増えて、それぞれ似たようなシステムで運営されていて、劇場ごとの特徴が以前ほどは明確ではありません。それでも、こまばアゴラ劇場とか王子小劇場とかはカラーがありますね。関西でもそれは同じでしょうか。
小泉 むしろ関西の方がもっとはっきりしてるかな。関西の方が演劇を包む環境が厳しいところはあるので、劇場によって、作家養成のセミナーとか、役者向けのワークショップに力を入れていたり、観客との意見交換をしながら企画を進めているような劇場もあります。
-京都のアトリエ劇研の試演会制度ってそういうシステムなんですか。
小泉 そうですね。具体的には、ショーケースみたいな上演で、20分くらいの作品を3本とか4本とか上演して、その後、ディスカッションタイムがある。観客は、僕みたいな素人も、実際に創作に関わっている人もいますが、そこで「あーだ、こーだ」言うんです。それを重ねながら次の本公演の制作につなげていく。入場料は払いますが、1000円とか1500円とか、通常よりは安いと思います。
-ほほう。それはずっとやってきてるんですか。
小泉 もう何年も続いていますね。京都芸術センターでも、劇作家が戯曲を書きながらリーディングをして意見を聞く「演劇計画」という取り組みをしています。面白いと思いますね。
-劇作家協会が座・高円寺で開いているリーディングは、作品を何人かの俳優に読んでもらって、経験のあるベテラン劇作家らがコメントをつけるというやり方ですね。京都のはその観客版ってことですか。
小泉 そうですね。座・高円寺のリーディングの、もっと観客寄り企画ってことですね。
-評判はどうなんですか。
小泉 お客さんはいつもよく入ってます。ディスカッションの時にも、「どうでしょうか」って言うと、それなりに手も挙がり、意見も出る。
-そうですか。劇作家、演出家にとってはどうなんでしょうね。
小泉 観客の意見を求めない作家は、無理にそこに出てきて求めないでしょう。正直に言えば、あんまり求め過ぎない方がいいんじゃないかと思うところもあります。ただ、観客の意見を聞きながらというのは、「ある種のトレーニングとしてはいいんじゃないか」と思っています。一方で「一気に自分で書き上げなさい」っていう思いも、もちろんあるとは思いますが。
-同じようなことはよその劇場でも行われていますか。
小泉 劇研でやってることの大阪版として大阪のミナミ、心斎橋のウィングフィールドという劇場でやってます。ほかには京都のKAIKAでgateっていうのをやってますね。KAIKAは正式には「アートコミュニティスペースKAIKA」っていう劇場の名前、gateっていうのは企画の名前です。C.T.T(アトリエ劇研)とかgateっていうのが企画の名前です。
-王子小劇場でも、1000円で2日間ぐらいで上演する企画を2、3年前から始めましたね。
小泉 東京でやってるものは、もっと「劇団の顔見せ・お試し観劇」みたいな、劇団の雰囲気を知ってもらう感じだと僕は受け止めてます。京都でやってるのは「今度こんなことをしようとしてますが、どうでしょうか?」って感じ。それには議論があると思いますが、ひとつの取組みとしては面白いんじゃないでしょうか。それは、作品が劇評として言葉にされることによって、劇作家が思っていなかった解釈が立ち上るときにも似ていますね。
-結局はいろいろやってみるしかないんですよね。今の時代だからこそ生まれる、みたいな、ある種の傾向のようなものを感じることはありませんか。
小泉 難しい質問ですね。混沌としてるというか、流行っているもの、ファンが多くて広く受け入れられているもの、というのは確かにあるかもしれません。それはやはり現代の環境を反映していますよね。これからまた熱っぽい演劇に戻っていくのかなとも思います。
流れが分かる
-もう一度小泉さん自身のことに戻るんですけど、さっきのお話だと200本見るような生活はそんなに続けられないだろうと言われた。それは年齢的な問題だと言ってしまえばそれまでなんですけど、もうちょっと違う何かがありますか。まだ定年まで20年くらいあるじゃないですか(笑)。
小泉 200本見るってやっぱり大変ですよ(笑)。今でも厳しい時はある。ただ、がんばれば見られるし、見たいっていう願望、欲望もある。「乗りかかった船だ」的な感じもある。いつまでという期限を切るつもりもないんですけど、見られる間は見たいなとは思います。観劇仲間にご高齢で足も不自由で劇場になかなか行けない方がいて、そういう方が「今のうちに行っときなさい」と励ましてくださると、本当にその通りだなと思うんです。でも、明日どうなるかもわからないですからね。
-200本くらい見るようになって、何か変わったもの、得られたものってあるんですか。
小泉 「今の演劇界の全体像が見える」―というと偉そうですけど、そんな感じは少し受けています。どんなものが流行っているか、みんながどんなことをやりたいか。それこそ時代や世相をどういうふうに受け止めているのかなっていうのが伝わってくる感じですね。アーティストは若い方から年配の方までいますし、それぞれの世代が今起こっている社会の問題をどう受け止めているかは感じますので、それは確かに面白い。
-あと瑣末なことになるんですけど、入場料ってばかにならないじゃないですか。それは全部自腹ですか。
小泉 私はほぼそうです。
-招待券はきませんか。
小泉 そういうのもいくつかはありますけれど、ほとんど自分で出してます。若くってがんばっているアーティストには、ちゃんと入場料を出そうと思っています。しっかり儲かってる方が招待券をくれるのなら甘えますけど(笑)。その代わり、一観客である限り「ダメなものはダメ」と言いますよ。
-見続けてきて、劇団や舞台に対して考えることはほかにないですか。僕は、いい芝居を作ってもらいたいけど、いい芝居ほどもっと安く見せてもらいたいと思い続けているんです。
小泉 それはすごく大事なとこだと思います。チケットはなぜ2000円とか1万円があるかというと、内容だけではなくて、ギャラが高い役者さんが出るとか、商業演劇だから美術にお金もかかるし劇場代も高いとか、そういう話なんですよね。チケットの金額の高い芝居が必ず面白いかというと、それは違うでしょう。その上で2000円でこれだけ面白かったらよかったなというのはあります。けれども逆に言うと、2000円だから面白くなくてもいいかというと、僕はそれは絶対許さないし、1万円払ったからその分楽しませてくれよっていうものでもない。
優しさ、理解、好奇心
-繰り返しになりますが、音楽があり絵画があり映画があったのに芝居に特化していったのには、今改めて振り返ってみると、どういう理由やきっかけがあったんでしょう。映画を毎週毎週見まくったと言われてましたよね。
小泉 これがずっと続くとも思っていないので断定的なことは言いにくいんですけどね。ひょっとしたら、今は自分の中でちょっとしたブームなだけかもしれません。ただ、言い尽くされてますけど、映画と違って「今それが目の前で起こる面白さ」っていうのは、確実にあるなと思っています。
-映画なんかはパッケージがあるのでいつでも見られますよね。
小泉 もちろんそこもまた議論があるところだと思うんですけど、やっぱり「一回性」という理由が一番影響しているかなと思います。その一方で、演劇における「再現性」ということもとても重要視していて、日頃から色々と考えてはいるんですけどね。
-あの時あの場所であの演目を見たか見ないかっていうとこが、かなり決定的な違いを生み出すのかもしれない。生み出さないことが多いかもしれないんだけれど。その期待で行くのでしょうか。
小泉 そうですね。本当にいいものに当たった時の衝撃がすごいなと思うんですよ。それを見届けに行くのだなと。それから僕の場合は、がっかりさせられるような経験は少ないです。「ああなるほど、作家さん・役者さんはこういうことを伝えたいんだな」と思って帰ることが多いので、とりあえずまた来週も劇場に行こうかなという気持ちにならせてもらえています。
-そうか、やさしくて理解があって好奇心があって、それが200本の秘密か(笑)。
小泉 確かに他の方が同じ作品に対してコメントされているのを見ると、「僕のほうが優しいかな」とよく思います(笑)。いつもアラを探すんじゃなくて、何か面白いところを探してあげようと思って見てるところがありますね。ホメて伸ばすタイプ。
-そういう温かい観客が演劇を育ててきた(笑)。
小泉 ツイッターの140字のコメントは何かしら書けるんですよ。誰が良かったとかあのシーンが良かったとか。ストーリーは面白くなかったけど演出はよかったよとか。たぶんそういうスタンスで見てるのかな。
-ワンダーランドに掲載したHula-Hooper「WATAC I」評は、僕自身が登場するのでどうしようかと思ったんだけど、やっと意を決して今日ツイッターで流しました。まあ、埒もないことを書いてしまうんですよ、僕は(笑)。
小泉 ワンダーランドの「年末回顧」はすごくいいなと思っています。毎年いろんな作品があって、いろんな観劇者のいろんな視線があって、それがああいうふうに振り返られて、みんなで語られて残っているという。
-ワンダーランドを続けてきて、今でも残っている観客企画が「年末回顧」なんです。(年に1回)織姫と彦星が会うように。あの企画はなかなかよかったと思っています。セミナーも、そういう観客とのインターフェイスを考えて始めました。小泉さんにはこれからも批評活動を続けて欲しいですね。
小泉 関西の演劇はまだまだ十分に批評にさらされてない部分が多いと思うんですよね。批評をすごく求めていると思います。悪口言われたくないので嫌う人ももちろんいますけど、発展のためには絶対必要だと思っています。そういう意味で京都のセミナー(2014年11月)をやってもらったことは嬉しかったし感謝しています。ああいうものが続けばなあと思いますね。
-今はお休みしてますが、「クロスレビュー」というのがありました。ああいう企画をもっと関西でやるとか検討してもいいですね。
小泉 ちょうど最後の頃の「クロスレビュー」に私も書かせてもらいました。書き始めたら終わっちゃったんで悲しかったんですけど。
-あれは大変なんです。やっぱり星を付ける(5段階評価)には、相当勇気がいる。たいていは星しか見ないから。招待券がパタっと来なくなったり、それなりに覚悟しないとなかなかできない。
小泉 あとセミナーで思っていることで、これは僕だけの主観かもしれませんけど、年々、書き方が乱雑になり過ぎてないかなと感じています。要は個人の好き嫌いだけを書いて、論理立てられてない劇評を読む機会が多くなっているような気がして、そこは少し悲しんでいます。
-もう少し具体的に言うと…。
小泉 嬉しかったのは、東京芸術劇場の劇評セミナーを始める時に、最初に講師の方がずらっと並んでそれぞれの劇評観を話してくれたことです(トークセッション「私が考える劇評」2012年9月7日)。あれは僕にとっても財産だし、あの時の聴講メンバーは今でもそれをすごく感じ取って劇評を書いているなあと思います。あの企画はセミナーを継続してやる上ではあった方がいいと思います。面白くないなら面白くないと、そこは遠慮しないで書くべきだと思います。しかしどうして面白くないかを論理立てて書いてなかったら、後から読んでも理解できないし、また作ったアーティストに対してもどうかなと思います。アーティストも反論のしようがないから。
-セミナーがそういうふうになったことも含めて、僕はやっぱり10年間の埃や垢が溜まって金属(勤続)疲労したんだと思います。だから新しいメディアは新しい皮袋で、新しい人で、ワンダーランドはとりあえず閉じて半年考えてみよう。そう判断しました。新しい才能が元気を出して、いろんな人と協力してやったらいいと思いますね。
劇評と記録の重要性
小泉 あと劇評そのものについてなんですけど、書き手は、「ほぼ読まれない」と思っておいた方がいいですよね。それは仕方ないなあと思いながらいつも書くんですけど。ただ、古い芝居の再演を見て、「初演はどうだったのかな」なんて検索した時に、しっかりした劇評が残っているとすごく参考になるし、ありがたい。だから僕も書かないといけない、そういうものを残したいなという気持ちはあります。
-この観客企画で、実は「演劇◎定点カメラ」のまねきねこさんに企画書を添え、ぜひ話しを聞きたいとお願いしました。結局願いは叶いませんでしたが、70年代から80年代の芝居は、彼が書いた記録がとても貴重です。ワンダーランドを始めるとき「演劇◎定点カメラ」を意識して、作・演出だけでなく、出演者や制作スタッフなどの上演記録を残すようにしました。
小泉 それは読ませてもらう立場からするとすごくありがたいですね。
-本当は配役までちゃんとついていればいいんだけど、劇団のHPにはそこまで丁寧に載ってない。
小泉 逆に言うと、「見た人間が残さないといけないんだな」と、本当に思います。例えば今日フラっと、マームとジプシーの芝居を見て何か書くことはもちろんできるとは思います(*インタビュー当日はマームとジプシー「カタチノチガウ」の上演期間中でした)。しかし継続して作品を見ている人間として書くのか、あるいは、たまたま今流行りのお芝居として見て書くのか、というのは全然意味合いが違う。後に振り返っても内容の厚みが違うので、劇評を読む際には、そういうことを見極めることもすごく大切ですね。音楽や映画であれば後から見て感じたり考えたりできるけど、舞台に関しては、それはどうしてもできない。だから劇評を書く時には、変な感じで責任感を背負ってるところがあります。特別な才能があるわけでもなし、誰に頼まれたわけでもないのに(笑)。「見ちゃったから残さなきゃ」という責任感がありますね。
-そういう人が新しいメディアを支えるんです。
小泉 (新しいメディアを)応援してます。
-ありがとうございました。
(聞き手・構成 北嶋孝、水牛健太郎 撮影=水牛健太郎 編集協力=都留由子、大泉尚子 2015年1月18日、原宿のカフェ)
【略歴】
小泉うめ(こいずみ・うめ)
1968年、和歌山県出身。観劇人。全国を転々と旅する人生の傍ら、ジャンルや規模の大小にとらわれず舞台芸術に触れ続けている。2015年春、人生16回目の引っ越しをして、再び東京を拠点とした観劇生活を始める。