◎私たちを交代できるもの、私の芯の擦り切れる音
綾門優季
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わかりあえないことから始めることに、私たちは疲れ果ててしまった。
一瞬でわかりあいたい、という私の中で燻る欲望が、生涯叶えられないことは知っている。
しかし、何故、膨大な時間を対話にも会話にも尽くしたにも関わらず、わかりあえるどころか、さらに遠ざかってしまったような錯覚に、私たちは時折、囚われてしまうのだろう。
この溝を埋める術はないのか?
この隔たりを狭める策はないのか?
そう問うことに、私は疲れ果ててしまった。
私のことを一瞬でわかってくれるのは私だけだ。
だから、私たちが「わかりあうこと」を交代するものがあるなら、それに面倒なことをすべて押し付けてしまおう。
そう、たとえば、アンドロイドに。
私自身が口を開かなければ、「わかりあえないこと」に直面する回数は、それだけ減少するのだから。
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という私の中の淡い欲望が、ロボットやアンドロイドが普及した近未来でも叶えられないことを実証した「アンドロイド版『三人姉妹』」を観劇して、しばらく、私の背筋は凍ってしまった。口に出してもいない将来の夢の芽を踏みつぶされたような感覚に襲われた。平成生まれの私にとって、いま、ロボットやアンドロイドが普及した社会は、子供のころに「鉄腕アトム」や「ドラえもん」を読み終えたときに抱いた楽観的な未来展望からはかなり逸脱してしまっている。極端な話、半世紀後、介護を必要とする年齢に私が達したときに、私の足をロボットの冷え切った手が支えているのだろうか、いや、たとえ、高性能のアンドロイドの暖かい手が私の足を支えていたところで、私の心は冷え切っていないだろうか、突然、社会に普及したロボットやアンドロイドの位置づけに、困惑したままで死を迎えてしまうのではないだろうか、などという不安がどうしても拭えないのである。拭えないので、普段はなるべく考えないようにしている。考えないようにしていた残酷な結論を、この芝居は否応なく突きつけた。その絶望は深い。
いったい、ぜんたい、どれぐらいの深さなのだろう?
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ロボットと人間の違いは一目でわかるが、アンドロイドと人間の違いはパッと見ではわからない。
以前、青年団+大阪大学ロボット演劇プロジェクトの生み出した作品のひとつ、アンドロイド演劇『さようなら』を観にいったとき、私は生まれてはじめてアンドロイドというものを間近に目撃した。本物のアンドロイドに興奮した私は、整理番号がかなり早かったこともあって、「どうせなら、アンドロイドを目の前で観ることのできる席に座ろう」と思いたった。
舞台上には開演前からあらかじめ、人間ひとりとアンドロイド一体が椅子に座っている状態で、幸運なことに、アンドロイドとは目と鼻の先という距離の、最前列の席が空いていたのである。
嬉々として席を確保し、開演前からまじまじとアンドロイドを眺め、悦に浸った。
しかし、開演直後、私は自分が大馬鹿者であることに気がついた。
「アンドロイド」だと思い込んでいたのは「人間」で、「人間」だと外見から判断したほうが実は「アンドロイド」だったのである。
最前列といえども、アンドロイドから最も遠い席に座ってしまったのである。
いくらなんでも私がうっかりものすぎるという御指摘は当然あるだろうが、ここで重要なのは私の間の抜けた性格ではなく、「うっかりものだとパッと見どころかまじまじと眺めても喋り出すまでアンドロイドだと気がつかない」という点である。
そう、喋り出すまでは。喋り出すと、声が明らかにスピーカーを経由している音なので、異物感が凄い。あの異物感は外見の滑らかさとはかなりそぐわないもので、ミスマッチな冷淡さがあって、思わずぎょっとしてしまう。
あの声が治らないかぎり、私はアンドロイドを人類の「仲間」だと思い込むことができないだろう。
【写真は、アンドロイド版「三人姉妹」公演から。撮影=青木司 提供=青年団 禁無断転載】
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アンドロイドを人類の「仲間」だと思い込めないのは、近未来でも変わらない、らしい。
劇中の登場人物たちも、アンドロイドの存在を扱いあぐねて、困惑しているように思えた。
ただ、現在は思い込めなくても何の支障もないが、近未来ではそうもいかない。
家族のメンバーのうちのひとりに、アンドロイドがいるとしたら、そうはいかない。
「アンドロイド版『三人姉妹』」において、ロボットは人間の「労働」を、アンドロイドは人間の「立場」を奪っていた。交代したのではない、あれは紛れもなく「奪われた」のである。
ロボットは「執事」として料理や買い物など、生活上で必要な雑務を担っている。ロボットに家事を命令するだけで、やることのなくなった人間たちが、気まずくなってもひたすら雑談をしつづける、というのも不気味といえば不気味な未来像だが、「死んでしまった妹の代わり」としてアンドロイドが登場したとき、不気味を通り越して、心の中で絶叫してしまった。
舞台となっているのは、家族の一員をもアンドロイドが代行する近未来なのである。
さらにややこしいことには、この家族において、アンドロイドは「死んでしまった妹の代わり」ではなく「死んでしまった(ことにしている)妹の代わり」であることが中盤で明かされる。明かされるというか、生きている妹本人が唐突に登場するので、蛇が動物を丸呑みするように、観客は設定を無理矢理呑み込むことになるのである。
妹はいわゆる「ひきこもり」であるのだが、「ひきこもり」であることを隠すためにアンドロイドにみずからの生活を任せており、ロボットに雑用を任せている。家族はそのことを知ったうえで、妹がまるで死んでしまったかのようにふるまっているのである。ふるまっているのだが、いかんせんアンドロイドは空気が読めず、来客に失礼な発言を浴びせるだけ浴びせ、激怒した来客はアンドロイドのスイッチを切ろうとして周囲に止められ、もめにもめた挙句、しびれを切らした妹本人がみずからのアンドロイドのスイッチを切りに、皆の前に姿を現す、というのがこの芝居の大まかな流れである。
「アンドロイドの記憶と妹本人の記憶のどちらを信じればよいのか」を巡る議論の鮮烈さは、強く印象に残った。「トラウマを忘れることができる」という能力はアンドロイドにはない。アンドロイドはそもそも、トラウマという概念を理解できたとしても、PTSDに罹患するのだろうか?
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この芝居の下敷きとなっているアントン・チェーホフ「三人姉妹」において、ラストシーンで「私は働くわ、働くわ……」と言い募るのに対して、「アンドロイド版『三人姉妹』」は「食べないと、私たちは。」というセリフを残して終幕を迎える。
「私が人間であること」を担保するものとして、「労働」を挙げられる時代は、いずれ終わりが来る。
「食べ続けないと、生きていけない」という部分にしか、「私が人間であること」を見出せない日が、すぐそこまで迫って来ている。
良いことでも悪いことでもない。それは、仕方のないことである。
人間の好奇心ほど凶暴なものはない。歴史に禍根を残した科学技術自体に罪はない。悪いのは開発した者ではなく、使いかたを間違えた愚か者のほうなのだから。「これ以上開発するのは危ないから、やめよう」という言葉を真に受ける者がどれだけいるだろうか。人類の大半が愚か者であるからといって、それが科学技術の邁進を止める理由にはならない。
どれだけ危険を承知していても、私たちは進み続けるだろう。進化なのか劣化なのかわからない道を。
そして、私たちの存在意義を脅かすものを平気で開発して、皆で喜ぶ日が来るだろう。
私の芯が、擦り切れていくような幻聴に悩まされるのは、しばらく経ってからのことである。
それが、幻聴ではないと気づいて、慌てふためく時代が到来するのは、もっと後のことだろう。
そのころまでには、私が既に寿命を迎えていることを、祈るしかない。いまのところは。
【筆者略歴】
綾門優季(あやと・ゆうき)
1991年生まれ、富山県出身。劇作家、演出家、Cui?主宰。日本大学藝術学部演劇学科在籍。2012年、The end of company ジエン社に演出助手として参加。早稲田短歌会所属。◎次回公演Cui? vol.4『逆鱗に触れるまでの細くて長い道』《真昼間の章》《真夜中の章》@STスポット、2013年2月27日(水)~3月3日(日)。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/ayato-yuki/
【上演記録】
青年団+大阪大学ロボット演劇プロジェクト「アンドロイド版『三人姉妹』」
吉祥寺シアター(2012年10月20日-11月4日)
原作:アントン・チェーホフ
作・演出:平田オリザ
テクニカルアドバイザー:石黒 浩(大阪大学&ATR石黒浩特別研究室)
出演
アンドロイド「ジェミノイドF」、ロボビーR3、山内健司、松田弘子、大塚洋、能島瑞穂、石橋亜希子、井上三奈子、大竹直、河村竜也、堀夏子
アンドロイドの動き・声:井上三奈子
スタッフ
舞台美術:杉山至
照明:三嶋聖子
衣裳:正金彩
舞台監督:中西隆雄
演出助手:マキタカズオミ
ロボット側ディレクター:力石武信(大阪大学石黒浩研究室/大阪大学コミュニケーションデザイン・センター)
宣伝美術:工藤規雄+村上和子、太田裕子
宣伝写真:佐藤孝仁
制作:西山葉子、金澤 昭
料金
前売・予約・当日共 一般:4,000円、学生・シニア:3,000円、高校生以下:2,000円
音響協力:富士通テン(株)
音声合成技術:株式会社エーアイ
協力:(有)あるく (株)アレス ヤマハ発動機株式会社
撮影協力:長野県佐久穂町(八千穂高原)
製作:大阪大学、ATR社会メディア総合研究所、(有)アゴラ企画・青年団
主催:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
共催:(公財)武蔵野文化事業団
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