◎柿とシマウマのあるトワイライトゾーン
村井華代(西洋演劇理論研究)
素直に気持ちのよい舞台。
舞台芸術学院演劇部本科の同期卒業生8名による劇団ONEOR8(ワンオアエイト)。脚本・演出を手がける田村孝裕によれば、創設10年目を迎えて劇団の代表作がないのに気づき、この『ゼブラ』を代表作にするべく再演したのだとか。ついでに特に決めてなかった劇団代表も、「唯一2tトラックを運転できる」という理由で俳優の恩田隆一になったとのこと。キャラクターのいい劇団である。開演前にスタッフが「途中でご気分等悪くなったお客様は、お近くにいらっしゃる係の者に」と訳のわからないことを叫んでいたのも、それらしくて味わい深いと言えなくもない。
『ゼブラ』という題から余り想像がつかないが、一種のお葬式物である。葬儀に使う鯨幕の黒白縦縞を、シマウマに見立てている。伊丹十三の『お葬式』といい、1993年岸田賞の柳美里の『魚の祭』といい、現代日本のお葬式は映画・演劇の優秀素材だ。家族の姿を短時間に凝縮して見せることができる上、遺族は悲しみの傍ら葬儀屋さんにすがって伝統的慣習をクリアしてゆかねばならず、傍目にはこれ以上の喜劇的状況はない。お葬式の伝統文化を誇る韓国にもイム・グォンテク監督の忘れがたい映画『祝祭』などがあったが、現代日本のお葬式物はまた独特の滑稽と悲哀と温もりがある。
さて、舞台は現在長女35歳、末妹27歳という年齢になっている手塚家の四姉妹を中心に展開する。父親は22年前に愛人と出奔。以来、母親(和田ひろこ)が女手一つで娘たちを育ててきたが、その母は現在病院で末期ガンの床にあり、家にはいない。
長女の康子(弘中麻紀)は、嫁いで家を出ている。子供もあるが、夫の由起夫(瓜生和成)は最近若い女・所(富田直美)と浮気している。太めでいつもダイエットしている次女の薫(星野園美)は梨田(平野圭)という婚約者があり、家を出る日も近いが少々マリッジ・ブルー気味。三女奈央(今井千恵)は、大好きだった父親に捨てられてコンプレックスを抱えており、結婚せず家に留まっている。ややヤン気味の四女美晴(吉田麻起子)は既婚で妊娠中。車とパチンコが趣味である夫の早川(富塚智)のため、実家の近所に住むポン(恩田隆一)に密かに金を借りている。美晴を昔から慕うポンは、彼女が自分に心を移していると勝手に思い込んでいるが、美晴にとってのポンは少しおかしな幼馴染でしかない。
そんなある日、手塚家に「柿沼葬祭」を名乗る二人の男が訪ねてくる。聞けば、母親が彼らのところで自分の葬儀を生前予約していたのだという。娘たちは隠してきたつもりだったが、母親の方では自分の余命が長くないととうに知っており、家族に内緒で自分の葬儀一切の準備を済ませてしまっていたのだ。驚く一同、そして病院からの一本の電話……。
父親が家を出て行った1970年代の手塚家と、現在の手塚家を行ったり来たりしながら舞台は進む。が、そんな時間の隔たりなど何でもないかのように、この手塚家の茶の間の姿が今も昔もまったく変わらないのがいい。かつて少女だった四姉妹はいい年の大人になったものの、サントリーオールドの鎮座する茶箪笥、木のビーズでできた暖簾、暖簾越しに見える台所、ぶら下がるタオル、すべて70年代そのままである。つい歌ってしまうのは松田聖子。「あるある」などと懐かしく舞台を眺めたが、確かに、実家というのは一種のトワイライトゾーンだ。どこも変わらない空間と、過ぎてしまった時間の両方が当たり前のように共存している。
俳優陣は、総勢12名のうち5名が客演だが、みな達者で、身の丈に合った役柄を楽しそうに演じている。劇作家自身による演出とのバランスがよい。台本の台詞だけ見ても人物のありさまが余り判然としないが、演出された俳優の演技を通して初めて鮮やかにわかる仕組みになっている。必然的に人物像は舞台で数倍豊に膨れ上がる。その膨らみ部分がとても面白いのだ。
例えば、薫の婚約者の梨田は台詞の字面だけだと性格がいまひとつ不明だが、平野が舞台で演じて初めて、まったく憎めない直球青年として立ち上がる。
早川「もう、いいっすかね? 静かにしてもらって」
梨田「わかった。静かにする」
-と書かれてあっても、さして面白い場面とは読めないが、平野演ずる梨田はニコニコしながら口チャックする。珍しいタイプだが、こういう人かと何となく納得できる。
しかし何と言っても絶品なのは葬儀屋の柿沼兄弟だ。兄の紳一郎(津村知与支)は最近保険会社から転身したばかりで、葬祭業なのに保険勧誘の媚びた態度が抜けない。しっかり者の弟・謙二郎(野本光一郎)は、そんな兄をフォローしながらも苦りきっている。津村と野本はとても兄弟には見えないが、この二人の演ずる兄弟が実に生き生きしていて面白い。
手塚家の母親が亡くなり、手塚家の茶の間には(必然的に劇場全体に)線香の匂いが立ちこめている。そこに新たなトラブルが。ポンが「美晴が子供を下ろした」と騒いでいる。実際は、ポンに金を借りようとした美晴が、中絶するので金が必要だと嘘をついたにすぎなかったのだが、当然のごとく家族一同凍りつく。と、そこでいきなり康子と葬儀の打ち合わせを始めようとする柿沼兄。「くぅうううぅき、読めよ!!!!」 二人になるのを待って弟が言う。「空気読めよ」もこのくらい強調されると清々しい。
その後も、柿沼兄の“使えなさ”が観客を笑わせる。電話で火葬場の日程を確認する際、弟に何度も「22日まで聞けよ」と言われたにも拘らず、遺族と打ち合わせの最中「22、どうなってた?」ときかれると「あ、いや、まだ」……言葉にならない弟の視線。さらに極めつけに、柿アレルギー(?)なのに出された柿を無理して食べ、兄は手塚家の廊下で豪快に嘔吐してしまう。今日仏様が帰ってきたばかりの家だというのに……必死で掃除する弟。次々にもらいゲ○してしまう家人たち。観客も大ウケしながら半分もらいかける。
開演前の叫びはこれを言わんとしたものかとようやく了解したが、それにしても、ここまでひどいかどうかは別として、この手の“使えない”同僚や部下、あるいは発注先の業者に、客に、本気で殺意を催している人は今の世の中決して少なくはないだろう。しかし、こんなふうに舞台で再現されるとそんな人々もやたらにいじらしく、可愛らしく思え、ヤマアラシのようになった気分も少し優しくなる。
笑いでない部分の演出も光った。美晴が中絶は借金のための嘘だったと早川に打ち明ける場面。何のための金かときいたら、早川の趣味の車だと言う。「車買ったらパチンコやめるって言ったじゃん? でもやめてねーし」……うつむく妻を見て、早川は吸っていた煙草を消し、煙をあおいで窓の外に出す。これはト書きにも指定されてない動きだが、この男もついに父親としての責任に目覚めたのだろう。存外いい父親になるかもしれぬ、と観客を一瞬で丸め込んだ好演出である。
奈央が母親の死を一人で見つめる場面も、奇を衒った演出ではないのに、意外なほど鮮やかな印象を残した。母の亡くなった夜、現在の奈央が22年前の母を見つめている。母は小学生の奈央が描いたシマウマの絵が金賞をとったと喜んでいる。シマウマは、亡くなった人を天国に連れてゆく神の使いだ、だから崇高な動物なのだと母は娘に言う。黙って聞いている現在の奈央。
母「(絵を眺めて)はぁー…ほんと嬉しいな、ママ」
台本のテクストはそれだけだが、舞台の母は、シマウマの絵に頬をぴったりつけて子供のように笑っている。絵のシマウマに送られて、本当に母親は天国に行ってしまったのか。茶の間のトワイライトゾーンに、永遠の時間への扉が開かれている。
ふと、大野一雄がドイツZDF制作のドキュメンタリーで語っていた馬の話を思い出した。この世とあの世の橋渡しをする、やせて年老いた馬。その背に、死者と生者が共にまたがっている。死ぬと天国へ続く道か地獄へ続く道か、二つの道のどちらかを行くのだと人は言うが、実は道は一つしかないのだと彼は言った。その道を、人々を乗せて馬がゆく……
不思議な符合だったが、明確な宗教的死生観のない日本人にとって、本当に救いが必要なのは、先立つ方よりも残された方かと思う。ドタバタした葬式の合間に、ふとした沈黙が訪れると、去ってしまった人の不在と、置いていかれた自分を、もうどうしようもなく持て余す。誰もが知るそんな感慨を和らげるために、芸術や物語や儀式や迷信や、死者を甦らせる俳優や踊り手の身体などというものが、いつも必要になるのだろう。
終演後、「オフクロが今入院してるんだ。今日の見たら、親孝行しなきゃって」と話す若い男性を見かけた。それで十分に、この舞台は成功していると言えるのだろう。
演出もうまいが、劇作に関しても評価されてよい。物語の最後に、皆が去り、奈央とポンが孤独のまま残されるのは冷徹な選択だが、構造的に正しい。この二人だけが、立場は違うが他人との交わりに不器用すぎ、孤独に落ちるべくして落ち込んでしまう悲しい宿命を負っているのだ。だからこの二人だけが残されるというラストには説得力がある。
ただし、どうかと思う点もないではない。男性の人物像に比べると、やや女性の人物像の描写が曖昧に見える。例えば借金のためとはいえ、産むつもりの初めての子供を中絶するなどと嘘をつく女性は考えにくい。それに22年前、自分の浮気で父親出奔の原因を作ったという母、夫の浮気相手を実家に呼び出す康子、そして家族の絆を見せられて「私、ちょっと、やられちゃった」と引き下がる不倫相手の所嬢。彼女らは一体どういう女性で、なぜそういう行動に出たのか、少々とってつけたように感じる。それを「人間、そんなこともある」と不詳のまま残すのも手だが、不詳が人物の深みとして匂い立つようになればもっとよい。(11月10日観劇)
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド第72号、2007年12月12日発行。購読は登録ページから)
【筆者略歴】
村井華代(むらい・はなよ)
1969年生まれ。西洋演劇理論研究。国別によらず「演劇とは何か」の思想を扱う。現在、日本女子大学、共立女子大学非常勤講師。(『現代ドイツのパフォーミングアーツ―舞台芸術のキーパースン20人の証言』(共著、三元社、2006)など。
・wonderland 寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/murai-hanayo/
【上演記録】
ONEOR8公演「ゼブラ」(再演)
新宿 THEATER/TOPS(2007年11月2日-11日)
作・演出 田村孝裕
CAST
弘中麻紀(ラッパ屋)
星野園美(石井光三オフィス)
今井千恵
吉田麻起子(双数姉妹)
瓜生和成(東京タンバリン)
冨塚智
平野圭
冨田直美
恩田隆一
和田ひろこ
野本光一郎
津村知与支(モダンスイマーズ)
料金 全席指定席 一般 前売 3200円 当日3500円
初演(第18回公演)新宿THEATER/TOPS(2005/10/12~17)
【関連情報】
・田村孝裕インタビュー(「悦史の部屋」)