劇団東京乾電池「そして誰もいなくなった〜ゴドーを待つ十人のインディアン」

◎物語のけじめと感動する責任
 金塚さくら

劇団東京乾電池「そして誰もいなくなった〜ゴドーを待つ十人のインディアン〜」チラシ
劇団東京乾電池「そして誰もいなくなった〜ゴドーを待つ十人のインディアン〜」チラシ

 木が一本立っている。骨ばって寒々しい、いかにもゴドーを待ちそうな木だ。ほとんど枯れたような枝に、申し訳ばかり三枚の葉がへばりついているが、この葉も開幕十秒ですべて風に吹き飛ばされて、物語の間中、木は丸裸のまま観客にさらされる。

 東京乾電池公演『そして誰もいなくなった〜ゴドーを待つ十人のインディアン〜』の会場にて、舞台上に立つこの木を目にし、「いかにもゴドーを待ちそうだ」と思った瞬間はたと、私は自分がこれまでに一度も『ゴドーを待ちながら』の舞台を観たことがなく、あまつさえ戯曲すら読んだことがなかったのだという事実に気がついたのだった。
 さらに言うと、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』は確かにかつて読んだはずだが、マザーグースの『十人のインディアン』の歌詞に見立てた連続殺人、という以上のディティールを問われると目が宙を泳ぐ。関係者全員が犯人——だったのは何か急行列車の話のはずだ。
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Theatre Company Ort-d.d「わが友ヒットラー」

◎内なる対話としての四人芝居 いささかの疑念を込めて
  金塚さくら

「わが友ヒットラー」公演チラシ
「わが友ヒットラー」公演チラシ

 劇場には生きた鼠がいた。比喩ではなく文字どおり。Theatre Company Ort-d.d『わが友ヒットラー』の舞台では、場内を二分する形で作られた細長いスロープ状のステージの突端で、アクリルの透明なケージの中に入れられて、鼠が一匹、意味深に、生きて飼われていたのだった。

 三島由紀夫の書いたこの戯曲には、登場人物に語られる形で、たしかに一匹の鼠が登場する。アドルフ・ヒットラーとその盟友、エルンスト・レームの名を半分ずつ引き受けてアドルストと呼ばれたその鼠は、二人に共有される懐かしい思い出のアイコンだ。それは輝かしい青春の日々と直結している。
 少なくとも、エルンスト・レームにとっては。アドルスト鼠の記憶を持っている事実が、ことヒットラーに関して他の誰よりも自分は優越的な立場にあるという自信を、彼に与えている。
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玉造小劇店「ワンダーガーデン」

◎不思議の庭の四姉妹 新旧三種の「二十年間」を定点観測
 金塚さくら

「ワンダーガーデン」公演チラシ 時は明治の終わり。白いバラの咲き乱れる洋館の庭。
 とある良家の三姉妹が、長女の結婚によって四姉妹になるところから物語は始まる。長女・千草、次女・薫子、三女・葉月に、千草の夫の妹・桜が実の妹同然に親しく交わるようになり、さらにそれぞれの娘たちの恋人ないしは配偶者が加わって、二十年に渡る一家のささやかなドラマを紡いでいく。明治から大正、昭和と移り変わってゆく時代の中で、舞台上ではNHK朝の連続テレビ小説のようにクラシカルな物語が展開する。
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青年団若手自主企画「不機嫌な子猫ちゃん」

◎見えるものは「男の性」 「母と娘」の世界の中に
 金塚さくら

「不機嫌な子猫ちゃん」公演チラシ 状況はひどくありふれているのだった。
 愛情という名の呪縛で娘を支配する母親と、それに反発しながらも結局のところ依存している娘。母と娘という、この永遠の確執。
 いい年をして働きにも出ず、実家で母・愛子と暮らしている市子。彼女と母親との関係は、いわゆる「友達母娘」だ。名前で呼び合い、一緒に買い物に行き、同じ服を共有する。過剰なくらいべたべたと仲良く遊ぶその一方で、しかし彼女たちは互いに互いを恨みあってもいる。娘は母親の誤った「愛情」が自分を束縛し、人生における選択の自由を奪ってきたのだと責める。母は娘が自分の愛情を理解してくれないと嘆き、同等の思いやりを返してくれないことをなじる。
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劇団扉座「新浄瑠璃 朝右衛門」

◎女の魂の遍歴を描く
 金塚さくら

「新浄瑠璃 朝右衛門」公演チラシ 江戸市中、小伝馬町の牢屋敷内にその場所はある。庭の片隅にムシロを敷いたそこを、土壇場と呼ぶ。罪人がムシロの上に据えられ、亀甲に縛める縄が下人の手によって切られると、首切り役人の持つ大きな刀がすぱりとその首を斬り落とす。首はムシロの前に掘られた穴の中に落ち、切り口から溢れた血もそこへ溜まる。死体は丁寧に血を抜かれた上で将軍の刀の試し切りに供され、戻ってこない。首は血を洗い落とされ、刑場に三日さらされた後、そのまま足元の土へ埋められ、戻ってこない。
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ONEOR8「絶滅のトリ」

◎安住の地の終わり 共振する孤独
 金塚さくら

「絶滅のトリ」公演チラシ 波の音が聞こえる。それから鳥の声。正面の大きな窓の向こうには、高い空と深い山。雄大な自然に囲まれ外界と切り離された、ここは絶海の孤島。そこには青い羽の珍鳥、オオカンチョウが棲むという。
 絶滅の危機に瀕したそのトリを、看視し保護するのが彼らの仕事である。その個体数を少しでも殖やし、滅びの恐れから遠ざけることがその施設の目的なのだという。
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岡安伸二ユニット「2008年版『BANRYU』蟠龍-いまだ天に昇らざる龍」

◎黙して花
金塚さくら

「BANRYU 蟠龍」公演チラシ目に美しい舞台であった。
開演を待つステージ上はまるで神社の内陣のようだ。暗がりの深い空間に小さな賽銭箱が置かれ、その奥にはつつましく祭壇が設えてある。とぐろを巻いて口をカッと開いた、それでいて格別の迫力があるというわけでもない小さな金色の龍の像が、祭壇の中央にちょんと鎮座していた。

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タカハ劇団「モロトフカクテル」

◎現代っ子と「あの時代」
金塚さくら

「モロトフカクテル」公演チラシ高校時代、母校の生徒手帳には「生徒会規約」ではなく「生徒会自治要綱」と書かれていた。自治、なのだ。
制服着用の義務づけはすでに撤廃が勝ち取られ、生徒は思い思いの私服で登校していた。卒業式と入学式では日の丸掲揚および君が代斉唱の強要に抵抗するのが毎年の恒例行事で、「卒業式・入学式対策委員会(卒入対)」という他校には見られない珍しい委員会が中心となり、全校生徒を巻き込んだ大討論会が開催されたものだ。中学時代はPPMやサイモン&ガーファンクルなどを好んで聴いていた私は、高校生になると日本のフォークソングも聴くようになり、物理教師の弾くギターに合わせてピアノを弾いたりして放課後を過ごした。モロトフ火炎瓶の作り方については、入学した年の新入生歓迎会で部活紹介の時間に、何部かの先輩がホワイトボードに図を描いて説明してくれた。作り方そのものは忘れてしまったものの、実話だ。

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虚構の劇団「ハッシャ・バイ」

◎始まりの場所へ-「ハッシャ・バイ」の海-
金塚さくら

「ハッシャ・バイ」公演チラシ海だ。あと一歩踏み出せば足元は溶けるように崩れ、そこは茫漠の海だ。
赤いワンピースを着て、女は波打ちぎわすれすれに立っている。ほとんど怒っているかのような厳しい無表情で、睨むほどに強く遠い水平線を見つめる。
「私は母のない国に行くのです」
海底の地下トンネルを抜けて。怒りの声にも嘆きの声にも耳を貸すことなく、絶望にだけ未来を託して。海に臨む最後の地平に、彼女は独り立つ。

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TAGTAS「百年の<大逆>-TAGTAS第一宣言より-」(前・後篇二部作)

◎「観る」とはどういう行為なのか
金塚さくら

TAGTASプロジェクト公演チラシ舞台は薄暗く、奥までほとんど剥き出しだ。装置と呼べるものは上手に立てられたパネルと、下手に据えられたダンスレッスン用のバーしかない。もうひとつ、簡素な演台が奥に置かれている。
演台の向こうに男が立つ。ヘッドホンを着けカセットテープらしきものをセットし、手元のノートに目を落として論説文のようなものをゆっくりと朗読し始める。「本当のことを話す者にとっては-」

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