パルコ・プロデュース公演「90ミニッツ」

◎葛藤と沈黙と、揺さぶられる心
 永岡幸子

「90ミニッツ」 公演チラシ
「90ミニッツ」 公演チラシ

 あれは砂?
 砂時計?
 いや、違う。水だ。

 芝居が始まると、舞台前方中央から、ひとすじの糸のようなものが落ちてきた。途切れそうで途切れない、か細い糸が舞台上の床へと落ち続ける。
 照明がつく直前に鳴っていた効果音が時計の秒針音だったところから咄嗟に砂時計を連想し、これから90分間という時を刻む砂が降っているのかなと思ったのだが、役者二人が台詞を発せず沈黙がうまれた瞬間、水の流れる冷ややかな音が耳に飛び込んできた。舞台装置の一環として本物の水を使用すること自体は珍しくはない。池や水路に見立てて水を張る、大雨が降り注ぐといった使われ方はしばしば見かける。しかし、このように流れ落ちる水を見たのは恐らく初めてだ。そして、この水が生む効果に、終盤わたしは吃驚することになる。

 医師「承諾書にサインを」
 父親「輸血なしで手術を」

 登場する二人の男の主張は、一貫してこれである。
 父親は手術をしてほしいが、輸血だけはなんとしても避けたい。
 医師は承諾書にサインをもらえないと手術を行えないので、なんとしてもサインをしてほしい。
 現場にいる担当医によると、このまま手を施さなければ、手術さえすれば助かる命はあと90分ほどで危機的状況に陥るという。タイトルそのままの90分間が、リアルタイムで舞台上と客席を流れていく。

 物語の舞台は、とある病院内の一室。整形外科の副部長である医師(西村雅彦)のところへ、患者の父親(近藤芳正)がやってくる。患者はバイクにはねられて重傷を負った9歳の少年だ。父親は、手術にあたっての承諾書にサインすることを拒んでいる。現場から父親の説得を依頼された医師は、父親に対して説明を繰り返し、サインを促すも受け入れられず、両者の会話は平行線のまま時間だけが過ぎていく。

 患者親子が住む地域では、長年にわたり伝えられてきた〈教え〉を遵守しながら暮らしているという。地域の住人たちは、他者の肉を体に入れることを禁じる〈教え〉にしたがい、肉や魚をいっさい摂らない。そして、他者の肉を体に取り込むことと同義である(と住人達は考えている)輸血を受け入れない。父親は、ひどい怪我で多量に出血している息子を見て手術の必要性は理解したが、輸血するなら手術はできないと言う。

 頑として輸血を拒み、承諾書にサインをしない父親。だが、その根拠となる〈教え〉は、実に曖昧な印象だ。手術をよしとしないのだから現代医療全般を拒んでいるのかと思いきや、予防接種は受けているというし、弟の嫁はレーシックの手術を受けたのだという。肉や魚は摂らないが、牛乳は昔から飲んでいるという。

 そうした信仰を持たず、またベジタリアンでもなく、父親とは境遇があまりにもかけ離れているわたしは、心の中で「おいおい、輸血はできないのにレーシックはOKって、なんだよそれ!」「肉は食べちゃダメで牛乳は飲んでいいって、どういうことよ!」などと突っ込みを入れまくっていたのだが、そうした観客の心の声を代弁するかのように、医師は「なぜ」と父親に問う。ただ、傍観者であるわたしが無責任に突っ込むのとは違い、医師は〈教え〉が理解できないと否定するのではなく、根拠が曖昧な信仰の解釈をどうにかして自分の側に引き寄せようと努め(少なくとも表面上は)、輸血の必要性を訴え、父親にサインをするよう繰り返し促す。初めは穏やかに、時には声を荒げて、どうにか父親を諭そうと努めるのである。しかし父親は「それがわたしたちの〈教え〉なのです」と突っぱねる。医師への返答に詰まると携帯を取り出し、自宅にいる妻に電話をかけて援護射撃をしてもらう。この妻は、夫には医師に向けて屁理屈を言うための知恵を与え、医師に対しては自ら調べあげた輸血による感染症のリスクを主張して、ひたすら輸血を拒否し続ける。挙げ句、父親は息子が手術せずに死んだとしても「運命なのかもしれない」などと言い出す始末。これでは医師も取りつく島がない。父親の考え方がまるで理解できなかったわたしは、途中からは突っ込みを入れる気も失せてしまった。

 承諾書へのサインを拒否する理由が輸血にあると知ったとき、冒頭でスクリーンに映された文章を思い出し、実在の輸血拒否事件に着想を得た話であることに気付いた。スクリーンの文章は「この物語は実際の事件を基にしているが、特定の個人、団体や思想を誹謗、中傷するものではない」といった主旨であった。訴訟を恐れてのエクスキューズと推察するが、この作品が輸血拒否の是非を問うものではなく、異なる環境で暮らし、異なる倫理観を持つ者たちがどのように対話し、どのように問題に対処するかを描くものだと観客が気付くまでに、そう多くの時間を要さないだろう。医師が説得にあたり父親がそれを拒む、端的に言えばそれだけで会話が進行するが、中盤以降は両者の均衡が刻々と変化していくからだ。

 患者を助けることが医者の義務という医師に対し、父親は「それはあんたのエゴだ」と言い放つ。息子の容体悪化を知り輸血をようやく承諾するも、承諾書にサインはできないと主張し、「わたしに黙ってやった体(てい)で」手術しろと要求する。そして、承諾書にサインがないと手術はできない、勝手に手術すれば訴訟を起こされる、患者と裁判沙汰になりたくないと医師が及び腰になると、「あんたのせいで息子は死ぬんだ」と逆ギレする。とんだモンスターペイシェントだが、両者の会話を聞くうちにこちらの価値観までもがぐらついてきて、正しいのは果たしてどちらなのか、そもそも正しい答えなんてこの問題にあるのかと考えがめぐるようになる。

 医師は恥ずかしい話だと前置きした上で、自分が教授への昇進を目前に控えており、ここで患者と裁判沙汰になるのは困る、ようやくめぐってくるチャンスを逃すわけにはいかないという思いがあったと吐露する。この医師は使命感をもって少年を救おうとしているのだと思いこんで見ていたのがここで崩れ、ああ、医者だって普通の人間なんだなと気付かされる。

 父親は父親で、輸血を拒否するのは〈教え〉を守るためと言いながら、〈教え〉を守らなければならない共同体で生活しているが故に世間体を気にしており、周りの目があるから輸血できないというのが本音のようである。互いの倫理観の相違で対立が起こっているはずなのに、その裏側には互いのエゴも潜んでいるのだ。

 両者の主張はずっと平行線をたどるが、患者(息子)を助けたいという思いだけは一致している。そのことを象徴的に示すのが、救急センターからの電話を待っている間、二人が並んで椅子に腰をおろすシーンだ。

 椅子に座っていても落ち着かない様子の父親は、左手で膝のあたりをさすり続けている。父親の心中を察した医師が隣に腰かけ、その手を握る。すると父親も手を握り返す。二人は手をしっかりと握りあったまま電話を見つめ、互いの子供のことなど話しながら電話を待つ。

 この瞬間、二人は同じ方向を見つめ、同じことを思っていたに違いない。手を握ったままの二人を見つめながら、どうかこのまま二人が同じ方向へ進み、患者を助けるための最善の道を選択してくれますようにと願わずにいられなかった。

 だが、電話が鳴るとたちまち手は振りほどかれ、再び彼らはそれぞれの立場に戻ってしまう。そして彼らが不毛な押し問答を続ける中、少年の容体は徐々に悪化していく。

 少年がいよいよ危篤に陥る寸前、父親が説得に応じる見込みがないとみた医師は「申し訳ないが、わたしにも家族がある。人生がある。すべてを棒に振るわけにはいかないんだよ」と吐き捨てるように告げる。このセリフの冷たさと鋭さに、思わずハッと息を飲んだ。西村雅彦という俳優が、実は鋭い演技にも長けているということを、わたしは長らく忘れていたのだ。

 西村が『彦馬がゆく』(再演/1993年)で演じた坂本龍馬は、登場してしばらくの間はどこにでもいそうな浪人者といった風情であったが、交際相手を裏切り、彼女の兄をピストルで撃つ場面になると、見る者の背筋が凍るような、おそろしく冷酷な男に豹変したのである。この変貌ぶりを見たときにも息を飲んだことを、今作で懐かしく思い出した。『笑の大学』(1996年)でもそうした冷酷さを垣間見ることができたが、その頃よりもさらに経験を重ねたことにより、苦渋や悲哀といった陰影がセリフや表情からにじみ出るようになり、役が深みを増した。東京サンシャインボーイズ時代は実年齢より年配の男を演じる機会が多く、若くして中年の渋みを演技に求められていたのだから、50歳を過ぎた今、ようやく、三谷幸喜が求める役柄の年齢に実年齢が追いついたとも言えるだろう。近年の舞台はコメディが多い西村だが、こうした鋭さをもつ役柄に今後も挑んでほしい。

 終盤、内線電話が入る。医師が「息子さん、危篤状態になりました」と父親に告げる。すると直後、それまで流れ落ちていた水がぴたりと止まる。
 沈黙と静寂。立ち尽くす二人。背筋がゾゾゾッと凍るような感覚。
 実際の時間はほんの十数秒ほどだったのだろうが、気が狂いそうなほど長い時間に感じられた。わずかな間の沈黙に、心が大いに揺さぶられた。

 沈黙を破ったのは医師だった。現場に内線電話をかけ、責任はわたしが取るから手術を始めるようにと指示を出す。己の保身と昇進のために問題を起こしたくないと言っていた医師に行動を起こさせたのは、やはり「医者としての良心」だったのだろう。

 一時は危篤状態となった少年の手術は成功したのか、患者の両親は訴訟を起こすのか、物語はその先を描かずに終幕となる。後味のよい終わり方ではなかったが、医師が最後の内線電話をかけたあと、水が再び流れはじめたことにわずかながら救いを感じることができた。あの水は少年の身体から流れ出た血であり、少年の命でもある。そして、姿の見えない三人目のキャストでもあったのだ。

 ところで、この作品は場面転換も暗転もなかったが、効果音や音楽もほとんど使用されていなかった。開演前には何かしらBGMがかかるものだが、それが一切なかったことにまず驚いた。上演中も水の音と電話の着信音のみ、カーテンコールにバッハの楽曲がかかっていただけであった。それなのに、上演中に効果音やBGMがないことに気付くのにしばらくかかるほど、俳優二人の演技を見つめることに没頭できていたのも新鮮な驚きだった。舞台装置や照明も最低限のものに絞り込まれており、極めてシンプルであるのに美しかった。余分なものを可能な限り削ぎおとしたスタッフの仕事にも拍手を送りたい。

【筆者略歴】
 永岡幸子(ながおか・さちこ)
 社会人学生。大阪芸術大学短期大学部通信教育部広報学科に在籍中。

【上演記録】
パルコ・プロデュース公演「90ミニッツ
東京公演 2011年12月3日(土)-30日(金) パルコ劇場
追加公演 2012年2月9日(木)-19日(日) パルコ劇場

北九州公演 2012年1月6日(金)-8日(日) 北九州芸術劇場 中劇場
大阪公演 2012年1月11日(水)-23日(月) 梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ
金沢公演 2012年1月25日(水)・26日(木) 金沢歌劇座
福岡公演 2012年1月28日(土)・29日(日) キャナルシティ劇場
仙台公演 2012年2月1日(水)・2日(木) 電力ホール
新潟公演 2012年2月4日(土)・5日(日) りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・劇場
名古屋公演 2012年2月24日(金)-26日(日) 名鉄ホール
広島公演 2012年2月28日(火)・29日(水) アステールプラザ 大ホール
※上演時間:約90分(休憩なし)

作・演出:三谷幸喜
出演:西村雅彦 近藤芳正

美術:堀尾幸男
照明:服部基
音響:井上正弘
衣裳:黒須はな子
ヘアメイク:河村陽子
演出助手:大江祥彦
舞台監督:松坂哲生
製作:山崎浩一
プロデューサー:毛利美咲
企画協力:(株)コードリー
企画製作:(株)パルコ

料金(全席指定・税込)
【東京】8,000円、プレビュー公演7,000円、U-25チケット6,000円(25歳以下対象)
【北九州】一般7,500円、ユース(24歳以下)5,000円 ※当日料金 各500円増
【大阪】8,500円
【金沢・広島】7,500円
【福岡】8,400円、R65(ライジング65チケット・65歳以上の優待料金)5,000円、U25(アンダー25チケット・25歳以下の優待料金)4,000円
【仙台】7,000円
【新潟】7,500円、N-PACmate会員優待6,000円、U‐25シート4,500円(25歳以下対象)
【名古屋】7,800円


「パルコ・プロデュース公演「90ミニッツ」」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: sachiko

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください