◎忘れえぬ「時」が来て「作品」を生きる 公演史・劇団史・個人史の交点で
-三条会版「失われた時を求めて」の解説にかえて
後藤隆基
そしてある日、すべてが変わる――。
三条会の「失われた時を求めて~第7のコース『見出された時』~」は、こんな言葉で幕をあけた。公演からひと月が経った今なお、この一言のはらむ〈意味〉が、これほど重く感じられるとは予想もしなかった。もちろんその〈意味〉とは、原作小説の解釈などではなく、舞台をみている自分が勝手に付与していたものなのだけれど、この「ある日、すべてが変わ」ってしまうということは、三条会アトリエにいた誰もが共有しえた感覚だったのではないだろうか。もしかするとそれは、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』とはまったく関わりのない価値観である。けれども、三条会の「失われた時を求めて」にとっては、欠くべからざる価値観であったようにも思われる。とすると、それは同時に、三条会を媒介として、私たちがプルーストとつながりうる瞬間であったかもしれないのだ。
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