◎戦う身体、動かす言葉
水牛健太郎
会場に入ると、巨大といっていい大きさの強化プラスティックの透明パネルが目に入る。目測で1枚あたり高さ2メートル50センチ、幅は1メートル20センチぐらいの透明な強化プラスティック板を、9枚横につないでいる。全体で横10メートルを超えるパネルだ。2か所に木の扉が備え付けてある(ただし、上手側の扉は最後まで開かなかったし、把手もなかったので、扉とは言えないかもしれない)。パネルは窓にこびりつく雪を思わせる白い汚しが入れてあり、向こう側はぼんやりとしか見えない。それから白樺の大きな枝がたくさん、天井から吊り下がっている。葉は白みがかっており、枯死しかかっているようにも見えて、生命感は感じられない。
地点はチェーホフの四大戯曲をこれまでに全て上演している。当日パンフによれば「三人姉妹」は2003年に、当時地点が所属していた青年団のアトリエ春風舎のこけら落とし公演として上演されて以来だそうだ。ただ演出は全く違うとのこと。
芝居が始まると、パネルの向こう側が明るくなる。パネルの向こうには奥行き15メートルほどの空間があり、そして一番奥の壁一面には鏡が貼られている。俳優たちが2~3人ずつ、床の上をくんづほぐれつして転がりながら手前に向かって来る。そしてパネルの横を通り手前に出てきて、パネルを背にしてセリフを言う。その間も他の俳優が挑みかかるように身体を絡ませてきて、戦いながらセリフを口にすることになる。俳優どうしの身体の動きはレスリングのそれである(要するに、打撃技を禁止した上で、お互いの身体を自分の意に沿わせるべく争っている)。
俳優は1人ずつ役を割り振られており、それに従ってセリフを言うが、「三人姉妹」のストーリーを再現する舞台ではない。大まかな流れはあるものの、戯曲の様々な場面のセリフがカットアップされて発話される。その間、くんづほぐれつが続く。男女もあれば、男どうし、女どうしもある。特に恋愛がらみの場面はもれなくレスリングになる。
たとえば追いすがり迫る夫クレイギン(小河原康二)から逃れようとする次女マーシャ(窪田史恵)。あるいはナターシャ(伊東沙保)への長男アンドレイ(石田大)の求婚の場面。女性の身体はプラスティック板に押し付けられ、がっしゃんとソフトながら音が響く。セリフの合間に荒い息遣いが混じり、セクシャルな雰囲気が濃厚に立ち込める。また、三女イリーナ(河野早紀)を巡るトゥーゼンバフ(岸本昌也)とソリューヌイ(田中祐気)のライバル関係も熾烈な力比べとして表現される。
チェーホフの書いた、饒舌ながら品位あるセリフの裏にあるものが、身体のぶつかりあいとして壮絶なまでに表出される。まるで万人の万人に対する戦いのような情景だ。パネルの奥からプラスティック板をたたく者もいる。バンバンと派手な音がする。巨大なパネルは登場人物らが力を加え、奥に向かって押されたり、回転したりもする。登場人物らが四つん這いになって歩く場面もあり、人間の動物化のイメージが感じられる。膨大に吐かれる言葉は空虚なものであり、生々しい力と力のぶつかり合いだけが真実なのだ。
それでもなお、ぎりぎりに追い詰められた言葉たちには力がある。常に身体に負荷のかかった状態で口にされるセリフは、アクセントの位置を変えられ恣意的に刻まれた「地点語」の作用もあって、つぶ立ち、意外な力強さを持って聞くものに作用し始める。
そのクライマックスが小林洋平演じるヴェルシーニンの長ゼリフである。戯曲では第1幕に置かれたこのセリフは、舞台となる地方都市における「知的で教養ある」三人姉妹の存在が、大衆の中に埋もれてしまうようなちっぽけなものでありながら、必ずやなんらかの影響を後に残し、そのような人間が少しずつ増えていき、二、三百年後に地上に「すばらしい生活」を出現させるための、いわば地の塩になる、という内容である。小林はこれを、地点語を駆使しつつ、熱狂的な酔ったような調子で、天使のように軽々と舞台と客席を飛び回り、さらには会場外にまで飛び出しつつ、「あなたは、あなたは」と俳優や観客を指さし、呼びかけながらうたい上げていく。
チェーホフの戯曲のセリフには、遠い未来の人類の「素晴らしい生活」に思いをはせる内容がしばしばあるが、その解釈は両義的である。独特な、夢見るような調子には、科学の進歩とキリスト教的な千年王国思想の結びつきがあるとおぼしい。突拍子のない内容なのでシニカルなニュアンスなのかと思うと、登場人物たちは(そして作者チェーホフも)意外に本気なようす。だが、そうした「未来への夢」がチェーホフ死後のロシアにもたらした地獄を知る100年後の私たちとしては、チェーホフの意図を超えた苦いものをそこに感じないわけにはいかない。三浦基の演出と小林の演技は、言葉が作り出す熱狂の危うさと力をストレートに伝える。感情が揺り動かされて観客の体温が上がる。
それから登場人物たちはパネルを押し、奥の壁にくっつける。三人姉妹が言葉を交わしつつ、くんづほぐれつしながら手前に向かって来る。イリーナは愛していないトゥーゼンバフとの結婚を決めるが、トゥーゼンバフは因縁をつけてきたソリューヌイと結婚の前日に決闘し、撃たれて死ぬ。イリーナは「あたし、分かってた」と繰り返す。
原作ではトゥーゼンバフの死は舞台裏で起こり、1発の銃声によって表される。一方、今回の上演では彼が銃声とともに倒れる場面がそれまでに何度も繰り返されており、当日パンフの【原作のものがたり】でもトゥーゼンバフが撃ち殺されることが文章の最後に明記されている。彼の死はまさに「分かっていた」ことであり、むしろ上演自体が、それを1つの軸として構成されている。
この、最も暴力的な場面を乗り越えるようにして、三人姉妹たちは最後に向かう。3人それぞれに男性俳優と向かい合い、イリーナとマーシャは彼らに持ち上げられて、宙に手を差し伸べる。強い力に拉し去られそうになりながら、それを利用し、軽々と舞い上がる。地を這う動物のイメージと対をなす、天に向かって立つ人間、または天使のイメージ。イリーナが家を出て、劇の最後までに姉妹は全員家を出ることになる。古い家を捨て、不安だが自由な生活に歩み出す。その間、ナターシャはパネルの奥にいて、バンバンとプラスティック板を叩き続ける。今や古い家を支配するナターシャは、自分が持つものに囚われている。
姉妹たちによる「それが分かったら」のリフレイン。一番手前に立つオーリガ(安部聡子)が短く雄叫びをあげると、暗転し、芝居は終わる。
新しい時代が始まった。秩序は揺れ動き、血と暴力の匂いがする。あっと驚くぐらい、100年前と全てが同じなのだ。そんな時代にあって、暴力を乗り越える言葉と表現の力を示して、深い印象を残す上演だった。
【筆者略歴】
水牛健太郎(みずうし・けんたろう)
ワンダーランドスタッフ。1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。大学卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005 年、村上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデビュー。演劇評論は2007年から。2014年9月より、慶應義塾大学文学部で非常勤講師。観客発信メディアWL発起人。
・ワンダーランド寄稿一覧:
http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/mizuushi-kentaro
【上演記録】
KAAT×地点「三人姉妹」
神奈川芸術劇場中スタジオ、2015年3月9日-22日
原作:アントン・チェーホフ
翻訳:神西清
演出:三浦基
【出演】
安部聡子 石田大 伊東沙保 小河原康二 岸本昌也 窪田史恵 河野早紀 小林洋平 田中祐気
舞台美術:杉山至
衣裳デザイン:コレット・ウシャール
音響デザイン:徳久礼子
音響オペレート:稲住祐平
照明デザイン:山森栄治
照明オペレート:岩田麻里
衣裳:薦田恭子、篠原直美
舞台スタッフ:山崎明史
舞台監督:小金井伸一
プロダクション・マネージャー:安田武司
技術監督:堀内真人
宣伝美術:松本久木(MATSUMOTOKOBO Ltd.)
制作|伊藤文一、小森あや、田嶋結菜
広報:小沼知子、久田絢子
営業:大沢清
主催:KAAT神奈川芸術劇場
平成26年度文化庁劇場・音楽堂等活性化事業
チケット料金
全席自由/入場整理番号付き
▼プレビュー公演
一般 2,000円 24歳以下 1,000円
▼本公演
一般 3,500円
▽U24チケット:1,750円(24歳以下対象)
▽高校生以下割引:1,000円(高校生以下対象)
▽シルバー割引:3,000円(満65歳以上対象)