年末回顧「振り返る 私の2012」募集

 ワンダーランド恒例の年末回顧アンケート企画「振り返る 私の2012」への投稿をお願いする時期がやってきました。今年見た公演から「記憶に残る3本」を挙げ、コメント400字で締めくくります。この1年の観劇体験にとりあえずの区切りを付けてみてはいかがでしょうか。締め切りは12月20日(木)です。(編集部)
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カムカムミニキーナ「ひーるべる」

◎悲しみに溺れる、という救い
 小川志津子

「ひーるべる」 公演チラシ
「ひーるべる」 公演チラシ

 カムカムミニキーナが、何かを脱ぎ去った。防ぎようもなく押し寄せる哀しみの大波を、忘却でも逃避でもなく受け止めることが果たしてできるか。生き残った者はいかに生き、去る者は何を遺すか。昨年の『かざかみパンチ』にはその渾身の問いがチラシやメインビジュアルにあふれていたし(万物を引っつかんだ拳が地面から突き上げられている)、今年4月、ウエストエンドスタジオで上演された『えびすしげなり』も、他者からもたらされるものにただ乗っかって進むことの危うさを描いた。

 そして、『ひーるべる』。古事記の逸話が随所に織り込まれた、人類の根源を問う物語だ。しかし出典とか時代考証とかそういったことは振り捨てるような激流がそこにあった。織り込まれる物語は挿話ではなく、『ひーるべる』という大河の支流として、河口へと結集していく。時空だって超える、生死だって超える。超えるというか、巻き添えにしてうねり、流れていく。観客がすべてを咀嚼し終えるまで待ったりはしない。これは、轟音を立てて、流れ去る物語なのだ。轟音は轟音のままに、観客はその身を浸し、委ねる。そこからが、この物語を堪能することの始まりと言えよう。
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クロスレビュー挑戦編終了のお知らせ

 ワンダーランドのクロスレビュー挑戦編はこの12月公演をもって終了します。応募団体のみなさん、レビューを寄せた評者の方々に、あらためてお礼申し上げます。
 この企画は「評価と周知の場」を提供するねらいで2011年2月に始まりました。今夏の佐藤佐吉演劇祭(王子小劇場主催)参加10作品を含めて、この2年で取り上げたのは45公演に上ります。主催団体による評者候補の逆指名、観客の参加自由という新方式も、「評価と周知の場を提供」するという意味では、それなりに役目を果たしたのではないでしょうか。最近応募が減少傾向にあるため、いったん幕を下ろすことにしました。今後臨時企画として実施することはあると思います。また、新しい劇団が育ってきたタイミングを見計らって復活を検討したいと考えています。この間のみなさんのご協力に感謝します。(編集部)

クロスレビュー挑戦編12月は京都の努力クラブ

 ワンダーランドのクロスレビュー挑戦編12月は、京都の努力クラブ「旅行者感覚の欠落」公演(12月7日-10日、元・立誠小学校)に決まりました。昨年3月に旗揚げしてから5回目の公演。レビューは★印と400字コメント。締切は12月11日(火)正午。観客のみなさんの投稿を待っています。
(編集部)

青年団+大阪大学ロボット演劇プロジェクト「アンドロイド版『三人姉妹』」

◎カレー礼讃
 川光俊哉

「アンドロイド版『三人姉妹』」公演チラシ
アンドロイド版「三人姉妹」公演チラシ
 チェーホフの『三人姉妹』は、『かもめ』や『桜の園』に比べても、読みにくい戯曲のように思う。私がそう感じるだけかもしれないが。
 いったい何が書いてあるのか、よく分からない。いや、大ざっぱには分かるのだけれど、一人ひとりの発話が、大きなテーマと結びついているのかいないのか、よく分からない。はっきりしない。ただ、巨大な寂しさだけが、そこに残る。十九世紀末、あるいは、二十世紀初頭のロシア帝国の地方都市という、とてつもなく特殊な背景を題材としているのに、この作品が大きな普遍性を獲得しているのは、たぶん、この曖昧さにある。たとえば聖書に書かれたこと、あるいはイエスの発言自体が、いかようにも解釈できるために、のちに、いくつもの偽書が生まれてきたように。
 アンドロイドを使った本格的な演劇を作るにあたって、すぐに思いついたのは『三人姉妹』の翻案だった。
 アンドロイド、あるいはロボットが根源的に持つ寂しさを描きたいと思った。いや、厳密に言えば、ロボットは寂しがらないので、寂しく感じるのは私たち人間なのだが…。

 『アンドロイド版 三人姉妹』の当日パンフレットで、作・演出の平田オリザはこのように書いているが、平田の翻案に対して、よくも悪くも、「分からない」という印象(全体的な、腑に落ちないという感じ)はない。
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青年団+大阪大学ロボット演劇プロジェクト「アンドロイド版『三人姉妹』」

◎私たちを交代できるもの、私の芯の擦り切れる音
 綾門優季

「アンドロイド版『三人姉妹』」公演チラシ
アンドロイド版「三人姉妹」公演チラシ

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わかりあえないことから始めることに、私たちは疲れ果ててしまった。

一瞬でわかりあいたい、という私の中で燻る欲望が、生涯叶えられないことは知っている。
しかし、何故、膨大な時間を対話にも会話にも尽くしたにも関わらず、わかりあえるどころか、さらに遠ざかってしまったような錯覚に、私たちは時折、囚われてしまうのだろう。
この溝を埋める術はないのか?
この隔たりを狭める策はないのか?
そう問うことに、私は疲れ果ててしまった。
私のことを一瞬でわかってくれるのは私だけだ。
だから、私たちが「わかりあうこと」を交代するものがあるなら、それに面倒なことをすべて押し付けてしまおう。
そう、たとえば、アンドロイドに。
私自身が口を開かなければ、「わかりあえないこと」に直面する回数は、それだけ減少するのだから。
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忘れられない1冊、伝えたい1冊 第15回

◎「劇的言語」(対話:鈴木忠志・中村雄二郎 白水社 1977年)
  カトリヒデトシ

「劇的言語」表紙
「劇的言語」白水社版表紙

 元より偉大でもないのは自明だが、演劇に関してはロスジェネになりたくない。

 ガキのころから季節季節には母に歌舞伎座に連れていかれ、わけもわからずおうむ岩のように「つきもおぼろにしらうおの」とかいっていた。父には毎月寄席につれていかれ「なおしといてくんな」とか「抱いてるおれはいってえ、誰なんだ」とかいう、やな小学生だった。
そんななんで古典に関しては昭和後半の「名人」という人を随分生で見てきた。ありがたいことだったなぁ。今でも六世歌右衛門や先代の辰之助は夢にみるし、圓生や志ん生のくすぐりや「カラスかあと鳴いて夜が明けて」とかの口調がついてでる。ふと「昔はよかった」といってしまうこともある。
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劇団、本谷有希子 「遭難、」

◎劇評を書くセミナー 東京芸術劇場コース 第3回 報告と課題劇評

「遭難、」公演チラシ
「遭難、」公演チラシ

 ワンダーランドの「劇評を書くセミナー」(東京芸術劇場共催)第3回は11月2日(金)午後7時から同劇場ミーティングルームで開かれました。
 合評の対象になったのは、劇団、本谷有希子 「遭難、」。鶴屋南北戯曲賞受賞作の6年ぶりの再演でした。提出された受講者の劇評12本を取り上げならが、講師を務めた演劇ジャーナリスト徳永京子さんが問題提起。その後、公演間近の配役交代と男優による女性教師役の評価、舞台前面で上げ下ろしされる透明な仕切り、トラウマの意味と影響などが話し合われました。以下、掲載の了解が得られた劇評を掲載します。ご一読ください。(編集部)

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空気ノ機械ノ尾ッポ「~ソトへ~」(クロスレビュー挑戦編)

「~ソトへ~」公演チラシ
「~ソトへ~」公演チラシ

 「空気ノ機械ノ尾ッポ」の第1回公演は1997年8月でした。もう十数年の活動歴がある団体です。ちょっと不思議な語感を持つ団体名について「空気ノ機械ノ尾ッポと聞いて、『何にも無関係だけれども、なんだか可愛い…』と感じてくれたら、とっても嬉しい!です」とHPに書かれていました。このあたりに、団体の柔らかな雰囲気が漂っているような気がします。「『夢』がテーマ」という今回はどんな舞台になったのでしょうか。レビューは★印と400字コメント。掲載は到着順。各レビューの末尾は観劇日時です。(編集部)

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