Produce lab 89 presents 「官能教育 藤田貴大×中勘助」

◎受苦と繋がれるわたしたちの回路
 鈴木励滋

 藤田貴大は間違いなくこの国において現在最も演劇に愛されている青年のひとりであろう。彼が主宰する「マームとジプシー」は昨年、ほぼふた月に1本という何かに憑かれたかのようなペースで作品を世に送り出した。どれもが多くの人たちから高く評価をされ、演劇評論家の扇田昭彦は『塩ふる世界。』を朝日新聞の年末恒例「私の3点」に選出したほどであった。(註1)

 今年もますます演劇界においてもて囃され、彼もまた期待に十二分に応えていくのであろう。この点において疑義を呈する気は毛頭ないのであるけれども、だがしかし、どうもその辺りにわたしはあまり興味がない。それは、わたしが彼の行為を演劇という枠に納まらないものなのではないかと考えていることとも関係している。とはいえ、ここではダンスや映像という別ジャンルの表現への越境という話ではなくて、思想とか生きざまといった方への広がりのことを思い浮かべている。そして、そういう物言いをする際に、わたしの中で劇評家というよりも日々地域作業所で障害がある人たちとの活動という“実践”をする者としての自分を意識せざるをえない。
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パパ・タラフマラ ファイナルフェスティバル

◎舞台は続く
 志賀信夫

ファイナルフェスティバル公演チラシ
ファイナルフェスティバル公演チラシ

 第三世代
 この1月、第三舞台が解散した。活動休止(封印と称す)していたが、10年ぶりに最終公演『深呼吸する惑星』を行って、遂に解散に至った。そして今回、パパ・タラフマラが解散するという。
 唐十郎、寺山修司、佐藤信、鈴木忠志、瓜生良介(発見の会)などのアングラ(前衛)第一世代、つかこうへい、太田省吾など団塊の第二世代に続き、「第三世代」といわれ、小劇場の旗手ともてはやされたのが、野田秀樹の夢の遊眠社、川村毅の第三エロチカ、鴻上尚史の第三舞台だった。筆者と同じ昭和30年代始めに生まれ、当時「遅れてきた世代」、「三無世代」ともいわれたのは、70年代安保、新左翼闘争にのめり込んだ団塊の次の世代だからだ。
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パルコ・プロデュース公演「90ミニッツ」

◎葛藤と沈黙と、揺さぶられる心
 永岡幸子

「90ミニッツ」 公演チラシ
「90ミニッツ」 公演チラシ

 あれは砂?
 砂時計?
 いや、違う。水だ。

 芝居が始まると、舞台前方中央から、ひとすじの糸のようなものが落ちてきた。途切れそうで途切れない、か細い糸が舞台上の床へと落ち続ける。
 照明がつく直前に鳴っていた効果音が時計の秒針音だったところから咄嗟に砂時計を連想し、これから90分間という時を刻む砂が降っているのかなと思ったのだが、役者二人が台詞を発せず沈黙がうまれた瞬間、水の流れる冷ややかな音が耳に飛び込んできた。舞台装置の一環として本物の水を使用すること自体は珍しくはない。池や水路に見立てて水を張る、大雨が降り注ぐといった使われ方はしばしば見かける。しかし、このように流れ落ちる水を見たのは恐らく初めてだ。そして、この水が生む効果に、終盤わたしは吃驚することになる。
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十七戦地「百年の雪」(クロスレビュー挑戦編第22回)

 十七戦地は座長の北川義彦と作・演出の柳井祥緒らが中心になって結成。「現実と幻想の激しい攻めぎ合いを描いて『世界の生態』をつかみ取る作品を上演」(劇団サイト)するという。昨年(2011年)7月の旗揚げ公演『花と魚』の台本が、今年の劇作家協会新人戯曲賞を受賞。期待の高まる第2回公演でした。レビューは★印による5段階評価と400字コメント。到着順の掲載、各レビュー末尾の括弧内は観劇日時です。(編集部)

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地点×KAAT「トカトントンと」

◎トカトントンとドカドカドン
 岡野宏文

「トカトントンと」公演チラシ
「トカトントンと」公演チラシ

 虎は死んで皮を残す、人は死んで名を残す、などということを世間では太平楽な顔をして嘯いたりするわけだが、これは嘘だ。
 といったって、せいぜい犬ばかりを飼ったことがあるくらいで内澤旬子女史のごとくかわいがって育てた豚の子をみずからの手でつぶして食するなんて芸当のできる動物好きでなし、虎のことは分からぬのだ。人である。人が死んで残すのは言葉である。もっといえば人は死して言葉だけしか残さぬ動物なのである。
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ルーマニアの演劇祭Temps d’Image Festival

◎表現の自由を獲得したルーマニア演劇
 岩城京子

 「ルーマニアでは若手演劇作家が突然 “出世” することはない」と、現地劇評家ユリア・ポポヴィチは語る。なぜならこの旧共産主義国では、新たな才能を育成するためのエリート・ルートが良きにつけ悪しきにつけ国家により定められているからだ。「ルート」-すなわちこの国では1977年から現在に至るまで「一流の」演劇人を志すものはみな、22年前まで国内唯一の高等演劇教育機関であった国立ブカレスト映画演劇大学への「入学許可証」を得る必要があるのだ。
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クロスレビュー挑戦編3月公演

◎京都ロマンポップなど3公演

 クロスレビュー挑戦編3月公演は大小6団体から応募があり、公演資料、日程や再応募などの条件を考慮して次の3公演に決まりました。レビューは★印による5段階評価と400字コメントです。公演最終日の翌日が締め切り。みなさんの応募を歓迎します。
京都ロマンポップ「ミミズ50匹」(3月1日-3日 ART COMPLEX 1928)
サイバー∴サイコロジック「掏摸 -スリ-」(3月14-18日 下北沢OFF・OFFシアター)
パセリス第九回公演「あたりまえのできごと」(3月15日-20日 王子小劇場)
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劇団うりんこ「お伽草紙/戯曲」

◎虚実は糾える縄の如し
 山崎健太

「お伽草子/戯曲」公演チラシ
デザイン=京(kyo.designworks)

 「嘘から出た真」という言葉があるが、嘘(=虚構)は真(=現実)の中で作られるものでもあり、嘘と真の関係は卵と鶏の関係に似ている。卵が先か鶏が先かという議論は措いておくにせよ、卵が鶏から生まれる以上、卵が鶏よりも小さいことは自明である。では、現実の中に孕まれる虚構もまた、現実より小さなもの、現実を縮小再生産したものでしかないのだろうか。答えは否である。産み落とされた卵がやがて親鳥へと成長するように、虚構もまた、新たな現実を生み出す可能性をその裡に秘めているのだ。
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劇団鹿殺し「青春漂流記」

◎振り返るな、青春を走り続けろ
 福原 幹之

「青春漂流」公演チラシ
「青春漂流」公演チラシ
(写真:江森康之)

 東京千秋楽。開演の14時ぴったり。上手から劇団員が走り出て一列に並んだ。様子がおかしい。菜月チョビが口を開いた。
 「機械トラブルで音が出なくなりました。台詞が聞こえないような大音量でやっているので、機材を取り換えるために開演時間を1時間遅らせて下さい」

 そういえば、10分程前に流れていた徳永英明の歌が途中でプツっと切れたままだ。20年前にヒットした曲だ。会場は観客の話し声だけが響いていた。菜月さんも相当焦っていたはずなのに、時間がなくて観られなくなってしまう人にお詫びを言ったあと、「もう体はあったまって準備は万全ですが、さらにアップしてキレの良い演技をしたいと思います(笑)」と場を和ませた。紀伊國屋書店の中にあるので、時間つぶしには困らないが、毎回配られる劇中曲の歌詞カードを見るのもいいだろう。この歌詞カードは、鴻上尚史が毎回手書きの「ごあいさつ」のコピーを配るようなもので、観客の楽しみのひとつになっている。
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激情コミュニティ「つぎ、待ち」(クロスレビュー挑戦編第21回)

 激情コミュニティは主宰の垣本朋絵と兼桝綾によるユニット。垣本が早稲田大学演劇倶楽部に所属していた2009年に旗揚げ。「言葉じゃなければ表現できないことと言葉に出来ない表現を探求することを目的」(公式HP)とし、言葉と体を結びつけた「身体性の高い会話劇」を目指してきたそうです。
 銀河鉄道999を下敷きにした今回の「激情コミュニティ流”回顧”と”前進”と、成長の物語」はどんな展開を見せたのでしょうか。レビューは★印による5段階評価と400字コメント。到着順の掲載、各レビュー末尾の括弧内は観劇日時です。(編集部)

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