演劇は戯曲や演出家、俳優がそろえば上演できるわけではありません。企画を考え、場所や費用を支える仕組みを作らなければ実現しないのです。通常は観客に見えないこれらの作業にスポットを当て、私たちの芸術環境を考えてみたいと思いました。東京国際芸術祭は演劇やダンスのダイナミックな動きを国際的な規模で企画し、しかもこの数年は地域の隠れた劇団を紹介してきました。このフェスティバルは何を目指しどのように運営されているか、ディレクターでNPOアートネットワーク・ジャパン理事長の市村作知雄さんを訪ねました。
文化や価値観のぶつかる地点から新しい演劇が生まれる
ドイツと中東シリーズを始めたのは
-今回登場していただく市村さんは多様多彩な活動をされていて、さまざまな肩書を持っています。まずその中でも東京国際芸術祭ディレクターとしての活動を入り口にして、これまでの活動、経歴、海外交流、そして芸術活動への思いなどをお話しいただきたいと思います。
このほど東京国際芸術祭2006のラインナップが発表されました。今年2005年と比較して、何を引き継ぎ何を新たに提起しているか、そこからまずお話を伺いたいと思います。
市村 基本的には引き継いでいるものが多いですね。中東シリーズは来年も引き続きやります。ベルリンの壁が崩壊した後の東欧、特に東ドイツの演劇を紹介してから3、4年経ちますが、これも続けます。
世界的にみて新しい演劇、新しい作品がどういう形でどこから生まれてくるかを考えてみると、多様な価値観や多様な文化があるというだけでは新しいものは生まれてこない。一つの文化がもう一つの文化にぶつかっている、接触する必要があって、ぶつかったり接触したりするときに新しいものが生まれるに違いないと考えました。
いま激しくぶつかっているところは世界的にみると2カ所あって、一つはドイツです。10年前に壁が崩壊して東側が西側に飲み込まれてしまった。東側の社会主義文化と西側の文化や価値観がぶつかって結局西側が勝った形になったんですが、負けた東側の人たちがどういうアイデンティティーを生み出したのか。10年経ってそれが形になってきた。だからいまドイツは非常におもしろい。その元になっている東ドイツの動きを紹介してきた。次回も劇団を招聘しますが、このシリーズは来年を一つの区切りにしたいと思っています。
もう一つは中東です。ここでは西欧の文化圏とイスラム文化圏がぶつかって、イスラム側が負け続けていくんですけど、イスラム圏といっても国によっては旧宗主国の影響で英語、フランス語に分かれているぐらいその土地の文化はかなり西洋化している。ちょうどいま、その価値が問われている。イラク戦争などが起きて、負けていったのが当然だと思うわれるけれど、それはちょっと違って当然と思う必要はないという逆の意識が生じて、その結果、演劇の分野でもおもしろいものが生まれてきている。
中東シリーズは3年前に始めました。イラク戦争が起きたからこのシリーズを始めたと誤解される方がいるかもしれませんが、そう思われると心外です。企画自体はイラク戦争が起きるずっと前に立てられていて、たまたま企画が時代にマッチしてしまったということなんです。
この中東シリーズは3年の予定でした。しかしイスラム圏のアート関係者にとって、東京でこういう企画が始まったという影響は非常に大きい。中東の劇団を招聘し、いくつかの作品は共同製作してここ(東京)で作った。その作品がアジア諸国を巡回するということも起きて、評価も高い。あと2年ぐらい延長して5年のシリーズにしようかと、共催の国際交流基金とも話し合っています。
9・11以後のアメリカ戯曲を
市村 来年2006年のラインナップで、追加部分とまったく新たに始めるものがあります。中東と東欧だけでは偏っている、足りないと思って今度取り上げたのは、アメリカです。
アメリカ合衆国はこれまで、無視されてきた感じがします。アメリカのアーチストはいまとても気の毒な立場にいて、自分たちは世界の嫌われ者だという意識が強く、ブッシュ大統領が再選されたときは多くのアーチストがカナダに逃げ込みたいと言うほど落ち込んでいた。世界のフェスティバルをみても、アメリカのアーチストや団体を呼ぶのはかなり減っているのではないでしょうか。
ぼくはそれは政治の枠組みの話であって、政治の枠組みと演劇など芸術のルールが同じであってはおかしいと思います。中東の企画を考えたときも同じで、日本でアジアというと東南アジアを思い浮かべて中国や韓国を取り上げがちですが、それは政治の枠組みなんです。政治的な枠組みの中で国々を取り上げれば助成金も付きやすいかもしれません。しかしそれでは政治家の発想と同じになってしまいます。
われわれは、中東に枠を広げてみました。つまり国と国がどんなに争おうと、アート関係者はコミュニケーションを保とうよ、ということなんです。アメリカが嫌われていても、アート関係者同士が付き合っていかなければどうしようもない。特に9.11のテロ以降、アメリカの演劇人が何を考えているのか分からない状態です。
アメリカ演劇史をみても、ベトナム戦争が結節点となってポスト・ベトナム演劇が語られてきましたが、いまはおそらく9・11以降と語られるのではないかと思います。今回取り上げるのは9・11以降の劇作に限っています。イラク戦争へ突き進んでいった状況の中で、アメリカの劇作家は何を考えたかを知りたかった。本公演を持ってくるのが一番いいのかもしれませんが、本公演はお金がかかりますし、とても大変な作業がありますのでわれわれの経済力では1つしか紹介できない。それではぼくらの趣旨にそぐわない。もっと多くの作品を持ってきたいと思った。
今回はアメリカン・プレイライトセンターとNPO法人アートミッドウェストに頼んでアメリカ現代戯曲の中から4本選んでもらいました。それを日本語に翻訳してリーディング公演という形で紹介することにしました。その際、アメリカ人の劇作家も呼んでシンポジウムを開催することにしています。
中東シリーズを手がけているうちに、アメリカを取り上げなければいかないと考えるようになりました。アメリカの演劇はあまり知られていないし、実際ほとんど日本に来ないので分からない。それをやってみたいと思って始めてみたわけです。
日本の演劇作りも
市村 今回まったく新しい企画が一つあって、それは日本の演劇を作り始めるということです。
東京国際芸術祭としてはここが最も考えあぐねていたところなんです。
リージョナルシアターシリーズという企画を1999年に始めましたが、これは地方の演劇を東京に呼ぶプログラムです。東京国際芸術祭としては、東京という最も大きな拠点に地方の演劇を紹介したいというコンセプトで、これを広げると国際的なアートを東京に紹介するという考え方と同じ論理で成立します。しかし東京国際芸術祭で東京の演劇をやるというのにどういう理屈が成り立つのかという点に関しては、非常に迷いました。
どうして今年から始めるかというと、「にしすがも創造舎」という拠点を持ったということがあります。ここに稽古場もあれば、ものを作る工房もある。体育館として使われた空間で公演もできる。こういうインフラがかなり整ったということが大きいですね。
にしすがも創造舎に関しては後ほどお話ししますが、表面的に見えている部分と見えていない部分があります。見えているのは公募して稽古場を貸していることですが、公募していない側面もあるのです。現在5教室を稽古場に貸し出していますが、それ以外は何人かの演出家や振付家にレジデントアーチスト扱いで、無条件に使ってもらっています。その一人が先日「サーカス物語」公演を演出した倉迫康史さん、それに演出家の阿部初美さん、ダンスではイデビアンクルーの井手茂太さん、それにPort B 代表の高山明さんもそうしたいといま協議している最中です。こういう人たちと作品を作れるようになったということが、日本の演劇を始める基礎になっています。
ドラマトゥルクという職能
市村 もう一つ重要なことがありました。ドイツの演劇を紹介する中で、3年前にベルリナー・アンサンブルを招いて以来、ドイツ演劇の舞台の作り方がだんだん分かってきた。ドイツの演劇がおもしろいのはどうしてかというと、日本とは作り方が違っていることに気が付きました。台本を渡されて、俳優が実際に稽古にはいるまでかなりの時間がある。稽古を始めるのは、舞台ができるまでの過程のほとんど最後に近いのではないでしょうか。そこで重要な役割を果たしているのがドラマトゥルクという職能でした。
日本人の素朴な考えだと、芸術家は孤独な人たちです。自分1人で作品を作り上げるというイメージが強い、孤独な芸術家像だと思います。日本でいち早くそういうイメージを打ち破ったのは「ダムタイプ」だと思いますが、彼らはコミュニケーションを図ってものをつくる作業をしているのです。
ドラマトゥルクがつくと、そこに演出家を含めて複数の人間がいるということになり、コミュニケーションを図らざるを得えません。コミュニケーションしながら作品が作られる。ここであまり日本批判をしても仕方がないのですが、日本の演出家は1人だけが頭脳だから、1人で何でも決めることができちゃう。そういう権力を持っていますから、なぜそうするのかということを、あまり説明する必要がない立場なんですね。
しかし補佐する人が2人3人となると、それではやっていけません。少なくともコミュニケーションをとるためには、なぜそうするかを説明できなければいけません。そうしないとものが作れない。ドイツの場合はそういう作り方をしている。日本人の芸術家像がこれによってかなり壊れるんじゃないでしょうか。
どっちがいいのかぼくは分かりませんけれど、普遍的な話ではなくて、今の日本の演劇状況は1人の天才が現れて、その人の力で何でもできるということですが、何十年か待てばそういう天才が現れてくる。それだけ待てば、突然変異のように現れるんですね。
そういうことではなくて、システム的に違うドイツの演劇に接してきて、やっとそういうことが分かってきて、ドイツのような作り方ができないかと考えました。
まず阿部初美さん演出で、ドラマトゥルクに長島確さんが入って、サラ・ケインの「4時48分サイコシス」をやります。その前に「ベケット・ライブ」シリーズで、主催した「スリーポイント」代表の鈴木理江子さんはいち早く長島さんをドラマトゥルク役に起用してましたが、ぼくもそういうドラマトゥルクを入れた演劇の作り方に変えていくのがいいのではないかと考えました。失敗するかもしれないけれど、何か変えた方がいいと思ったんですが、これが非常に難しい。まずドラマトゥルクをやれる人がいない。ほぼ長島さん1人という状態です。
日本の演劇では研究者や批評家の知識はクリエーションにまったく生かされていない。彼らは彼らなりに知識を持っているけれど、クリエーションと関係ないところで書いてお終い。結果的には無駄に終わっている。社会的に何の影響があるのだろうかというほど寂しい職業になっています。しかしそういう研究者、批評家の知識も、ドラマトゥルクという機能を介すると、クリエーションの現場に生かされる可能性があるんじゃないかと考えました。
ドラマトゥルクといっても、社会的に訓練されていないと問題です。私のいうことを聞かないから、こんな演出家はだめだいうような性格の人は向いていませんけど(笑)。これも何年か続けようと思っています。>>
市村作知雄(いちむら・さちお)
1949年大阪生まれ。早稲田大学文学部卒。1983年から山海塾の制作。その後パークタワーホールでのダンスプログラムを確立するなど内外のダンス公演のプロデュースに携わる。2000年NPO法人アートネットワーク・ジャパン(ANJ)を設立。シアター・テレビジョン社長などを経て現在、東京国際芸術祭ディレクター、アートネットワーク・ジャパン理事長、NPO法人芸術家と子どもたち副理事長、東京芸大音楽学部音楽環境創造科助教授。
東京国際芸術祭/アートネットワーク・ジャパン webサイト:http://anj.or.jp/