壱組印プリゼンツ「小林秀雄先生来る」

◎小林秀雄先生、来る!?
村井華代(西洋演劇理論研究)

「小林秀雄先生来る」公演チラシ「『玉勝間』という本の中にあるんですがね。「考える」の「か」は発語です。何も意味がない添えた言葉です。とすれば「考える」は「むかえる」だ、と言うんです。「むかえる」の「む」は「身」です。身はこの身体です、自分の体です。そして「かえる」の古語は「かう」です。「かう」って言葉は交わるって意味でしょ。だから「考える」とは、自分の身が何かと交わるってことなんです。」
これは、壱組印プリゼンツ「小林秀雄先生来る」の劇中おこなわれた小林秀雄の講演のなかにある言葉で、聞いたとき、いい言葉だと心に残ったのであるが、終演後、新宿東口の辺りのアルタやらルミネやらを眺めて、ぼんやりとうろついていると、突然このセリフが、舞台芸術そのものの核心である様なふうに心に浮かび、言葉の節々が、まるで待ちかねた出会いであったかの様に心に滲みわたった。そんな経験は、はじめてなので、ひどく心が動き、マックでメガたまごを喰っている間も、あやしい思いがしつづけた。

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Port B「サンシャイン62」

◎陽光と昔日 ~豊島区サンシャイン百景の旅
村井華代(西洋演劇研究)

「サンシャイン62」公演チラシPort Bの「ツアー・パフォーマンス」第3弾、『サンシャイン62』である。一昨年の『一方通行路 ~サルタヒコへの旅』では巣鴨地蔵通り商店街を、昨年の『東京/オリンピック』では「はとバス」で新旧東京の様々な “戦場”を旅した。今回は、メトロ東池袋駅の上にある劇場「あうるすぽっと」から5人一組で出発し、地図とタイムスケジュールに従って池袋サンシャイン60ビル周辺に散在するポイントを移動、再び出発点に戻ってくるという手筈である。

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ONEOR8「ゼブラ」

◎柿とシマウマのあるトワイライトゾーン
村井華代(西洋演劇理論研究)

「ゼブラ」公演チラシ素直に気持ちのよい舞台。
舞台芸術学院演劇部本科の同期卒業生8名による劇団ONEOR8(ワンオアエイト)。脚本・演出を手がける田村孝裕によれば、創設10年目を迎えて劇団の代表作がないのに気づき、この『ゼブラ』を代表作にするべく再演したのだとか。ついでに特に決めてなかった劇団代表も、「唯一2tトラックを運転できる」という理由で俳優の恩田隆一になったとのこと。キャラクターのいい劇団である。開演前にスタッフが「途中でご気分等悪くなったお客様は、お近くにいらっしゃる係の者に」と訳のわからないことを叫んでいたのも、それらしくて味わい深いと言えなくもない。

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流山児★事務所「オッペケペ」

◎日本「近代」新演劇、新劇に非ずや
村井華代(西洋演劇理論研究)

「オッペケペ」公演チラシ流山児★事務所を特に追いかけているわけではない。が、批評を求められても何も出てこない再生産性ゼロの舞台も少なくない中、流山児★事務所の作品は企画自体が興味深く、こういう次第の作品を流山児がやる、と聞くと「見たい」と思うことが多い。「流山児★ザ新劇」と銘打たれた今回の作品もそんな調子で見に行った。

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サシャ・ヴァルツ&ゲスツ「Koerper ケルパー(身体)」

◎器官としての身体から私である身体へ
村井華代(西洋演劇理論研究)

「Koerper ケルパー(身体)」公演チラシサシャ・ヴァルツについては、どうしても思い出話から始めてしまう。
初めて見たのは2001年のベルリン。ヴァルツがトーマス・オスターマイヤー(2005年世田谷パブリックシアター『ノラ』『火の顔』で来日)と共に芸術監督を務める劇場「レーニン広場のシャウビューネ」での『17-25/4 [Dialoge 2001]』だった。現れては消えるダンサーらに導かれて観客が劇場周辺を一周するパフォーマンスである。劇場の中庭、屋上、空、隣接する公園、通りをまたいだプジョー代理店の半地下ガレージ、車、劇場前の並木、バス停-ダンサーの身体によって無限の不思議世界と化した日常風景は、360度とても幸福に見えた。以来、ベルリンという都市の記憶は、私には彼女の作品と分かちがたい。

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TPT「エンジェルス・イン・アメリカ」

◎わたしたちの中に、今ではもう不可能になったあの旅が
村井華代(西洋演劇理論研究)

TPT「エンジェルス・イン・アメリカ」公演から
【写真撮影◎島田麻未 ©TPT】

国家的イデオロギーが個人のセクシュアリティを侵し爆発する。天使は聖処女ではなくエイズを発症したゲイ青年を訪れる。預言の書はキッチンの床下に隠されている。
トニー・クシュナーを一躍20世紀アメリカを代表する劇作家に仕立てた『エンジェルス・イン・アメリカ』(第1部:1991、第2部:1992)。人間の生臭い心身を舞台に、実に様々な次元が交錯する姿が描かれている。ユダヤ人同性愛者という十字架を背負ったクシュナーにとって、個人の憐れな肉体が巨大な国家的・宗教的イデオロギーに蝕まれるというのは、しごく具体的で日常的な自覚であるように思える。
近代的制度の中で平和に生きる「普通の」人間なら気づきもしない警告が聞こえるのは多分不幸なことだ。しかし、だからこそ性的・民族的・国家的マイノリティは現代演劇においては預言者を演じうるのであり、またそうなる運命にあるのだろう。

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「浮力」(作・演出 北川 徹)

◎今、欲しいのは浮く力。次に欲しいのは、
村井華代(西洋演劇理論研究)

「浮力」公演プログラム1999年以来、(財)地域創造と東京国際芸術祭(TIF)が続けてきたリージョナルシアター・シリーズ。「東京以外の地域を拠点に活躍し、地域の芸術文化活動に貢献している若手・実力派劇団を紹介する企画」(公演パンフより)である。これまでは複数の地方劇団の出張公演のような形だったが、今年度は企画を一新し、「リーディング部門」と「創作・育成プログラム部門」の二部門制となった。前者に参加した団体の中から特に選ばれた一名の作家もしくは演出家が、後者において翌年度TIFでの舞台上演のスカラシップを受けることができるという仕組みだ。俳優やスタッフは在京劇団の中から招集、しかもベテラン演出家がアドバイザーとして後方支援してくれるという。(財)地域創造とTIFは「より質の高い創造的な演劇と芸術文化環境づくりを地域で推進し、全国に発信していくために」(同上)方針を一新したとのこと、それにしても選ばれた当人にとっては夢のチャレンジだろう。

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Port B「雲。家。」

◎他者、他者、どっちを向いても-現代日本へ、Port Bのメメント・モリ
村井華代(西洋演劇理論研究)

Port B「雲。家。」公演チラシ日本にも、このような舞台をつくる人々が現れたのか。
1969年生まれ、90年代後半ドイツで演出を学んだ高山明の率いるPort B は2002年旗揚げされた。今回初見である。東京国際演劇祭参加作品『雲。家。』は、エルフリーデ・イェリネクの1988年の戯曲Wolken. Heim.の日本初演。ノーベル文学賞受賞者イェリネクについては、ここで詳述する必要はないだろう。演劇作品からも現在まで3作が邦訳されているので、劇作家イェリネクについてもそちらを参照して頂きたい(末尾にリンクあり)。そもそも、Port B の今回の公演は、イェリネクに基づきながらもこれを意識的に逸脱しているので、イェリネク本人に拘泥している余裕がない。むしろPort-B が書き上げた、自分たちの、現代日本の新たな上演テクスト、その見事な演劇的「展開」こそ評されるべきだろう。

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流山児★事務所「浮世混浴鼠小僧次郎吉」

◎相対化された「子之刻」=日本の「ゼロ時間」
村井華代(西洋演劇理論研究)

「浮世混浴鼠小僧白き地」公演チラシ今回の流山児★事務所公演は佐藤信の1970年の戯曲『浮世混浴鼠小僧次郎吉』である。演出は流山児★事務所五度目のゲスト演出となる天野天街。社団法人日本劇団協議会の「次世代を担う演劇人育成公演」枠の公演でもあり、事務所のアトリエSpace早稲田開場10周年記念公演第二弾にも当たる。流山児祥によれば、Space早稲田は、この戯曲が初演された「アングラ」発祥の地・六本木アンダーグラウンドシアター自由劇場の当時の空間に「そっくり」なのだそうだ。

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パラダイス一座「オールド・バンチ  男たちの挽歌」

◎真の主役は「演劇愛」 温かさに包まれた一座の船出
村井華代(西洋演劇理論研究)

「オールド・バンチ 男たちの挽歌」公演チラシ流山児★事務所の『狂人教育』を観に行ったら、にわかには信じられないようなチラシが挟まっている。キャスト・戌井市郎、瓜生正美、中村哮夫、肝付兼太、本多一夫、高橋悠治。映像出演に観世榮夫、岩淵達治。箔つきの大御所ばかりではないか。この人々が高齢者劇団「パラダイス一座」を旗揚げし、山元清多のホンで共に12月、演出・流山児祥でスズナリの舞台に共に立つのだという。しかもチラシ写真と題字がアラーキー。美術は妹尾河童と書いてある。

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